日本人になりたかった

でもそういう苦しいことが起こることはわかっていた。

 

日本人学校や、田舎の方にある県立中学校にも行って、

「日本人とはどういうものなのか」ということはわかっていた。

私も自分がどれだけ「日本人」と相性が悪いのもわかっていた。

 

それなのに私はゴリゴリの日系企業に勤めることにしました。

 

もちろん私が日本人である以上、

日本人としての最低限マナーを求められたり、

正しい日本語を使うことを求められたりすることが多くなる。

 

シンガポールと日本の架け橋をやるなら、

なおさら日本文化を根っこのところから理解しなくてはいけない。

 

でも、今冷静になって思うと、

理由はそれだけではなかったかもしれない。

 

どこかで、私は日本人の一員になりたかったのかもしれない。

日本人として生きてきたのに、日本のことがわからない、と思われたくなかった。

 

たったそれだけのことで「あなたはじゃあ外国人ね」って判断されたくなかった。

日本人である証明をしたかったのかもしれない。

 

そして、その証拠に

私と同じようにある外国でずっと生まれ育った日本人の子が

同期にいた。

しかも同じ大学、同じ学部から。

 

私の学部は国際色の強い人たちが集まっているので、

日本で生まれ育った外国人、ずっとアメリカに住んでいた帰国子女、

いろんな国を転々とした人など色々いる。

 

それでも、ずっと同じところで生まれ育った日本人で、

英語が話せて、日本語も話せる人は、

私の知っている限りでは、学部内で私とその人だけだった。

 

なのにいくつもある企業の中で私もその人も同じ、

ゴリゴリの日系企業を選んだ。

 

きっと理由は一緒だったと思う。

日本人になりきれないなら、

なりきるために努力したいっていう部分もあったんだと思う。

 

感覚を知りたかった。

なんでこんなことで怒るんだろう。

なんでこんな行動に出たのだろう。

 

知ることで、私も日本人であることに自信を持てたんだと思う。

 

でも結局研修も行って、

ゴリゴリの日系企業で働いてみて、

私は彼らになれないと思った。

 

根本的に違うんです。

 

私も日本人だけど、

彼らの思考はまさしく日本というか。

 

研修に行ったことで、

あ、この瞬間はこんなこと考えているんだって理解できたけど、

あまりにも闇が深い。

 

なんでここまで深く考えるんだろう。

なんでこんな競争心丸出しなんだろう。

 

どういうことを考えているのかわかるようになっても、

私の中にそれをインプットするのは辛かった。

 

生きづらそう。

そうなりたくない。

うまい具合に取り入れるというか、理解するだけで、

私は干渉したくなかった、

 

でもその度合いが難しくて。

ちょっとポエマーっぽくなりますが、

 

こう引き摺り込まれていくような気持ちだったんです。

日本人になることによって、

私らしさがなくなっていく感覚があって、

それがとても恐ろしかったです。

 

これは社会人として覚えたほうがいいの?

それとも日本だから覚えたほうがいいの?

ってことでも悩んだ。

 

社会人として我慢したほうがいいのか、

日本だから我慢したほうがいいのか。

 

そもそも社会人らしい振る舞いって何。

 

すごい悩みました。

自分のあり方に、すごい悩みました。

 

私はゴリゴリの日本人が嫌いです。

でも私はどこかで憧れていたのかもしれない。

 

私も性格的に合わなかっただけで、

そうでなければ私も一員になりたかったのかもしれない。

 

でも、どうやっても私は一部になれない。

それは研修でスルーされることが多くなったり、

裏で色々と言われたりして、

今になってわかりました。

 

そして一部にならなくったって、

自分と同じ考えを持つ人が他にいなくたって、

ハッピーでいるには、

私は私であることが大事なんだとわかりました。

 

私に日本人らしさを求める人も多くいるけど、

結局そんなことしたって本当の私にはならないし、

結局辛くなるんだと思う。

 

そして、なんだかんだ言いながらも、

私はこの企業に入ることで色々と学びました。

 

自分の作業スピードが遅くて、ミスも多くて、

それに対する対応策、

人との協調の仕方

(今まで本当に誰かに合わせるってことをしてこなかった)

もっと気楽に考える方法

 

そこは入ってよかったと思う。

 

戻ることはないだろうけど。笑

 

会社辞めてよかった。

 

どんどん自分の中に溜まっていたどす黒いものが流れていく感じがする。