日本語

前にお話ししたかもしれませんが、

 

日本語を教えていて、

日本語が下手だと思われたことに凹んでいました。

 

というのも授業中に間違えて教えてしまったりしたことがあったんです。

といっても日本人でもどっちが正しいのか分からないけど、なんとなくこっちっていうのがあるように、

私もその感覚通りに、〇〇があるときはXXを使うかな、という感じで教えていました。

 

ただ〇〇でないときもXX使っているよ?と言われて、

確かにってなって言葉に詰まることがあったわけです。

 

夫婦を教えていたのですが、

それが何回か続いたある日、

私の日本語力をといてきました。

 

ひらがなはこう書くんだよって教えると、

「いや、私はこんなふうに学んだ」

「こんなひらがな見たことない」と。

 

これはショックでした。

確かに間違えて教えることはありましたが、

自分の日本人力を疑われることになるとは思わず....。

 

中学2年生までは日本教育でしたし、

英語教育に切り替えた後も、

日本に通う生徒たちと同じ読み物や漢字のトレーニングはしていました。

日本人も多かったので、日本語で話すことが多かったぐらい。

 

ひらがな、カタカナを小さい頃から学んでいる私にとって、

あなたの平仮名は違う、という言葉は結構ショックでした。

 

ただ私もなぜ二種類あるのかって答えを出せないんですよ、

そういうふうに育ってきたから、

その場で答えを出すことはできず、

ただどちらも合っているというふうにしか言えないんです。

 

そしたら次は夫の方が授業中に日本語を学べるアプリを取り出して、

そこから発音や学んだことを調べたりするようになったんです。

 

本当に泣きそうでした。

私も時間をかけて教える教材を準備をしていますし、

どうすればわかりやすいかな、

どういう質問がくるかな、など

様々なことを考えて用意しています。

 

授業に全然集中してくれない、

私の言ったことを疑ってくる、

 

正直気持ちが限界でした。

 

それでもどこかで、もし私が純ジャパだったらって思うんです。

もし私が日本でずっと生まれ育っていたら、

恐らく私が何度間違えても、

日本人だから考えたことがないんだな、で終わると思うんです。

 

こんなふうに日本語のアプリを目の前で出して調べ出したりしなかったと思うんです。

それがすごく悔しかった。

 

新卒入社したときも、

自分では特に、日本人だ、シンガポール人だ、こっち側の人たちとだけ

仲良くする、といったことはしなかったんです。

けど日本人として育ってきたし、シンガポールで生まれ育ったわけで、

それを否定されたり、お前は違うって言われると

言葉が出ないんです。

 

あなたの日本語はおかしい、と言われてしまったら、

私はそんなことないっていうには説得力が弱い。

 

それが辛くて。

皆に自分がこういう人だっていうのを証明するために、

日本語力を証明しなくては行けないの?っていう。

 

これはブログのライティングにも影響しました。

書いたものを妹に見せたのですが、

何が言いたいのかはっきりしていない、

日本語がどこかおかしいと言われたんです。

 

もし私が純ジャパだったら、

もっと日本語がうまくて、

もっと疑われないで、

もっと自信を持って教えたり書いたりできたのかな。

 

そう思うと、

自分がハーフであること、

シンガポールで生まれ育ったことなどが辛く感じました。