Under-rated (もっと評価されてもいいのに)

フリーランスとしてやっていくのに、お金が大切だって話をしていたわけですが、

全然お金が大切だっていう気持ちが沸かないんですよね。

 

お金の大切さが分かっていないからなのかなって思っていたんですけど、

 

今日父と話してなるほどって思いました。

 

父が言ったんです。

 

お金をもらうことが悪だとか、なんかすごいもんだと思わずに、自分がしたことへの評価だって思うと、いいんじゃないかって。

 

お金をもらいすぎている、お金をもらえていないって思ったら、

じゃあその金額をもらうための努力をするか、転職をしてもらえるところに行くものだから、そんな深く考えなくてはいいんじゃないかって話でした。

 

最初は私もなんか納得いかなったんですけど、

聞いていくうちになんか働く気力が出てこない理由が分かってきた気がする。

 

私、新卒で入社した企業、いつもお金をもらいすぎているって感じていたんですよ。

けど父の話を聞いて、いや、私はもらえなさすぎていると考えていたのかもしれない、と思い始めました。

 

私の月収を暴露すると24万円でした。

新卒では平均的で、私の日本で働く新卒の子達と比べると結構上からのスタートです。

 

当時はシンガポールで働くから、あげる給与の量が違うだけで、ラッキーって思っていたのかもしれない。

 

けどいざ働くと自分のするお仕事の責任の重大さを知りました。

私のミスで、全体の流れを止めてしまう。

損失が出てしまう。

なにより、それで周りに迷惑をかけるのが辛かった。

 

もっと言うと、私のお仕事は見積もりを作るだけだと思っていたのですが、

上司達はまた違ったお仕事を、成長したらやらせようと思っていたみたいです。

 

それを知らなかったこともあるし、なんか思っていたよりもやること多かったというか。

 

社会人ってこんなに色々任されるんだなって思ったわけです。

 

ここからが私の記憶からすっぽ抜けていたところ。

こんなに責任が重いのに24万円でやってられかっていう気持ちはありました。

 

知らなかったんですけど、駐在員って自動的に現地の人の上司になるわけですよ。

私よりも何年も働いている人の上に、新卒の私がいくわけです。

 

でも私の中で皆より年収が高いのは、言語能力があって日系企業として日本人がいいという理由だけであって、自分の地位は関係ないと思っていたから、

企業側からしたら、やってほしい業務をこなしきれていないって感じていたと思う。

 

こんなにやることがあるなら、もっともらいたい、32万円はないとやれないって言うのが当時私の思っていたことでした。

 

けど一方で、私よりも年収が低いのに、私よりもきっちり仕事をこなす人ばかりなんです。

 

まあ、ちょっと携帯いじって、ゲームするとかそういう人もいるけど、

任された仕事はちゃんとするし、

私の後任もハーフで、私よりも人とのコミュニケーションが上手で、

仕事もできて、それでも私は大卒で日本人であるだけで年収が彼よりもかなり上だったわけです。

 

不公平だなって思いました。

 

私よりも真剣に仕事をして、成果を出している人たちがいるのに、

なぜ私は彼らよりもお金をもらっているんだろう。

 

私はこのお仕事をするのに32万円欲しい。

けど皆は同じ仕事を20万円とかでもすると思う。

 

申し訳ないって言う気持ちが生まれたんだと思う。

 

皆はこの給与をもらって仕事をすれば喜ぶのに、

仕事を満足にできていない私がもっともらいたいっていうのは、

傲慢なことだと思いました。

 

その頃からかもしれない。

お金に興味を失ったのは。

 

どれだけ頑張っても、自分の頑張りが自分の思うほど評価されない。

評価されないし、私以上に頑張れる人がいるなら、

私を雇うメリットが見つからなくなったのかもしれない。

 

仕事を辞めた一つの理由も、あまりに不公平だったからです。

なぜ頑張っている人がより、評価されないんだろうって、

今の頑張りだったら、恐らく彼女達に24万円を渡した方がいい。

 

けど一方で、自分がどれだけ頑張っていても、

頑張るだけで評価が出なかったら、評価されない。

ただ前よりマシになるだけでは満足しない。

 

この先もずっと自分の頑張りに値する評価が出ないなら、

なんのために私は働いているんだろう

 

多分本音はこれなんだろうなって父と話して思いました。

けど一方でそう思うことへの申し訳なさも合ったから、

うまく自分の中で気持ちが整理できなかったのかも知れない。