カウンセリング5回目

今日のセッションはいつもよりまとまっていました

し、誰にも話したことのないことを話しました。

 

ずっと心の中で思ってはいたことだったのですが、

いざ言葉にしてみると、出すのを怖いと感じるぐらい、

心の中で溜まっていたのだと気づきました。

だから、今回は自分が話したこともテーマの一つとして下に書きます。

 

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1、自分は異常ではない

まず仕事の調子が悪い、ということを伝えました。

まだ1週間しか働いていないのに、すでに関係が悪化しており、辛い。

自分でもなぜ仕事ができないのか分からない。

そう伝えると、なにでミスをしたのかを聞かれました。

レジで1日に2回も商品を抜かして、売ってしまったこと、

似たようなことを以前にも言われていたこと、

言われるまで自分でそのことに気づかなかったこと。

カウンセラーの方に伝えました。

 

自分はなぜ前に言われたことをできていなかったのか、

なぜ商品を抜かしてしまったのか、

なぜレジの横にチェックリストを貼って、

存在が見えているのに、

それを読むのを忘れてしまうのか。

 

自分自身のやっていることがおかしく、自分でわからないことを伝えると、

カウンセラーの方は、そんなの皆にとってもあることだ、と言った。

やることを考えながら、座った瞬間に忘れることなんてよくある、と。

 

まだ働き始めでミスをすることだってあるし、

私が思っているより皆意外とミスをする、ということを言った。

 

そうか、カウンセラーの人も座った瞬間に忘れるなんてことあるんだなって思った。

意外と皆あるのか、と。それでも納得いかないことはあった。

 

2、人には得意、不得意がある(2回目)

「なるほど。でもそれなら、私はなぜ皆に変な反応をされるのでしょう。例えば、数日前に起きたことですと、レジの画面にある売り上げをパソコンに記入する際に、ディスカウントが書かれているのに、それをパソコンに含めるのを忘れました。それを私の社長が見て、なんで入れないのか、と驚いたみたいです。」

「違うことを言うと、小さい頃に私の母と母の友人とで、私が忘れっぽいことを話していました。母の友人が、それならメモを書けばいいじゃん、と言ったので、メモを書いたことを忘れたり、メモがどこにいったのか分からなくなる、と伝えるとショックを受けた顔をしていました。」

「もし私が皆と変わらず、普通なら、なぜ皆にそういう反応をされるんですか?」

 

これに対して、カウンセラーの方は少し困っているように見えた。

ただその後「人には得意、不得意がある、という話をした」

私はただ人よりも注意力が散漫なだけであって、

他にいいところがきっとある、ということを言った。

 

3、注意散漫なのは感情が抑え込まれすぎているから

また、注意力が散漫なのは、他のことに気がそれているから、ということも言った。

自分でなぜ注意力が散漫なんだと思う?と聞かれたときに答えに悩んだ。

そもそも私の注意力散漫はADHDといった発達障害からくるものだと思っていた。

だから、これはADHDではないのか、と伝えると、

いや、ADHDではないよ。あなたは普通だよ。と経験上教えてくれた。

それに少し安心しながらも、

それならなぜ私は注意が散漫なのだろう、と感じた。

不得意な上に、感情が抑え込まれているから?

いつからそうなの?

 

ただ実際に「次いつ自分が失敗してしまうのかを心配しながら仕事している」ということは伝えた。

でもそんなの本当にそう思っているのか自分でも分からない。

 

4、過去の栄光が自分の強み

「ただ前に言ったように私にはいいところがあるように思いません。確かに私はクリエイティブなことが好きだ、と言いました。それは空想だってするし、絵を描くのだって、文章を書くのだって好きだからです。けど、それに対して上手だと褒められたこともないし、むしろ下手くそです。賞を取ったこともありません。」と伝えると、

過去にやり遂げたことはあるだろうか。

この成績が良かった、というようなことがあっただろうか、と聞かれた。

 

私は思い返したけど、一つもなかった。

本当に私何してきたんだろうって思いましたね。笑

 

「あ、でも、一つだけ。中国語が他の人よりも強かったです....。それを私自身ずっと誇りに思っていましたが、香港へ留学してその意識が変わりました。いい大学へ入って、そこの上のクラスに入ったんです。確かに上のクラスですが、私はその中でいつもビリでした。私は皆と違って、ハーフで、小さいころから中国語に触れています。それなのに、純粋な韓国人や日本人が他の科目もそつなくこなして勉強できるのに、私は中国語の勉強をするのでいっぱいで、それなのにビリなんです。中国語ができる、と思っていたけど、そうでもないんだなって感じました。」

 

この話をしたときに、カウンセラーの方に、いい大学へ留学に行けるってことはすごいじゃない、と言われた。

それも「いや、点数達してなかったけど、私がすごく行きたいのを知っていたので、レターを書けば行かせてくれる、ということになったんです」と言った。

それに対して、次は、そんな手紙を書いて行かせてもらえるなんて、それもまたあなたの強みよ、と言われた。

でも正直誰だって、行きたい!っていう人がいれば行かせると思うんだよね。

もっと留学生を輩出できた方が大学側だっていいし、香港に行くっていう人はそんないなかったし。

 

「私は英語や中国語が話せることが自分の強みだと思っていた。でも留学に行って、自分より中国語が話せる人がいたことを知った。しかも私のようにハーフでもなく、すごく勉強したわけでもないのに。英語だって、私は帰国子女なのに、今まで英語にそんな触れてこなかった日本人が私よりも簡単にエッセイを提出していたことがある。私の強みは私の強みではなかった。」

 

5、自分が何者なのか

どこでこの話をしたのかは覚えていないけど、

カウンセラーの方に、例えば商品を抜かしてミスしてしまったことについて、

どんなことを思った?何に怒った?と聞かれた。

 

そして、カウンセラーの助けもえながら、私は自分を理解してもらえていないことにイラついていたのだと知った。

例えば、何かをミスをしたとして、それによって自分が不真面目で適当な人だと思われることが嫌だった。本当の自分を分かってもらえないことが嫌だったことに気づいた。

 

カウンセラーは、自分で自分の苦手な部分を、これが自分だ、という風に認めることができていない。

だから少し言われたりすると、なぜ自分がこんなことをしてしまうのか、と責めてしまう。

もっと自分に苦手なことがあってもいい、これが私なのだと思うことも大事だと伝えた。

 

そして、アイデンティティのことについても触れ始めた。

「中国語が思っていたよりも上手くない、ということは私のアイデンティティにも関係があった。周りは、私が日本語、英語、中国語が話せることを当たり前だと思っている。中国語が話せない、とハーフなのに、と言われ、話せたところで、あ、ハーフだからね、となる。」

「だから中国語や英語を話せることは私にとって当たり前でなくてはいけなかった。」

 

「(実は中国語は自分で勉強したんですって言えばいいじゃない、と言われて)言ったところで、またまた〜、謙遜しないでよって言われるんです。それで、蓋を開けてみたら、本当だってがっかりするんです。」

「私自身もずっと日本人だと思っていたけど、香港留学を経て、私は違う、ということに気づいた」

「ハーフだからといって、単純に日本が70%でマレーシアが30%、というわけでもなく、複雑に入り組んでいる。特に私はシンガポールで日本人として育ったわけだから、理解されづらい。」

 

「だから私はどうでもよくなった。説明したところで分かってもらえない。私を日本人だと思うならそう思えばいい。私をシンガポール人だと思うならそう思えばいい。」

そう言いながら、気持ちがすごい静かになったのを自分でも感じた。

 

 

7、私は他人を優先しすぎ

カウンセラーは私の話を聞いて、自分がどうなりたいか、よりも周りが自分にどうなって欲しいのかを優先している、と言った。

それが私の生きづらさになっている、と。

 

それに対して私は、

「皆には、セールスポイントがあると思います。私の多文化な背景が私のセールスポイントになるんです。」

「ただ、皆私が何者なのかわからない。だから例えば、日本人を雇いたい、となって私を雇ったら、私はおそらく、日本人のように除菌をたくさんして、遅刻をしないで、伝統を尊敬して、真面目で、というようなことを求められる。実際は私自身そんなことない。遅刻だって全然するし、除菌とかやりすぎだなって思うし。求められることが辛くなる。だからといって外国人駐在員向けのお仕事を探すと、私はシンガポールで生まれ育ったわけだから、また少し違う。」

 

私向けのお仕事がないんです。

帰国子女でさえも仲間がいる。アメリカに何年住んでいた。色んな国で育った。

そんなのはたくさんある。

でも複雑なのは、私が日本人としてシンガポールで生まれ育ったハーフだということ。

日本人だ、というにはマナーや道徳にあまりにも違いがある。

外国人だ、というには英語が話せない。

シンガポール人だ、というにはシンガポール人文化を知らない。

 

私はどこにも当てはまることができないし、あてはまろうとすれば「なぜそんなことをするの?」と思われる。

例えば、日本人だと思っていた人が急に片言の英語をネイティブみたいに話し始めたら、おかしいと思う人が多いと思うんです。

 

だから私は仕事をするためにも、皆の求める自分になる必要があった。

 

カウンセリング中にポロポロ勝手に出る涙を拭き取ることはあっても、

自分で話し始めながら、涙を必死にこらえながら、

彼女の前で話すのは初めてだったと思います。

こらえる、ということは誰にも言ってはいけないことだと

ずっと自分の中で思っていたんだな、と。

これがカウンセラーの言っていた「ずっと溜め込んでいた感情」

なのだな、と知りました。

 

8、どこまで努力をすればいい?

それを聞いたカウンセラーは、じゃあなんとか生きやすくなる方法を見つけよう、と言いました。

例えば、英語が下手なことで、受け入れてもらえないなら英語をうまくする、とか!と。

 

それに対して、私はなにかのスイッチがオンしたんでしょうね。

カウンセラーはそういうつもりで言ったわけではないのは理解していましたが、

多分ずっと心の中で思っていたことを言いたかったんだと思うんです。

スラスラスラーって口から出ました。

「私過去にそれをやったことあります。皆が私に英語を求めるなら英語を話そう、と。でも小1から勉強しているのに私の英語はまだこの程度。後何年勉強する必要があるのだろう。私はいつまで続ければいいなろう。なぜ私は頑張らなくてはいけないのだろう、と思ってしまいます。」

「今までも日本人として求められることはしました。敬語を使う、真摯な態度をとる。でも疲れたんです」

 

ごめんね、そういうつもりで言ったのではないの。

ただ、なにか方法があると思うから、一緒に頑張ろうって言うつもりで言ったの、と。

わかった上で話していたのですが、

そういう風に思わせたことを少し申し訳ない、と思った。

 

同時に、私の怒りは親や仕事に対するものではなくて、

自分が自分らしくいれる場所がないことに対しての怒りなのだと気付きました。

 

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今日は疲れていたのかな、カウンセラーの言っていたことをよく思い出せまん。

ただ、共感してくれていたのは覚えています。

そうなのか、と。

 

そして私自身私の生きづらさがどこから来るのかを少し理解できました。