自分と他人との価値観の違い

さっきの投稿と繋がるんですけど、

 

私の仕事に対する価値観が周りの人とかなり違うし、

私はその違いをうまく受け入れることができていない、ということも最近気づきました。

 

今業務委託をくれている方がいて、

その人は優しいし、単純でポジティブでいい人なのですが、

どうしてもその仕事のやり方にイライラする。

 

ただ仕事を振ってくれるのが遅いとか

人遣い荒いとか、そういう部分だけではなく、

なにかがずっと引っかかっていたんです。

 

それで昨日友人に少し愚痴っていて気づいたのは、

私が相手の価値観を受け入れられていないんだと思います。

 

つまり物に対する思いが熱すぎる。

 

そしてきっと大学生までは私はこう考えているけど、あなたはこうするのね、でやり過ごしていたのですが、

きっと社会人になって、誰かと働くときに自分が相手の思うようにしなくてはいけない、ということがすごく許せないというか、受け入れられないんだと思います。

 

キリスト教徒が絵踏を踏めないのと似た心境だと思っています。笑

 

例えば、ビジネス重視で魚をきれいにスピーディーにさばくとします。

私にとってそういう人がいるのはいいんです。

 

でも自分がそういう人にはなりたくないし、

自分が働くところがそういうところで、自分がそういう一員だと思われたくない、という気持ちが強いのだと思います。

 

きれいに、といっても例えば骨ギリギリまで切れているのか、とか

新人である私に包丁握らせて、そのままどっかにいくとか、

私だったらこの魚がお客さんにとってどういう味になるのか食感になるのか、ということが気になるから

新人である人に握らせるときは最後まで見届けると思いますし、

あ、これ以上切らせたらお客さんもさすがに怒る、というラインにきたら

交代します。

 

でもそれをしなかったところを見て、嫌な気持ちになった。

なんか魚に愛がないし、お客さんに愛がない。笑

 

友人にそれを言ったら笑われましたね。笑

 

でも、そう愛がないんです。

食材や職人さんが作ったものを適当に扱う人を私は許せないんです。

 

すごい時間をかけて作られたものをそういうふうに扱う人と私は働きたくない。

けどそんな人たくさんいるじゃないですか。

 

しかも別に適当に扱っているわけではなく、

彼らなりの考えがあって行っているんだと思うんです。

 

きっと私の知らないところでこだわりはあるし、

お客さんのことを思っているし、

ただの価値観の違いかもしれない。

 

それがわかっているのに、自分と違うやり方を見て

それを受け入れることができなかった。

 

だから私は一人でやりたかったのかもしれない。

自分と同じように食材などを扱う人が周りにいなかったし、

私自身私のペースで行うのが一番いいと感じたから、

ね。

 

でもまあ、私はただ助けにいっているだけで、

私はそれを敵対視する必要もない。

そういうふうに仕事をする人もいるんだなあ、って

目を伏せるわけでもなく、

なるほどなあ、私だったらこうするなあって

冷静に見れるようになれば

 

少し生きやすくなるかな。笑