アイデンティティクライシスについて

このトピックについてちゃんと話すのは初めてな気がする。

 

でも、自分のうつ病を乗り越えて、仕事をしていく上で、避けては通っていないトピックだと感じたので話していきたい。

 

かなりプライベートでセンスティブなトピックになるので、

日本を悪く言っている(言うというよりは、そういう表現が含まれるかもしれないです)のが苦手だという人はスキップしてください。

 

とても長くなります。

 

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この日記を長年見ている人は知っていると思うんですが、

私は中華系マレーシア人と日本人とのハーフで、

さらにシンガポールで生まれ育っています。

 

けど日本教育を受けているし、国籍は日本で、どちらかというと日本人です。

 

これを言ったときに理解してくれる人って少ないんだな、と。

大学生のときの留学で知りました。

 

私にとって国籍って性別、身長、体重、年齢みたいなもので、

日本人ならこういう特徴はあるかもしれない、と思うことはあっても、

日本人だからおそらくこう、といった考えはなかったです。

 

でも、留学に行って日本好きの香港留学生と会ったとき、

〇〇さん!とニコニコと日本語で話しかけられてゾワっとしました。

 

外国人と日本語で話すという行為がおかしく感じたんです。

例えるなら、日本人同士なのに、相手が自分を韓国人だと思って、

韓国好き!韓国の文化こうだよね!と韓国人を褒めちぎってくるような感じです。

 

多分実際にそんなこと起きたら

「あ、私日本人です」で終わりますけど、

私の場合日本人なので...

「私シンガポールで生まれ育ったんだ」と言っても、あまり理解してもらえませんでした。

 

むしろ日本人なのに、シンガポールの話をよくするな、という目で見られることが多かったように思います。

 

ちなみにこれが日本人でなく、香港人同士であれば、もう少し低めの声でカジュアルに話します。

 

英語で話し合うような人たちが、私が日本人というだけで日本語で日本人らしく振る舞ってきた。

ある意味壁を作られたような気持ちになりました。

 

これは香港人との間だけではなく、日本人との間でも感じた違和感です。

 

私の性格そのものも少し変わっているというのもありますが、避けられることが多かったです。

 

初めて会って話すのに、スルー。

初めて会ったときは、避けたのに私がどんな背景で育ったのかを知ってから馴れ馴れしくしてくる。

 

すごくショックでした。

もしただ単に私が気に入らないならまだいいのですが、

「なんだこういうことか」と態度を変えられたときに、

見えている部分だけで、私を判断する人もこの世の中にいるんだと初めて知ったんです。

 

皆がそうとは限らないけど、そういう人がこの世の中にいる。

この世の中は自分が思っているほど暖かくない、私ほど広い視野で物事を見れない。

私も差別されるんだ。

 

と当時は思いました。

それぐらい今まで帰国子女や理解のある人たちに囲まれて育ってきた。

だから帰国子女などは少数派だと知っていても、

まさかここまで少数派だと、留学に行くまで気づかなかったです。

 

怖くなったんです。

今まで私はなんとなくどの国のことも分かっている気でいました。

 

きっと今はこういうことを思っているんだろうな、

こう感じているからこういう行動をするんだろうな。

 

けどシングリッシュシンガポールの英語)は分からないし、

日本で生まれ育った日本人の気持ちは分からない

マレーシア文化なんて尚更分からない。

 

私が知っているのは、この帰国子女という枠だけでした。

普通の帰国子女でさえも、日本で生まれ育ったし、生粋の日本人であることが多いので、日本の感覚がわかる。

 

私はそうではない。

 

私はずっと自分を帰国子女のようなものだって思っていたけど、

帰国子女でもない。

海外で生まれ育ち、日本にくる人を海外子女と呼ぶけど、

それでもない。

私の文化背景を説明できる名称がないんです。

 

もしかして私のこの感覚を理解できる人、私が何者かを理解できる人は世界中で一桁%にしか満たないのかもしれない。

 

「日本語上手だね」

トリリンガルすごいね」

「この漢字わかる?」

シンガポールの歴史は詳しいのかもしれないけど、日本の歴史も理解してほしい」

 

なにげない言葉に私は心底今まで「違うんだけどなあ」って思いながらも流せていたのに、

自分を理解できない人の方が多いんだと知ってから、感覚が変わりました。

 

現地のカウンセラーにも自分の文化について話したこともあります。

「英語も中国語もペラペラだと、そんなこと言っていないのに勝手にそう思われて期待されてガッカリされる」

「けど私もたまに雇用されるために、英語と中国語が話せるということを言う(期待に応えたくて)」

 

すると、じゃあ、あなたもあやかっているんじゃないの、と言いました。

 

そう思われても仕方なかったけど、yesもnoも言う前に

あなたは英語話せるんでしょ?中国語話せるんでしょ?

話せるってことはペラペラなんでしょ?

という前提で話されたときに、そんなことないよーと否定するのはなんか難しい。

 

しかももしここでそんなことない、と言ったら、

私を雇うメリットはどこにあるんだろうか。

 

シンガポールのことも、マレーシアのことも分からない。

日本文化のために雇いたいなら、日本で生まれ育った英語がペラペラな帰国子女なんてたくさんいる。

日本人ならなおさらいる。

 

英語、日本語、中国語が話せる人は意外とたくさんいる。

日本で暮らしている中国人なんてたくさんいる。

 

留学に行くまで、私はハーフであること、シンガポールで生まれ育ったこと、日本人であること、日中英がまあまあ話せることが誇らしかった。

 

けど日中英なんて話せる人なんてたくさんいる。

どこの文化も中途半端に理解している。

 

そんな人材が欲しいと言う人はどこにいるんだろうか。

 

もし私が「日英中が話せて、シンガポールのことも理解している日本人」だったらおそらく雇ってくれるところはたくさんある。

 

大学生の頃はそういう人になろうと、

私自身、皆の思うような人材になることで褒められたいというのもあったと思う。

対人関係がうまく行くように、色々としてみて、

日本人社会に溶け込むように、

そして英語と中国語の勉強を重ね...

 

けど留学をしたときに、今でも忘れない会話があります。

あるパーティーの帰り道にマレーシア人の人に

「私もマレーシアとのハーフなんだ!」と言ったら

「なぜそれをさっき自分を紹介していたときに言わなかったの?」と聞かれました。

 

私はそれに答えることができませんでした。

日本にいた頃、私は周りにシンガポールにいた日本人だと言っていました。

そのほうが周りを混乱させることなく、自分がどう言う人なのかを理解してもらいやすかったからです。

 

なぜ言わなかったのか?

おそらくそれが板についていたのもある。

けど本当は私自身、自分の文化背景を伝えることで「あなたは違う」、日本人ではないと区別されることを恐れていたのかもしれないです。

 

話がどこにいくのか分からなくなってきましたね。

 

私は思っていたよりも人と違った、という話です。

そして私を理解できる人も少ないということです。

そして差別をする人もいる...ということです。

 

この事実に私は向き合うことがずっとできませんでした。

今でもどう向き合えばいいのかわかりません。

 

日本文化を理解しようと思って、新卒のときにゴリゴリの日系企業を選びましたが、

余計に日本文化が理解できず嫌いになるだけでした。

 

私を日本人として雇ったのに、

自分の思い通りに動かなかったら、彼女は日本人ではないから、となり、

区別される。

 

そのおかげで、声を大にしては言えませんが、日本人アレルギーというか、

日本人の方を見ると、頭が勝手に拒絶反応を出すようになっています。

 

日本人ではないからっていうのは、

人格否定のように感じるんです。

 

確かに皆と違うように育ってきたけど、私は日本人だっていう意識があって、

それを

日本語が下手だから違う、

マナーを理解していないから違う、

って言われるのって辛いです。

 

シンガポールで生まれ育ったから、って言われるならまだしも、

あなたは日本人ではないと言われるのはショックでした。

 

でもこの気持ちを長年どこにぶつけていいのかわかりませんでした。

きっと私のこの気持ちを理解できる人は少ない。

話したところで、どこが問題なのかおそらく分からない。

ずっと溜めてきました。

 

留学に行かない方がよかったかもしれない。

そしたら私は、自分が日本人であることを疑わず、

オフィスで日本人ではないと言われても

「なんなんだあいつ」って思えたかもしれない。

 

皆の感覚がおかしいんだって自分を強く持つことができたかもしれない。

自分が英語、日本語、中国語と3ヶ国語話せることを続けて誇りに思えたかもしれない。

 

香港留学を終えてから、人付き合いが難しくなった。

もう誰かのために日本人でいる必要はなくなった。

香港で変に日本人扱いされるのも嫌だったし、

私に「なぜハーフであることを言わなかったの?」と言う人もいたわけで。

 

その大学、すごく広いんですが、私みたいな文化背景を持つ人はいたし、

私よりも珍しい人もいました。

 

けど皆隠さないんです。

自分が誰なのか、どういう背景で育ったのかを隠さない。

それってすごく強くてかっこいいことだと思いました。

 

後もう一つ話したいことがあります。

 

ずっと日本人らしくいたのかっていうとそうではなくて、

マレーシア人といるときはマレーシアらしく振る舞うし、

シンガポール人といるときはシンガポールらしく振る舞う。

 

臨機応変にその場その場で言動や態度を変えていた部分もあります。

私は対応できる自分をかっこいいって思っていました。

各文化がわかっているからこそできることだと、思っていました。

 

けど色んな人から刺激というかショックを受けてから、

皆には細かいところまで自分がいることを知ったんです。

 

例えば、ご飯を食べる、という行為でも、

大皿に料理を盛って、皆で食べるのか、

各自一人前を食べるのか、

どっちの方がいいのか、ということにおそらく皆は答えられるけど、

私には難しい質問です。

 

何を大切にしているのかで変わってくるし、どうしたらそれを大切にしていることが伝わるのかで違う。

けどおそらく皆はそこまで考えていない。

おそらく「これはこっちでしょう!」って選ぶことができる。

 

私はこのレベルで自分の意見がないんです。

本当はどうしたいのかっていう意見がないんです。

 

今相手が日本人だからこういう話し方をする。

けど本当の私はどうしゃべりたいんだろう?

 

今こういうことをした。

けど本当の私はしたいと思ってしたこと?

 

そして厄介なのが、自分がどういう行動を起こすかで周りの目が変わること。

おそらく私が大皿で料理を出したら、おそらく、あ、外国人っぽいって思われる。

一人前を出せば、あ、日本人っぽいって思われるかもしれない。

 

そうやってまた自分の国籍や文化背景を動作で決められることは辛い。

 

私はどこで何を感じて、自分が誰なのか分からなくなったのか、

まとめて伝えることができないぐらい、私は今でも感情の整理ができていないからです。

 

香港に行って良かったって思えるにはもう少し時間がかかりそうです。

けどこうやって自分の思っていることを打ち明けることで、

自分の問題を整理して、次に進めたらなって思います。

 

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おそらくこの先も同じトピックで書くことはあると思います。

 

自分のこの経験をいつか本にできたらなーなんて思うこともありますが、

それは自分が誰なのか、勇気を持って言えるようになってからになりそうです。