自分は人よりできない、と卑下する気持ちを克服したい

今日も少しネガティブな話が出てくるので苦手な人はスキップです。

 

どうしても自分は世間と比べて何をしても劣っているから、頑張ったところでどうにもならないという気持ちを拭えません。

 

だからこうやって今日は書くことで、少しでもその考えがなくなったらいいなと思っています。

 

ここに書いている理由は、やっぱりもっと頑張ろうって、努力をし続けるのってキャリア上でも大事だし、繋がると思ったので....

 

フリーランサーとして安定したい。

 

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私が自分のことを卑下するようになったのは香港留学の後から。

 

自分の言語力に自信があったのですが、留学に行くと、私よりも英語や中国語が話せる人がいて、私はショックを受けました。

 

対人能力も、なんか皆に嫌われるし、友達できないし、別に日本にいる人と合わないんじゃなくて、私の対人能力が低いんだと感じました。

 

皆みたいに政治の話はできないし、急に当てられてもちゃんとした答えが出せない。

 

何度も言うように周りからは、まあ偏差値の高い大学だから、色々と感覚が合わなかったんじゃないか、と言われています。

 

けど私は留学に行ったことで、自分には何も残っていない感覚になりました。

 

ハーフであることや帰国子女であることを鼻にかけていましたが、留学生活では得するどころか損することの方が多かったように思います。

 

ちょっと自分が誰に対しても勝てないって思うこと書きますね。

  • 自分で判断して行動する力
  • 自分の言いたいことを言う力
  • 学ぶスピード
  • 日本人らしさ
  • 最善の判断をすること
  • 知識量
  • 対人能力
  • 友人を作る力
  • 周りを気にしない力
  • 言語力

 

こんな感じですかね。

英語、中国語を他の人の方が話せていたことにショックを受けた、というよりは、私も時間をかけて学んできたし、なんなら国際学校に通っていたのに、

現地学校に通っていた人や大学で学んだ人たちに並んでいたことがショックでした。

 

私は二十何年、自分の言語力を褒められてきたのに、そんな私が眼中に入らないぐらい話せる人が多かったんです。

 

できる努力はしていたと思う。特に中国語は誰よりも勉強していたし、学ぶ意欲が高かった。なのに、負けていたんです。

 

並んでいたことがそもそもおかしいとも思った。

ハーフとハーフでない人、明らかにハーフの人の方が学ぶ環境は整っている。

もちろんハーフでない人の方が整っている場合もあります。

けどなんだろう、学びやすい環境に私はいたというか。

 

なんで私は負けたんだろう。

って思って、やっぱり地頭なんだろうなっていう考えにいきつきました。

 

言語も、私の場合、小さい頃に母の間違った英語や日本語で育ったせいなのか、文法がものすごく下手で。

なぜこんなところを何度も間違えるんだっていうことを言われたことがあります。

 

「優秀な人しかこの大学に来れないはずなんだけど...」って私の中国語力をみて言われたとき、すごく辛い思いになった。

 

私今、君は優秀じゃないって言われたんだって。自分でもわかっていたし、この留学も必死にアピールしてやっと入れたんだけど、面と向かって言われると悲しかった。

 

私、いい大学に入って自分も頭がいい気でいたんだなって思ったんです。

けど私、自分が思っている以上になんも変わっていないのかもしれない。

 

私はずっとこの思いを打破したかった。

打破したくて留学中もいろんなことに挑戦したけど、できなかった。

 

どうしても自分よりできる人を超えることができない。

自分よりも中学生ぐらいから日々積み重ねて勉強してきた人には勝てない。

 

...今こうやって話していてふと思いました。

 

そもそも私はなぜ勝っていなければいけないんだろう。

 

比較することは悪いことではないですが、

私はなぜ誰かよりも優位でなければいけないって思っているんだろうってふと思いました。

 

当時は思っていたんです、日本人で英語も中国語もこれぐらい話せる人いないだろうって。

けど、蓋を開けてみたら確かに3ヶ国語話せる人は少ないけど、英語が私よりもうまい日本人や中国語が私よりも上手い人はたくさんいるし、3ヶ国語全部綺麗に話せる人だっている。

 

中途半端にしか話せない私は正直そんなニーズないんですよ。

なんだろうね。

 

多分私は他の人よりも言語に時間をかけていたから、私よりも短い時間で私よりも得していることに悔しく感じているのかもしれない。

 

言語学ぶ人よりも2言語学ぶ人の方が言語習得能力が遅いんですって。

 

現実的に考えてそうですよね、2言語学ぶ人の方が2倍時間を使わなくてはいけないし。

けど結局英語も中国語も話せる日本人が欲しいって人は、多分全部完璧に話せる人が欲しいのかな。

 

わからんけど。

 

話を戻すと、まあ、許せないし認めたくないのかもしれない。

十何年と勉強していた私をポッとでの人に奪われるような気持ちになるのが。

(実際はブランクもあって中国語を勉強したのは合計で4年ちょっと)

 

認めてしまったら、私には何も残らない気持ちになったんだと思う。

私から言語力を奪ったら...私はなんなんだろう。

社会に出たら、私の何を見て雇ってくれるんだろう。

 

ある意味留学で気づけてよかった。

でないと入社してから、私は言語力の高い人だからって天狗になっていたかもしれない。

 

この私のモヤモヤが消えないものかと思っていたわけで、

最近ちょっと心にくる言葉がありました。

 

深夜食堂っていう短編ドラマを最近見ているんですが、

漫画を描いている青年がなかなか売れる漫画を書けなくて、

漫画が嫌いになるっていうシーンがありました。

 

その青年は「僕から漫画を奪ったら、なにも残らなくなる」って泣くんです。

そしたら食堂の店主が「自分には何もないって思って、残ったのが漫画なんじゃないか?」と言います。

 

「何もないって思って」という部分に私は刺さりました。

私も自分には言語しかないって思っていたから、今自分は食に移って

食しかないっていう気持ちになったのかな。

ずっと何かにしがみついていないと、自分には何もないように思っていたのかもしれない。

 

実際私は大学に通っているときも周りを見てすごく羨ましかった。

皆何があるんですよ。

ミュージカルが好きで一生懸命やっているとか、音楽が好きでライブ活動しているとか。

それはもうそれがなくなったらとかっていうよりは、彼らの一部なんです。

なくならないというか。

そんなこといったら私の言語力もそうかってなりますか。笑

 

けどとりあえずなんだろう。

キラキラしているんですよ。

だからおそらくミュージカルとかしていなくても、彼らはキラキラしていて、

うまく言えないけど、それが全てって感じじゃない。

 

なにか一つのことをしていない人たちも、皆なにかあって。

うまく言えないけど、カリスマ性なのかな。

皆自分のカラーが出ている。

 

でも私はどうなんだろうって思ったり。

言語力が私の強みなら、それがなくなった私はなんなんだろう。

私に何が残るんだろう

なぜ私を雇いたいって思ってくれるんだろう。

 

それでですね、最近本読んだんです。マインドセットっていう本。

人には一度失敗すると、自分はもうダメだ、何もできなくなるっていう人と

失敗すると、そこからなにか学べた!って嬉しくなって再チャレンジする人。

 

私前者になっているんだろうなって思いました。

 

本の中でも言っていました。

人によって確かに優位なスキルや知識、文化背景などを持っている人はいるけど、だからといって学びを止めることはまた別問題、みたいなこと言ってた気がする。

 

私の中で誰かに勝っていなければいけない気持ちになっていたんだなってこの本を読んで思いました。

皆と比べたときにどこかで私は人よりも優れていなくてはいけない。

それは生まれつきというか、なにか自分は違う!というものを持っていなくてはいけないって。

 

けどその本の中でも

誰かがうまくいくと、それは生まれつきそういう才能があったからだと周りは思いたがる。

けど実は学びを止めなかったから得た成果だったりする。

ということを書いていました。

実際の出来事なども交えて書いているから、納得しやすかった。

 

もしかしたらそうかも?って思う気持ちと、

いや、そう思ったら私は何もない人になるっていう気持ちが

葛藤しています。

 

だって頑張った結果、私は言語力を伸ばすことができなかった。

それって結局また馬鹿みたいに頑張って、結果が出ないっていうのを繰り返して時間を無駄にしてしまうのではないか?って。

 

でも一つだけそれに対する答えが本にありました。

 

試験を受けて、毎回落ちて、自分はダメだっていう人いるけど、

そりゃあ受けるための勉強を事前にしなければ、

落ちるでしょっていうようなことが書いてありました。

 

それは確かに。

 

そしてもしかしたら私も頑張っているつもりになっていただけで、

ちゃんと知識がつくような勉強の仕方をしていなかったのかもしれないって思ったわけです。

 

*************

 

ちょっと長くなってきたので今日はこの辺にします。

また続きを今度かけたらいいな。

 

新卒の頃の話がまたしたい

なぜこんなにも新卒の話がしたいかというと、

会社に馴染むために私は初めて自分がいいと思わないことを取り入れてみました。

 

過去だったら、自分が道徳的にこれは正しくない、と思ったら避けて、

分かり合える人とだけ関わってきました。

 

けど新卒の研修にて、

想像以上に考え方がドライで、

全く分かり合えない人が多くて、

それをうまく消化できないまま今まで過ごしてきた感じです。

 

それで今日友達と話していたときに、新卒の話を少ししたんですけど、自分でびっくりするぐらい声にドスがかかっていました。

 

だからいわば新卒のときに感じていた鬱憤をこの場を借りて発散したいと思います。

 

不快になるかもしれないのでこの先は読みたい人だけ読んでください。

 

********

友達に話したことをまず話しましょう。

 

友達と私で、一緒に定期的にご飯を食べにいける友人が欲しいって話していたときに、

私はそうだよね、友達でなくてもいいからそういう人欲しいって言ったわけです。

 

友人はそれを聞いて「え...定期的に食べたら、それは友達じゃないの?」と。

私も今までそう思っていたんですけど、

社会人になったら、そんな気持ち捨てなくてはいけないと思っていました。

 

新卒の研修でそれは感じたわけなんですけど、

例えば一緒に外に出かけても友達ってわけじゃないんですよ、皆。

友達ごっこをしているというか、内心皆自分の入りたい部署に入りたくて、

すごく上の人たちの顔色を気にしていて。

 

すごく気色悪かった。

人を利用する人っていうか、人の気持ちを踏みにじる人が嫌いで。

 

ある日、研修の一部として皆で空港でお客さんを待つっていうことをしました。

私は本社から直接だったので、他にも新卒の子は数人一緒でしたが、

自宅から直接来る子もいました。

 

空港について、地下からエレベーターへとエスカレーターで登っていたとき、

同期の子が迷っていたのをみたんです。

 

「あ、あれ...ももか(偽名)ちゃんだよね?声かけたほうがいいかな」と前にいた女の子と男の子に声をかけたら、

2人ともその子のことを見て、そのままエレベーターで上に上がりました。

 

ありえない。

私の中ではありえなかった。

なんで一言「本当だ!助けよう!」って言えないんだろう。

なんで助けないんだろう。

 

今でも理解ができずに苦しいです。

もし先頭にいる先輩が、なぜ自分たちについてこなかったのか、と聞いてきたら

同期が迷っているのをみたからって言えばいい。

誰だって迷うことはあるし、助け合うのが当たり前。

上司の目を気にしてのことだとしたら、

私はそれと引き換えに彼女を見捨てたことにショックを受けた。

 

私はどうすればいいのか分からなくて、

けどこのまま彼女は遅れたら、

初対面の先輩に嫌な印象がつくだろうし、

私もそれをみていい気がしない。

 

だから私は声をかけて助けました。

彼女、すごく何回も「ありがとう。ありがとう」って言ってくれたんですよ。

 

けどね、もっとすごくショックだったのは、

その後も、皆しれっとしているんです。

何もなかったかのように。

何もしていないかのように。

 

そのままエレベーターに乗っていた女の子にいたっては、

迷っていた彼女と楽しそうにニコニコと話していました。

 

私にはその感覚がわからない。

 

なんであのとき、助けなかったのに、

罪悪感とか持たずにそんな普通に話しかけるの?と。

 

彼女だけじゃない、男の子だって一言、

ごめんって助けられなくて、とか

なんで誰も言わないの。

 

すごく悲しくなった。

私はこんな日本人たちと一緒にこれからも働くのかと。

(*私の人生で日本で純粋に生まれ育ち、日本人とだけ育ってきた人とはそれほど関わったことがありませんでした。)

 

こんなに冷たくて、人に無関心な人と働いていて、私は楽しいのだろうか。

こんな無視して、されるのが当たり前の環境になぜわざわざ行かなくてはいけないのだろうか。

私何しているんだろうって思いました。

こんなクソ会社で、助け合いとかもせずにただ冷たく見放すような人たちに

なぜ私は一緒に紛れて研修を受けているんだろう。

なぜ私はこれを黙って見過ごさなければいけないんだろう。

 

元々私は思ったことをはっきりいうほうでした。

周りも帰国子女が多かったし、元々裏表がない性格なんだと思います。

適当だし、だから周りも適当でもいいというか。

 

けどこの新卒研修では、私の言うこと全てが皆にとってはっきりすぎるみたいで...それからは控えるようにしました。

新卒研修、数日目に私と他の新卒数名が一つの部屋で

一緒にお菓子パーティーをしていたわけです。

 

そこで1人さっきからイライラすることを言う子がいました。

「私〇〇だから弱いんだよね〜。これも〇〇だから私大丈夫か不安〜。」という感じで。

 

皆それに「あ〜、ね〜」ってすごい同調するんですよ。それが疲れて。

どこからどうみても図太いでしょって思う話をされているし、

さっきから自分弱いって話ばかりで、何をして欲しいのかもわからなくて。

 

なんのための同調なのか分からないし、皆がお互い騙し合っているようなこの空間が嫌で私は「〇〇ができるなら神経図太いでしょ」とイライラしてつい言いました。

 

皆面食らった顔して、言われた子も驚いていました。

「...ありがとう。そう言ってもらえて嬉しい」って言ったから、自分のかわいそう話がしたかったわけでもなかったのかな。

けど私は言えてスッキリしたし、それでその話が終わったのでよかったって思ったわけです。

 

けどその後に1人の子が部屋に入ってきて、

さっきはあんなにはっきり言ったのすごかったって気に入ってもらえました。

 

けどそれにびっくりしたというか。

 

「ここにいる子、皆はっきり言わないじゃない?あんなふうにはっきり言うのみてよかったわー」

って言われたときに、

私は自分でははっきり言ったつもりがなかったです...。

 

悪を成敗してやる、とか、あの空気をどうにかしてやる、とかじゃなくて

ただ私は嫌だったから思ったことをそのまま伝えただけ。

 

それをすごいすごい、って言われると。

なんだか変な気分になった。

 

その子のことは今でも好きだけど、どうしてもあのときの気持ちはわからない。

そして私はなんてないと思って言った発言だけど、

徐々に本当に皆自分の意見を言わないんだってことに気付かされました。

 

あるグループディスカッションでは、私の意見をガン無視し、

私を抜いてディスカッションが進んでいたときもありました。

 

すごい辛い思いになった。

 

私の意見が違う、とかよくないって思うなら、

一言それはこうだからそれだとうまくいかないって言ってくれればよかった。

 

私はただその案よりも、こっちの案の方がいいって思って、

意見を言っただけなのに、

なんでこんな扱いを受けているんだろう。

 

その後も前も話しましたが、

それぞれ進む部署が決まったときに落ち込んでいる子を慰めるつもりで、

「別にいいじゃん!」って言ったら「あなたはいいよね」って言われたり、泣かせちゃったり。

 

これだけ見るとやばい人だね。笑

 

けど私には本当に理解できなくて...。

少なくとも私が生きてきた世界ではこんなことなかった。

一部の人がそうならいいけど新卒70人ぐらいが皆そんなんで

私は理解できなかった。

私は間違えていないと思う。けど周りの意見があまりにも違うから

自分が間違えていたのかなっていう気持ちになる。

 

そもそも正解も不正解もないんだけど、

私がなにか言ったり、行動したり、ときには何もしていなくても、

嫌な顔をされることは多かった。

 

私はなぜ今不機嫌な顔をされたのか、

なぜ私にだけ話しかけてこないのか、

なぜ私を無視するのか、

どんどん異常じゃないぐらいイライラしているのは自分でもわかっていました。

 

なんでこの人たちの感覚が当たり前かのようにこの企業でまかり通っているんだ。

他の日本企業もこんなに変なんだろうか。

それとも社会人ってこういうものなの?

 

今まで調和とかが苦手だったけど、

社会に馴染むには私はこの環境に溶け合わなくてはいけない。

 

そう思って私はできる限りがんばりました。

けど何一つわからない。

 

顔面で差別してくる人苦手。

私が可愛くないからとかではなく、

外見とか経歴とかそう言うのをみて、

自分にとっていいと思う人とだけ話すような

心の狭い人が苦手。

 

自分の目の前で、

私の隣にいる子にはほとんど話したことないのにお菓子あげて、

その隣にいる私には話しかけもせずに去っていくって

失礼だよね?

 

嫉妬とかそう言うのではなく、

一般的に、おかしくないかい。

 

隣にいる子が私でなくてもいい気はしないよね、差別されているみたいで。

 

でも同時に思ったんです。

別にどの出来事も直接私に影響を与えているわけではない。

私を無視するのとか、もしかしたら私にも非があったのかもしれない。

 

こんなにイライラするだけ時間の無駄。

なんなら気にしなければいい。

わかっていたけど辛かった。

 

けどだったらなぜ一言言えないんだろう。

なぜ一言私の言ったことにに対して、意見が言えないんだろうか。

 

 

ちょっと今日はもう眠いので、この辺で。

おやすみ

 

 

 

私の悩み

書いていいですか。

 

フリーランスって思っていたよりも、お金の自由度が高くて、

いつか私月何万円しか稼げなくて、ずっとニートみたいに

両親と一緒に暮らすのかなって不安になることがあります。

 

自分はそうなりたいわけではないんですけど、

正社員の内定もらって、うつ病でダメだってなったときに、

フリーランスしかない気がしたし、

 

父のせいにするわけではないんですけど、

父と喧嘩した後にいつもうつ病ひどくなるんです。

 

喧嘩の頻度も2週間に1回あるかないかぐらい

ほとんど顔合わせていないのに。

 

一緒にいると疲れるんです。

 

だから心のどこかでこうやって一緒に暮らしていたら、

いつまで経ってもうつ病がなおらず、

親に依存していく気がする。

 

けど一方でうつ病だから、

人とたくさん関わるお仕事はできないし、

するとできるお仕事は限られてくる。

 

いっそのこと一人暮らししてしまおうかって思ったけど、

家賃分の収入さえもない状態で働いて、

本当に私ホームレスにならないかな、とか。

 

ブログで収入を得たいんですよ。

書いていて楽しいし、自分のペースでできるし、

なにか間違えても、後から修正できるし、改善できる。

 

こんなに自分にフィットするお仕事はないんじゃないかって思っている。

もしブログで収入を得られたら、

自分のやりたかった調理もゆっくりと始めていけるし、

ブログでの稼ぎ方がわかるんだから、

多分自分の調理に関するブログとか書いて、

もっと多くの人に見てもらえる。

自分のうつ病を持っている人を助けたいっていう気持ちも

ブログで解消していくことができるし、

 

なんなら日本とシンガポールの架け橋になりたいっていう私の目標が叶うと思う。

 

でも一方でブログは収入を得られるまで半年〜1年かかるし、

1年かかっても収入が0ってこともあります。

 

クラウドワークス、使っているんですけど、

あれ、日本の口座に振り込まれるんですよね。

 

シンガポールに住んでいる私からしたら、少し不便。

毎月違う額をもらうのはいいんですが、

せめて最低これぐらいはもらえるっていう安心感が欲しい。

 

ブログ、稼げなくなっているらしいんですよ。

色んな規約の変更で。

もし月30万円稼げたところで、3年後にはもう収入が作れない仕組みになったら。

月100万円で急にお金がなくなるならまだしも

2、30万円でお金が急になくなって、

どうやって生きていくんだろうとか思ったり。

 

前に言ったかもしれませんが、30歳の頃には私一つ専門分野が欲しいんです。

その専門分野を使って自分のやりたかったことを全て始めたい。

だから私はブログなり、webデザインなり、SEOライティングなり、

スキルつけたいんです。

けどお金も欲しい。

 

後ね、私本当に対人能力ないのかなーっていうことが続け様に起こりまして...。

私は皆に優しくなりたいって思っているし、

傷つくような言動は取りたくないって思っているんですけどね。

 

これもうつ病なのかなー...。

前はこんなひどくなかったから...。

やった後に1人で後悔するんです。

 

結構仕事に影響していて、

今までも働くけど、私の対人スキルで

気に触ることをしてしまい、目をつけられ、

最後は私がそれで精神的にどんどん病んで、

仕事ができない状態になるっていう。

 

それを思い出してなのか、

ちょっと今も起きている。

 

すごく不安

いつかこれなら安定して稼げる、

これなら私は大丈夫って思えるようになりたい。

 

できれば数ヶ月後には。

早いか。

せめて1年で、

お願いします。

Under-rated (もっと評価されてもいいのに)

フリーランスとしてやっていくのに、お金が大切だって話をしていたわけですが、

全然お金が大切だっていう気持ちが沸かないんですよね。

 

お金の大切さが分かっていないからなのかなって思っていたんですけど、

 

今日父と話してなるほどって思いました。

 

父が言ったんです。

 

お金をもらうことが悪だとか、なんかすごいもんだと思わずに、自分がしたことへの評価だって思うと、いいんじゃないかって。

 

お金をもらいすぎている、お金をもらえていないって思ったら、

じゃあその金額をもらうための努力をするか、転職をしてもらえるところに行くものだから、そんな深く考えなくてはいいんじゃないかって話でした。

 

最初は私もなんか納得いかなったんですけど、

聞いていくうちになんか働く気力が出てこない理由が分かってきた気がする。

 

私、新卒で入社した企業、いつもお金をもらいすぎているって感じていたんですよ。

けど父の話を聞いて、いや、私はもらえなさすぎていると考えていたのかもしれない、と思い始めました。

 

私の月収を暴露すると24万円でした。

新卒では平均的で、私の日本で働く新卒の子達と比べると結構上からのスタートです。

 

当時はシンガポールで働くから、あげる給与の量が違うだけで、ラッキーって思っていたのかもしれない。

 

けどいざ働くと自分のするお仕事の責任の重大さを知りました。

私のミスで、全体の流れを止めてしまう。

損失が出てしまう。

なにより、それで周りに迷惑をかけるのが辛かった。

 

もっと言うと、私のお仕事は見積もりを作るだけだと思っていたのですが、

上司達はまた違ったお仕事を、成長したらやらせようと思っていたみたいです。

 

それを知らなかったこともあるし、なんか思っていたよりもやること多かったというか。

 

社会人ってこんなに色々任されるんだなって思ったわけです。

 

ここからが私の記憶からすっぽ抜けていたところ。

こんなに責任が重いのに24万円でやってられかっていう気持ちはありました。

 

知らなかったんですけど、駐在員って自動的に現地の人の上司になるわけですよ。

私よりも何年も働いている人の上に、新卒の私がいくわけです。

 

でも私の中で皆より年収が高いのは、言語能力があって日系企業として日本人がいいという理由だけであって、自分の地位は関係ないと思っていたから、

企業側からしたら、やってほしい業務をこなしきれていないって感じていたと思う。

 

こんなにやることがあるなら、もっともらいたい、32万円はないとやれないって言うのが当時私の思っていたことでした。

 

けど一方で、私よりも年収が低いのに、私よりもきっちり仕事をこなす人ばかりなんです。

 

まあ、ちょっと携帯いじって、ゲームするとかそういう人もいるけど、

任された仕事はちゃんとするし、

私の後任もハーフで、私よりも人とのコミュニケーションが上手で、

仕事もできて、それでも私は大卒で日本人であるだけで年収が彼よりもかなり上だったわけです。

 

不公平だなって思いました。

 

私よりも真剣に仕事をして、成果を出している人たちがいるのに、

なぜ私は彼らよりもお金をもらっているんだろう。

 

私はこのお仕事をするのに32万円欲しい。

けど皆は同じ仕事を20万円とかでもすると思う。

 

申し訳ないって言う気持ちが生まれたんだと思う。

 

皆はこの給与をもらって仕事をすれば喜ぶのに、

仕事を満足にできていない私がもっともらいたいっていうのは、

傲慢なことだと思いました。

 

その頃からかもしれない。

お金に興味を失ったのは。

 

どれだけ頑張っても、自分の頑張りが自分の思うほど評価されない。

評価されないし、私以上に頑張れる人がいるなら、

私を雇うメリットが見つからなくなったのかもしれない。

 

仕事を辞めた一つの理由も、あまりに不公平だったからです。

なぜ頑張っている人がより、評価されないんだろうって、

今の頑張りだったら、恐らく彼女達に24万円を渡した方がいい。

 

けど一方で、自分がどれだけ頑張っていても、

頑張るだけで評価が出なかったら、評価されない。

ただ前よりマシになるだけでは満足しない。

 

この先もずっと自分の頑張りに値する評価が出ないなら、

なんのために私は働いているんだろう

 

多分本音はこれなんだろうなって父と話して思いました。

けど一方でそう思うことへの申し訳なさも合ったから、

うまく自分の中で気持ちが整理できなかったのかも知れない。

今の私

お久しぶりです。

 

ちょっとしたアップデートがあります。

 

フリーランスへの道が固まりました。

 

怖いです。

 

元々、マレーシアで正社員として働こうと思って、就活していたんですけど、

いざ受かったら自分が働いているところを想像できなかった

 

トラウマがあって働くのが怖いのもあったけど、

それだけではなく、現実的に自分が働いていて、

楽しくやっているところをイメージできなかった。

 

それは仕事が成功していても、

きっと同じことを思っていた気がする。

 

フリーランスを名乗り始めてそろそろ1年です。

 

学校に通いながらだけど、今までやってきた働き方の中で、

一番続いています。

 

なんだかんだ、これで良かったんだなって思えました。

 

でも一方で収入に対する不安は消えない。

数ヶ月前からSEOライターとして、記事を書き始めています。

 

1文字1円で嬉しくなる。

 

けど時給で換算すると、それでやっと時給1000円。

そこからさらに手数料も引かれる。

 

時給1000円で正社員と同じだけ働いたらいくらもらえるんだろうって気になったことがあります。

いくらだったと思いますか?

7時間勤務を4週間したら、14万です。

 

私の新卒のときの年収が23万円ぐらい。

半分ぐらい。

 

その分人間関係ややこしくないし、責任も重くないけど、

ずっとこのままだったらどうしようって言う気持ちは強い。

 

ちなみに新卒以上の月収になるには、1文字2円のライティングが必要になる。

皆と比べて日本語が変になることもあるのに、大丈夫なのかな。

 

本当は早く自分のやりたいことしたいな、とは思う。

自分の書いたうつブログが多くの人に読まれて、

本を書けるようになって、

シンガポールの商品を日本で売って、

同じように日本の商品をシンガポールで売って。

 

自分の食べ物も売って。

 

起業家になりたいとは思わないけど、

自分の好きなことを自分の好きなペースでどんどん広めていきたい。

 

もっと自分が人の役に立っているんだっていう実感が欲しい。

そう言うことありません?

 

ただ、その目標があまりに遠く感じる。

 

私こんなにマーケティング下手だったんだって最近落ち込んだし、

自分の売るものが売れなかったらどうしようって言う気持ちが勝っている。

 

経営者の方が、売れなくてもそれは経験になるって言っていたけど、

そんな強く生きられたらねえ、いいなとは思う。

 

でもやっぱり世の中金じゃん?って思う部分もある。

 

世の中金じゃなかったら、多分私やりたかったことを片っぱしからやって、失敗しても満足していたと思う。

 

だからなんだか、ね。

 

早く自分のやりたいことを形にしやすい環境にいきたい

 

あのとき自分が受けたものは

前回のお話に続きます。

 

文化的にいろんな経験をしたし、

それで色々と言われてきて傷ついて

ふと思ったのが「これは差別なのか?」ということ

 

最近LGBTなどもテレビで笑い者にしないで!と言ったり、

違いに敏感になった時代ですけど、

 

誰かが私のことを「外国人」だと言ったり、

根ボリ葉ボリ聞くことは悪いことなのかっていうこと。

 

正直、差別されたんだって思った方が気持ちは楽。

「悪気はないんだ...」って思うことで、

イライラしている自分を責める必要がなくなる。

 

でもそうやって押しのけてしまうのは悲しいし、

考えが狭くなる気もする。

 

そもそも根ボリ葉ボリ聞かれることにうんざり!っていう人もいるけど、

私は自分に興味を持ってくれているようで、嬉しい気持ちもなくはない。

 

無知によって人を傷つけているだけ。

そして多文化のことを知らないなら、当たり前のことだと思う。

 

でも、私も心があるし、

無知だった、ごめんーで済まない。

それぐらい傷つくことも多い。

 

仕事でどうやって、

そんな人たちとうまくやっていけばいいのか正直わからない。

アイデンティティクライシスについて

このトピックについてちゃんと話すのは初めてな気がする。

 

でも、自分のうつ病を乗り越えて、仕事をしていく上で、避けては通っていないトピックだと感じたので話していきたい。

 

かなりプライベートでセンスティブなトピックになるので、

日本を悪く言っている(言うというよりは、そういう表現が含まれるかもしれないです)のが苦手だという人はスキップしてください。

 

とても長くなります。

 

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この日記を長年見ている人は知っていると思うんですが、

私は中華系マレーシア人と日本人とのハーフで、

さらにシンガポールで生まれ育っています。

 

けど日本教育を受けているし、国籍は日本で、どちらかというと日本人です。

 

これを言ったときに理解してくれる人って少ないんだな、と。

大学生のときの留学で知りました。

 

私にとって国籍って性別、身長、体重、年齢みたいなもので、

日本人ならこういう特徴はあるかもしれない、と思うことはあっても、

日本人だからおそらくこう、といった考えはなかったです。

 

でも、留学に行って日本好きの香港留学生と会ったとき、

〇〇さん!とニコニコと日本語で話しかけられてゾワっとしました。

 

外国人と日本語で話すという行為がおかしく感じたんです。

例えるなら、日本人同士なのに、相手が自分を韓国人だと思って、

韓国好き!韓国の文化こうだよね!と韓国人を褒めちぎってくるような感じです。

 

多分実際にそんなこと起きたら

「あ、私日本人です」で終わりますけど、

私の場合日本人なので...

「私シンガポールで生まれ育ったんだ」と言っても、あまり理解してもらえませんでした。

 

むしろ日本人なのに、シンガポールの話をよくするな、という目で見られることが多かったように思います。

 

ちなみにこれが日本人でなく、香港人同士であれば、もう少し低めの声でカジュアルに話します。

 

英語で話し合うような人たちが、私が日本人というだけで日本語で日本人らしく振る舞ってきた。

ある意味壁を作られたような気持ちになりました。

 

これは香港人との間だけではなく、日本人との間でも感じた違和感です。

 

私の性格そのものも少し変わっているというのもありますが、避けられることが多かったです。

 

初めて会って話すのに、スルー。

初めて会ったときは、避けたのに私がどんな背景で育ったのかを知ってから馴れ馴れしくしてくる。

 

すごくショックでした。

もしただ単に私が気に入らないならまだいいのですが、

「なんだこういうことか」と態度を変えられたときに、

見えている部分だけで、私を判断する人もこの世の中にいるんだと初めて知ったんです。

 

皆がそうとは限らないけど、そういう人がこの世の中にいる。

この世の中は自分が思っているほど暖かくない、私ほど広い視野で物事を見れない。

私も差別されるんだ。

 

と当時は思いました。

それぐらい今まで帰国子女や理解のある人たちに囲まれて育ってきた。

だから帰国子女などは少数派だと知っていても、

まさかここまで少数派だと、留学に行くまで気づかなかったです。

 

怖くなったんです。

今まで私はなんとなくどの国のことも分かっている気でいました。

 

きっと今はこういうことを思っているんだろうな、

こう感じているからこういう行動をするんだろうな。

 

けどシングリッシュシンガポールの英語)は分からないし、

日本で生まれ育った日本人の気持ちは分からない

マレーシア文化なんて尚更分からない。

 

私が知っているのは、この帰国子女という枠だけでした。

普通の帰国子女でさえも、日本で生まれ育ったし、生粋の日本人であることが多いので、日本の感覚がわかる。

 

私はそうではない。

 

私はずっと自分を帰国子女のようなものだって思っていたけど、

帰国子女でもない。

海外で生まれ育ち、日本にくる人を海外子女と呼ぶけど、

それでもない。

私の文化背景を説明できる名称がないんです。

 

もしかして私のこの感覚を理解できる人、私が何者かを理解できる人は世界中で一桁%にしか満たないのかもしれない。

 

「日本語上手だね」

トリリンガルすごいね」

「この漢字わかる?」

シンガポールの歴史は詳しいのかもしれないけど、日本の歴史も理解してほしい」

 

なにげない言葉に私は心底今まで「違うんだけどなあ」って思いながらも流せていたのに、

自分を理解できない人の方が多いんだと知ってから、感覚が変わりました。

 

現地のカウンセラーにも自分の文化について話したこともあります。

「英語も中国語もペラペラだと、そんなこと言っていないのに勝手にそう思われて期待されてガッカリされる」

「けど私もたまに雇用されるために、英語と中国語が話せるということを言う(期待に応えたくて)」

 

すると、じゃあ、あなたもあやかっているんじゃないの、と言いました。

 

そう思われても仕方なかったけど、yesもnoも言う前に

あなたは英語話せるんでしょ?中国語話せるんでしょ?

話せるってことはペラペラなんでしょ?

という前提で話されたときに、そんなことないよーと否定するのはなんか難しい。

 

しかももしここでそんなことない、と言ったら、

私を雇うメリットはどこにあるんだろうか。

 

シンガポールのことも、マレーシアのことも分からない。

日本文化のために雇いたいなら、日本で生まれ育った英語がペラペラな帰国子女なんてたくさんいる。

日本人ならなおさらいる。

 

英語、日本語、中国語が話せる人は意外とたくさんいる。

日本で暮らしている中国人なんてたくさんいる。

 

留学に行くまで、私はハーフであること、シンガポールで生まれ育ったこと、日本人であること、日中英がまあまあ話せることが誇らしかった。

 

けど日中英なんて話せる人なんてたくさんいる。

どこの文化も中途半端に理解している。

 

そんな人材が欲しいと言う人はどこにいるんだろうか。

 

もし私が「日英中が話せて、シンガポールのことも理解している日本人」だったらおそらく雇ってくれるところはたくさんある。

 

大学生の頃はそういう人になろうと、

私自身、皆の思うような人材になることで褒められたいというのもあったと思う。

対人関係がうまく行くように、色々としてみて、

日本人社会に溶け込むように、

そして英語と中国語の勉強を重ね...

 

けど留学をしたときに、今でも忘れない会話があります。

あるパーティーの帰り道にマレーシア人の人に

「私もマレーシアとのハーフなんだ!」と言ったら

「なぜそれをさっき自分を紹介していたときに言わなかったの?」と聞かれました。

 

私はそれに答えることができませんでした。

日本にいた頃、私は周りにシンガポールにいた日本人だと言っていました。

そのほうが周りを混乱させることなく、自分がどう言う人なのかを理解してもらいやすかったからです。

 

なぜ言わなかったのか?

おそらくそれが板についていたのもある。

けど本当は私自身、自分の文化背景を伝えることで「あなたは違う」、日本人ではないと区別されることを恐れていたのかもしれないです。

 

話がどこにいくのか分からなくなってきましたね。

 

私は思っていたよりも人と違った、という話です。

そして私を理解できる人も少ないということです。

そして差別をする人もいる...ということです。

 

この事実に私は向き合うことがずっとできませんでした。

今でもどう向き合えばいいのかわかりません。

 

日本文化を理解しようと思って、新卒のときにゴリゴリの日系企業を選びましたが、

余計に日本文化が理解できず嫌いになるだけでした。

 

私を日本人として雇ったのに、

自分の思い通りに動かなかったら、彼女は日本人ではないから、となり、

区別される。

 

そのおかげで、声を大にしては言えませんが、日本人アレルギーというか、

日本人の方を見ると、頭が勝手に拒絶反応を出すようになっています。

 

日本人ではないからっていうのは、

人格否定のように感じるんです。

 

確かに皆と違うように育ってきたけど、私は日本人だっていう意識があって、

それを

日本語が下手だから違う、

マナーを理解していないから違う、

って言われるのって辛いです。

 

シンガポールで生まれ育ったから、って言われるならまだしも、

あなたは日本人ではないと言われるのはショックでした。

 

でもこの気持ちを長年どこにぶつけていいのかわかりませんでした。

きっと私のこの気持ちを理解できる人は少ない。

話したところで、どこが問題なのかおそらく分からない。

ずっと溜めてきました。

 

留学に行かない方がよかったかもしれない。

そしたら私は、自分が日本人であることを疑わず、

オフィスで日本人ではないと言われても

「なんなんだあいつ」って思えたかもしれない。

 

皆の感覚がおかしいんだって自分を強く持つことができたかもしれない。

自分が英語、日本語、中国語と3ヶ国語話せることを続けて誇りに思えたかもしれない。

 

香港留学を終えてから、人付き合いが難しくなった。

もう誰かのために日本人でいる必要はなくなった。

香港で変に日本人扱いされるのも嫌だったし、

私に「なぜハーフであることを言わなかったの?」と言う人もいたわけで。

 

その大学、すごく広いんですが、私みたいな文化背景を持つ人はいたし、

私よりも珍しい人もいました。

 

けど皆隠さないんです。

自分が誰なのか、どういう背景で育ったのかを隠さない。

それってすごく強くてかっこいいことだと思いました。

 

後もう一つ話したいことがあります。

 

ずっと日本人らしくいたのかっていうとそうではなくて、

マレーシア人といるときはマレーシアらしく振る舞うし、

シンガポール人といるときはシンガポールらしく振る舞う。

 

臨機応変にその場その場で言動や態度を変えていた部分もあります。

私は対応できる自分をかっこいいって思っていました。

各文化がわかっているからこそできることだと、思っていました。

 

けど色んな人から刺激というかショックを受けてから、

皆には細かいところまで自分がいることを知ったんです。

 

例えば、ご飯を食べる、という行為でも、

大皿に料理を盛って、皆で食べるのか、

各自一人前を食べるのか、

どっちの方がいいのか、ということにおそらく皆は答えられるけど、

私には難しい質問です。

 

何を大切にしているのかで変わってくるし、どうしたらそれを大切にしていることが伝わるのかで違う。

けどおそらく皆はそこまで考えていない。

おそらく「これはこっちでしょう!」って選ぶことができる。

 

私はこのレベルで自分の意見がないんです。

本当はどうしたいのかっていう意見がないんです。

 

今相手が日本人だからこういう話し方をする。

けど本当の私はどうしゃべりたいんだろう?

 

今こういうことをした。

けど本当の私はしたいと思ってしたこと?

 

そして厄介なのが、自分がどういう行動を起こすかで周りの目が変わること。

おそらく私が大皿で料理を出したら、おそらく、あ、外国人っぽいって思われる。

一人前を出せば、あ、日本人っぽいって思われるかもしれない。

 

そうやってまた自分の国籍や文化背景を動作で決められることは辛い。

 

私はどこで何を感じて、自分が誰なのか分からなくなったのか、

まとめて伝えることができないぐらい、私は今でも感情の整理ができていないからです。

 

香港に行って良かったって思えるにはもう少し時間がかかりそうです。

けどこうやって自分の思っていることを打ち明けることで、

自分の問題を整理して、次に進めたらなって思います。

 

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おそらくこの先も同じトピックで書くことはあると思います。

 

自分のこの経験をいつか本にできたらなーなんて思うこともありますが、

それは自分が誰なのか、勇気を持って言えるようになってからになりそうです。