私は日本人?
このブログを読んでいる方は知っているかと思いますが、
私はハーフです。
そして、シンガポールでずっと生まれ育ちました。
ちなみにシンガポールとのハーフではありません。
なんでこんなことを書いたかというと、
ずーっと話していますが、
香港留学を機に、私はいろんな悩みを持ち始めました。
スピードの遅さやら、人との違いやら、うつ病もどきやら....
アイデンティティもその一つで、
今日一人で何が今でも私を苦しめているんだろうって思った時に、
自分のアイデンティティについて思い浮かんできました。
これかあって。
これが私を苦しめていたのかって。
前も話しましたが、
日本語が母国語だったり、友人も日本人が多かったりと、
日本人として生きてきたんです。
そして、日本で暮らし始めて、
馴染むためにより日本人らしくなって、
その状態で香港に行ったんです。
周りからは、
「なんでハーフであることを隠したの?」
「思っていたより日本人」
「シンガポールの話好きだね」
なんて言われてショック受けたし、
自分自身も、こう、
やっぱり海外行くと、
海外あるあるを話して安心したいみたいなところあるじゃないですか。
日本人だけなのかはわからないけど、
香港のこう言うところあり得ないよね〜って話して、
今この状況がおかしいと思うのは自分だけじゃないって。
で、私も同じことをしたくなったんです。
それは日本文化に対してもそうだし、
シンガポール文化に対してもそうだし、
香港に対してもそうだし。
でもそれを共有できる人が私いなかったんです。
後は、自分はどこの人とも話せるって思っていたんですけど、
実際に話してみたら、
話せるけど、どこにも入れないんですよね。
シンガポール人からみたら、
私は外国人だし、
日本人と絡んでいても、
共感できないところが多かったりする。
中国人とか香港人は、
同じ中華系でも、なんかこう壁を感じた。
だから留学中に私すごい一人だなって感じたわけです。
そんな思いを抱えたまま、シンガポールに帰ってきて、
私は思っていたより自分は日本人ではなかったし、
日本人だと言われることや扱われることが嫌だ、と感じる場面も多かった。
でも私は日本人だと思って今まで生きてきたわけで、
でも一番心地いいなって感じる「人種」(差別になる?)は
他にいるわけで。
だから、こう、
なんだかわからないけど、
私は私なんだなって思ったんです。
後、そう思うことで自分もブロックしたかったんだと思います。
私が何人だろう、とか気になる人たちにどれだけ説明しても、
本当の私をわかってもらえないなら、
もういっそのことその人たちの思う私のままでいいやって思ったんです。
英語しか話せない、すごく外国人って思うなら、
もうそれでもいいや、と。
思えるようにはなったんですが、
実際に香港から帰ってきて、
多分自分が誰なのかわからない状態になっていたんだと思うんです。
日本人でもなければシンガポール人でもない。
今まで日本人らしく振舞ってきたけど、
もうその必要もない。
そしたら私はどう振る舞えばいいのだろう。
すごく基本的なことですが、
中華系文化では、奢ったり、食べ物をシェアすることが当たり前ですが、
日本文化では、割り勘と、個々で食べることが当たり前だと思うんです。
どちらが悪いとかなくて、
ただの文化の違いで、
だから私もその時にあわせて、割り勘したり、奢ったりしていたんです。
でも、一回中華系の人と日本人の方と一緒にご飯に食べに行ったんです。
すごく困りましたね。
食べ物をシェアすれば、あなたは中華系の人なんだねってなるし、
食べ物をここで食べれば、日本人なんだねってなる気がした。
そもそもどちらでもいい、というのが私の答え。
今ならシェアしようーって言えるし、
割り勘もおごりでもなく、多めに払うっていう方法をとるし。
自分でわかるようになったけど、
香港留学行った当時は、
そんなとこまで皆それぞれ自分のやり方があるんだって知って、
驚きました。
本題から離れてしまいました。
だからそんな感じで、自分が日本人であることに違和感を持ち続けていたわけです。
そして時間が経ち、
私は日本のパスポートを持っているけど、日本人になりきれない、ということを悟ったわけです。
そしてそれを知って、
私は心のどこかで親に対して申し訳ないって思ったのかもしれない。
私が小さい頃に、日本人幼稚園の方が制服かわいい、という理由で日本人学校に行き始め、
その後も何度か現地校に通わないか、と母に言われたけど、
全て拒否。
それは単純に私が日本人として生きたい、というか、
個人的に「日本人でいること」は一種のステータスに感じたんです。
だから選んだのですが。
今思うと、その決断のせいで母は大変な思いをしたんだろうなって。
日本語で皆何を話しているのかわからないのに、
ミーティングや面談に参加したり、
今まで会ったことのないママ友という人たちとも
円満に話さなければいけないし、
日本人学校はお弁当なので、
小学生から中学生までずっとお弁当を作ってくれたり。
しかも中身はゴリゴリの日本食。
私の母は、多分私の知らないところで、
私が日本人学校に馴染めるようにと、
頑張ったり、耐えたりしてくれたんだろうなって気がついたわけです。
もちろん母も日本語が話せることで
お仕事もらえたわけだし、
日本人学校に行って、母が日本語を学ぶ、ということは
悪いことではないと思う。
でもどこかで申し訳ないって感じていたのかもしれない。
私が母だったらきっと辛かったと思う。
子育てと家事でさえ大変なのに、
日本語を勉強したり、日本文化を理解して、
仲良くなろうとしたり.....。
そして私をその努力を無駄ではないけど、
日本人として生きることを止めようとしている。
なんだか申し訳なかった。
現地の調理学校に行って、シンガポール人に囲まれているし...笑
だから申し訳なかった。
それを考えると日本人でいなきゃって思う自分もいるのだと思う。
うん。