自分は人よりできない、と卑下する気持ちを克服したい
今日も少しネガティブな話が出てくるので苦手な人はスキップです。
どうしても自分は世間と比べて何をしても劣っているから、頑張ったところでどうにもならないという気持ちを拭えません。
だからこうやって今日は書くことで、少しでもその考えがなくなったらいいなと思っています。
ここに書いている理由は、やっぱりもっと頑張ろうって、努力をし続けるのってキャリア上でも大事だし、繋がると思ったので....
フリーランサーとして安定したい。
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私が自分のことを卑下するようになったのは香港留学の後から。
自分の言語力に自信があったのですが、留学に行くと、私よりも英語や中国語が話せる人がいて、私はショックを受けました。
対人能力も、なんか皆に嫌われるし、友達できないし、別に日本にいる人と合わないんじゃなくて、私の対人能力が低いんだと感じました。
皆みたいに政治の話はできないし、急に当てられてもちゃんとした答えが出せない。
何度も言うように周りからは、まあ偏差値の高い大学だから、色々と感覚が合わなかったんじゃないか、と言われています。
けど私は留学に行ったことで、自分には何も残っていない感覚になりました。
ハーフであることや帰国子女であることを鼻にかけていましたが、留学生活では得するどころか損することの方が多かったように思います。
ちょっと自分が誰に対しても勝てないって思うこと書きますね。
- 自分で判断して行動する力
- 自分の言いたいことを言う力
- 学ぶスピード
- 日本人らしさ
- 最善の判断をすること
- 知識量
- 対人能力
- 友人を作る力
- 周りを気にしない力
- 言語力
こんな感じですかね。
英語、中国語を他の人の方が話せていたことにショックを受けた、というよりは、私も時間をかけて学んできたし、なんなら国際学校に通っていたのに、
現地学校に通っていた人や大学で学んだ人たちに並んでいたことがショックでした。
私は二十何年、自分の言語力を褒められてきたのに、そんな私が眼中に入らないぐらい話せる人が多かったんです。
できる努力はしていたと思う。特に中国語は誰よりも勉強していたし、学ぶ意欲が高かった。なのに、負けていたんです。
並んでいたことがそもそもおかしいとも思った。
ハーフとハーフでない人、明らかにハーフの人の方が学ぶ環境は整っている。
もちろんハーフでない人の方が整っている場合もあります。
けどなんだろう、学びやすい環境に私はいたというか。
なんで私は負けたんだろう。
って思って、やっぱり地頭なんだろうなっていう考えにいきつきました。
言語も、私の場合、小さい頃に母の間違った英語や日本語で育ったせいなのか、文法がものすごく下手で。
なぜこんなところを何度も間違えるんだっていうことを言われたことがあります。
「優秀な人しかこの大学に来れないはずなんだけど...」って私の中国語力をみて言われたとき、すごく辛い思いになった。
私今、君は優秀じゃないって言われたんだって。自分でもわかっていたし、この留学も必死にアピールしてやっと入れたんだけど、面と向かって言われると悲しかった。
私、いい大学に入って自分も頭がいい気でいたんだなって思ったんです。
けど私、自分が思っている以上になんも変わっていないのかもしれない。
私はずっとこの思いを打破したかった。
打破したくて留学中もいろんなことに挑戦したけど、できなかった。
どうしても自分よりできる人を超えることができない。
自分よりも中学生ぐらいから日々積み重ねて勉強してきた人には勝てない。
...今こうやって話していてふと思いました。
そもそも私はなぜ勝っていなければいけないんだろう。
比較することは悪いことではないですが、
私はなぜ誰かよりも優位でなければいけないって思っているんだろうってふと思いました。
当時は思っていたんです、日本人で英語も中国語もこれぐらい話せる人いないだろうって。
けど、蓋を開けてみたら確かに3ヶ国語話せる人は少ないけど、英語が私よりもうまい日本人や中国語が私よりも上手い人はたくさんいるし、3ヶ国語全部綺麗に話せる人だっている。
中途半端にしか話せない私は正直そんなニーズないんですよ。
なんだろうね。
多分私は他の人よりも言語に時間をかけていたから、私よりも短い時間で私よりも得していることに悔しく感じているのかもしれない。
1言語学ぶ人よりも2言語学ぶ人の方が言語習得能力が遅いんですって。
現実的に考えてそうですよね、2言語学ぶ人の方が2倍時間を使わなくてはいけないし。
けど結局英語も中国語も話せる日本人が欲しいって人は、多分全部完璧に話せる人が欲しいのかな。
わからんけど。
話を戻すと、まあ、許せないし認めたくないのかもしれない。
十何年と勉強していた私をポッとでの人に奪われるような気持ちになるのが。
(実際はブランクもあって中国語を勉強したのは合計で4年ちょっと)
認めてしまったら、私には何も残らない気持ちになったんだと思う。
私から言語力を奪ったら...私はなんなんだろう。
社会に出たら、私の何を見て雇ってくれるんだろう。
ある意味留学で気づけてよかった。
でないと入社してから、私は言語力の高い人だからって天狗になっていたかもしれない。
この私のモヤモヤが消えないものかと思っていたわけで、
最近ちょっと心にくる言葉がありました。
深夜食堂っていう短編ドラマを最近見ているんですが、
漫画を描いている青年がなかなか売れる漫画を書けなくて、
漫画が嫌いになるっていうシーンがありました。
その青年は「僕から漫画を奪ったら、なにも残らなくなる」って泣くんです。
そしたら食堂の店主が「自分には何もないって思って、残ったのが漫画なんじゃないか?」と言います。
「何もないって思って」という部分に私は刺さりました。
私も自分には言語しかないって思っていたから、今自分は食に移って
食しかないっていう気持ちになったのかな。
ずっと何かにしがみついていないと、自分には何もないように思っていたのかもしれない。
実際私は大学に通っているときも周りを見てすごく羨ましかった。
皆何があるんですよ。
ミュージカルが好きで一生懸命やっているとか、音楽が好きでライブ活動しているとか。
それはもうそれがなくなったらとかっていうよりは、彼らの一部なんです。
なくならないというか。
そんなこといったら私の言語力もそうかってなりますか。笑
けどとりあえずなんだろう。
キラキラしているんですよ。
だからおそらくミュージカルとかしていなくても、彼らはキラキラしていて、
うまく言えないけど、それが全てって感じじゃない。
なにか一つのことをしていない人たちも、皆なにかあって。
うまく言えないけど、カリスマ性なのかな。
皆自分のカラーが出ている。
でも私はどうなんだろうって思ったり。
言語力が私の強みなら、それがなくなった私はなんなんだろう。
私に何が残るんだろう
なぜ私を雇いたいって思ってくれるんだろう。
それでですね、最近本読んだんです。マインドセットっていう本。
人には一度失敗すると、自分はもうダメだ、何もできなくなるっていう人と
失敗すると、そこからなにか学べた!って嬉しくなって再チャレンジする人。
私前者になっているんだろうなって思いました。
本の中でも言っていました。
人によって確かに優位なスキルや知識、文化背景などを持っている人はいるけど、だからといって学びを止めることはまた別問題、みたいなこと言ってた気がする。
私の中で誰かに勝っていなければいけない気持ちになっていたんだなってこの本を読んで思いました。
皆と比べたときにどこかで私は人よりも優れていなくてはいけない。
それは生まれつきというか、なにか自分は違う!というものを持っていなくてはいけないって。
けどその本の中でも
誰かがうまくいくと、それは生まれつきそういう才能があったからだと周りは思いたがる。
けど実は学びを止めなかったから得た成果だったりする。
ということを書いていました。
実際の出来事なども交えて書いているから、納得しやすかった。
もしかしたらそうかも?って思う気持ちと、
いや、そう思ったら私は何もない人になるっていう気持ちが
葛藤しています。
だって頑張った結果、私は言語力を伸ばすことができなかった。
それって結局また馬鹿みたいに頑張って、結果が出ないっていうのを繰り返して時間を無駄にしてしまうのではないか?って。
でも一つだけそれに対する答えが本にありました。
試験を受けて、毎回落ちて、自分はダメだっていう人いるけど、
そりゃあ受けるための勉強を事前にしなければ、
落ちるでしょっていうようなことが書いてありました。
それは確かに。
そしてもしかしたら私も頑張っているつもりになっていただけで、
ちゃんと知識がつくような勉強の仕方をしていなかったのかもしれないって思ったわけです。
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ちょっと長くなってきたので今日はこの辺にします。
また続きを今度かけたらいいな。