私が私であっていい

なんども書いていますが、

 

私は

日本人らしくいなければ、

高学歴らしくいなければ、

普通でなければ、

と考えることがたくさんありました。

 

でも私自身は自分らしくいたいし、

ありのままの自分を受け入れて欲しい。

 

ただどこかで、周りの人はそんな私を受け入れない、

そんなんだと社会に溶け込めない、ということをじわじわ感じていたのです。

 

それは前職で研修をしていた時に

「何あの子」って目で見られたときに思ったし、

仕事ができないこと、自分と同じ、似た感覚を持つ人が周りにいないことを

感じて気づきました。

 

実際に、私の性格はマイノリティだと思う。

皆がAがいいっていうのに対して、私はCがいい、と答えるような感じだと思う。

 

一人でいるのもすごく好きで、

性格も人種とか関係なく、考えていることぶっ飛んでいると思う。

 

でもそれが私で、

自分でもどうすればいいのかわからなかった。

 

昔カウンセラーの方が言っていたように

中間を取ればいいのだろう、と思って、

ずっと頑張っていたけど、

 

終わりが見えない。

 

大学に在学しているときから、

思っていました。

「私働けそうにない」

 

企業で働いている私が思い浮かべられないんです。

ミスをたくさんするから、たくさん怒られていそう、とか

「成功している私」を思い浮かべられないのではなくて、

ただ本当に真っ白というか。

 

唯一思い浮かべられたのは、

写真家としてカメラを首にぶら下げて、

いろんなところを歩き回っている自分でした。

 

写真取れるわけでもないのですが笑

 

でもその時から多分自分の中でわかっていたんだと思います。

私多分企業で働く型ではないことを知っていながらも、

認めたくなくて、

皆と一緒でありたくて頑張ってみたのだと思います。

 

私の頑張り方が間違っているからだ、

私がずっと甘やかされてきたからだ、

っていうのも事実だけど、

そうではない部分というか、

私が私である部分までを否定され続けてきたから

余計に辛かったんだと思います。

 

だから企業で働いているときも、

アルバイトで働いてるときも、

自分を誰かに変えなければいけないという気持ちでいっぱいだったのだと思います。

 

そうでなければ普通ではない。

普通に彼氏ができて、

普通の収入をもらって、

普通の友達を作って、

普通の人生を送ることができない。

 

普通ではないことがいかに苦痛かということを身を以て知ったからかもしれない。

そして、私がこうなっているのは偏屈になっているからで、

頑張れば私も普通に幸せに送れるかもしれないと思っていたからです。

 

でも大学を卒業して、

仕事を辞めて、

調理学校に通って思ったのは、

 

頑張りすぎているということ。

馴染もうと頑張っているのにもかかわらず、

なかなか馴染めずにいること。

 

きっと努力がどうのこうのではなくて、

もう私の限界がここまでなのかもしれない。

 

もっと頑張ることはできるかもしれないけど、

このまま合わせてばかりの人生でいいのだろうかと

ふと思うことがある。

 

そして、実際に思ったのは、

合わせないと仕事ができない、と思っていたけど、

そういう環境にいたからなんだな、とも思った。

 

あれだけ散々「あなたは日本人として生きた方がいい」と

日本人らしくすることを何度も強調されていたし、

日本人でない人たちからも「日本人」として接せられてきた。

 

でも今のインターンシップではそういうことがなくて、

私がどんな人なのかを見てくれている。

仕事に対する姿勢も、

仕事としてプロ意識を持つだけではなく、

好きだからよくなりたい、という気持ちを持って

調理をしている人たちもいる。

 

世間一般の企業がこういう私を求めていたとしても、

そうではない私自身がいれる場所が少なからずあるんだなと思えました。

 

世間一般と違う=全く違う働き方をしなければいけない。辛くなければいけない

 

と思わなくていいと思ったときに、

力が少し抜けました。