「失敗は誰でもするものだ」

最近ブログが啓発本チックになってきてますね。笑

 

私は仕事でミスが起きるたんびに、

上司が「ミスは誰でもするものだから気にしなくていい」と声をかけてくれました。

 

でも私は未だにその言葉を鵜呑みにすることができません。

今までミスしてもいいんだ!ミスから学ぼう!って思って、

何度同じミスを繰り返してきたことか。

 

そのミスを見て、

「いや、確かにミスをしてもいいとは言ったけど、これはひどい」ってなるのです。

 

「ミスは誰でもする」なんて嘘だったんじゃないかっていう気持ちになるわけです。

 

「なんで同じミスするの?」

「意識してないからだよ」

 

なんて言葉をかけられると、

余計に泣きたくなります。

 

自分がなぜ同じミスをするのか、わかっていたらこんなに悩んでいないし、

同じミスを繰り返さない。

 

意識も頑張ってしているのに、時間が経つとできなくなってしまう。

そんな自分をずっと「人と違う」と責めていた。

 

なぜできなかったのかわからないから、

この先もできない気がして怖い。

 

せっかく今時間があるのだから、なぜ同じミスをしてしまうのかを分析していきたい。

 

私の問題点はこんな感じ

・書類を言われた通りに作成することができない

・時間内に言われた業務を終わらせることができない

・自分が正しい、と思ってやったことが他の皆からしたら正しくない

ケアレスミスが減らない

・暗黙のルールがわからない

 

などなど色々ありますが、

今日は「書類を言われた通りに作成することができない」から読みほどきたい。

 

具体的にいうと、

書類作成で常に同じフォントを使ってほしい、とか

最初の●の部分をそろえてほしい、とか

前は省略していた部分をフルで書いてほしいとか

(NRT → Naritaなど)

そういった基本的な部分です。

 

それをなぜか私はすることができなかったです。

 

一つは、忘れちゃうから。

前は省略していたものとか、●を揃えてほしいとか、

しなくてはいけない項目があまりにも多すぎるから、

一つ覚えていても、もう一つが抜けている、なんてこともよくあった。

 

あとは、必要性を感じなかったからだと思う。

これは無意識だけど、例えば、

NRTをNaritaと書いたほうがいい、という理由が

「新卒の子たちがNRTがなんの略なのかわからなくて、困るから」だったんです。

私からするとそんなの自分で学んでいけばいいし、

昔からNRTで通ってきたから、十何年も仕事している人や私の支店の人からしたら

NRTの方がやりやすい。

しかも書類を書いたときに、全ての省略を直すとごちゃごちゃして見づらいと思った。

 

しかし、きっと先輩にそんなこと言ったら「こっちはもう10年近くこの仕事をしているんだ!」ってムッとして反発されそうだったので言うのをやめた。

 

先輩は「お互いにこうした方がもっと良くなる、という点があったら一緒に改善していこう!」「こっちの方がいいって言うのがあったら言ってね!」と言っていたのですが、

 

実際にAとBどちらでやるか、と話になった時に、

私の説明不足なのか「結局ユキがやりたい方法でといい、と感じる理由がわからない」と無理やり彼女のやり方になりました。

 

あとは、「私の方が長くやっているからわかるの!」といったことも、否定した時に言われました。

「ユキは否定ばかりするよね」とのことです。

 

ごめんなさい、イラっとした感情を思い出しました。

 

本文に戻ると、結局自分は納得がいってないけど、先輩が言うなら、と思ったし、

NRTかNaritaで言うと、わざわざ議論に持ち込んでまで変更する点でもないし、

結論をいうと「どちらでもいい」というのがありました。

 

それが結果的に、記憶に残らないから「忘れる」とか、気づいても無意識にその時は、ま、いっかってなってしまうのかなって思います。

 

そこに関しては、

私が自分の考えに固執しているからって言うのもあるし、

私から言わせれば、自分が納得のいっていないものを提出したくないって言う気持ちが強くなってしまったんだと思います。

 

じゃあ黒丸を揃えることやフォントを同一にすることはどうなんだろう、と悩みました。

これに関しては私もフォントは一緒にした方がいいし、黒丸も揃えた方が見やすいと思う。

 

でも、これをタイプしながら妙なことが浮かんだ。

 

フォントも一緒、黒丸も揃えるなんて、

私じゃなくてもロボットにやらせればできることだ。

人間はロボットではないし、わざわざなぜ私が揃えなくてはいけないんだ。

 

....ほほう。笑

やっぱり私は頑固なのかなって思いながらも、

どうしても自分の言っていることが間違いではない、と思ってしまう。

なぜロボットを使えばフォントを揃えるのも、黒丸を揃えることもできる時代なのに、

私が神経を削って毎回揃えなければいけないのか。

それならどうすればこの企画がお客さんにとって面白いものになるのかを想像することの方が大事だと思えた。

 

実際はそのロボットというか技術を私がうまく使いこなせなくて、

黒丸がなぜか揃わなかったり、フォントも一部合わせるのを忘れていたりするんでしょってなると思う。

 

でもな、例えば書きながら勝手に揃えてくれるアプリとか開発されてるんじゃないかな。

とか思ってしまう。

 

なんていうんだろう。

 

これだけ時間をかけてやったのに、

結局そういうアプリができて、

30分かけなければできなかったものが、5分でできるようになったとしたら、

後の25分は寝れてたのにとか思ってしまう。

 

だからつい、いつか無駄になってしまうかもしれない作業を省いていたのかもしれない。

だからと言って省く理由は私自身なぜかわからないけど。

その会社にはそういった技術は用意されていなくて、

結局誰かがやらなければ黒丸は揃わないから....。

 

自分がなかなか揃えられないから、

疑問に思ったことなんだと思う。

 

そういう完璧な書類を求めているなら、AIに任せればいい。

だから私に作らせるなら、人間味のあるものでいい、と思っていた部分は

あるかもしれない。

だから黒丸がずれていることとか、フォントが合っていないことをあまり気にしなかったのかもしれない。

神経質にならなかったというか。

 

...また話がずれた。

 

うーーーん。

 

「こだわらない」っていうこだわりがあるのかもしれない。

 

それを正直私は悪いと思っていない。

 

でも協調は必要だし、

不器用なことに「先輩のやり方が正しい!」「これは私にしかできない」って思わない限り、きっと言われたことをする、っていうことができない気がします。

 

これからもし、同じような状況に陥ってしまったら、

私は自分のこだわりを折って、会社のいうとおり働くことになると思う。

 

こう言いなり、というか。

でもそれって何も生み出していないのに、

働いていて無駄だとか感じてしまう。

 

うううううーーーーーーーん。

 

自分で言うのもだけど、

私の思考かなりアカン。

 

仕事ができていて、なんでも完璧な人が言うなら説得力あるけど、

たくさんミスをして、ヤイヤイ言っている私が言っても

ただの言い訳にしか聞こえない。

 

相手の言ったことを言われた通りにやることが苦手だってわかっていて、

極力合わせたつもりなんだけどな....

 

やっぱり会社勤めが向いていないのかな。