カウンセリング2

今日は2回目のカウンセリングに行ってきました。

 

前回に比べて、アドバイスをもらう、というよりは私がどんな気持ちを持っていたのか、ということを一緒に発掘していくようなことが多かったかな、と思います。

 

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1、辞めてしまうのは、全て一人で抱え込もうとするから

まず私は、前回のことを振り返りました。

なぜ私は自分らしくいることが大事とわかっていながら、

いつの間に、自分らしくいることをやめたのだろうか。

 

一つは前回も言っていたように、

グループでうまくやれていた経験がないから。

サークルやアルバイト、全て色々と試してみたけど、

どこに行ってもなぜかうまくいかなくて、

フェードアウトしてしまうことが多かった。

 

それに対して、カウンセラーの方は、

なにか辞めてしまうパターンがあるのではないか、と言った。

 

黙りましたね。笑

私もそんな気はしていたけど、なにが原因なのかわかりませんでした。

 

なにか一人でやろうとしている?印象を受けた、とその後言われました。

例えば、なにか失敗をしたり、なにか問題が起きたときに、

それが全て自分の責任であって、誰かに助けを求めたりしていない、と言った。

 

確かに、私は新しい職場に行くと、決まって「なにを聞いてもいいんだよ」とよく言われた。

今回面接を行なった企業も、不安な点を聞かれたときに

「覚える知識が多くて、覚えなければいけないのが大変だとは思いました。」というと

「覚えなくては、ではなくて、ゆっくりでいいんですよ。私もまだ全て覚えていませんですし!」と強く言われた。

 

確かに言われてみると、

私は全部一人で抱えようとするところがある、と気づいた。

自分でも「なにを聞いてもいいんだよ」って言われる度に、

でもなあ、思いつかなくて後から質問が出るんだよなあ、と思っていた。

 

でも一人で抱え込んでいる、と言われて、

確かにこれが私が高校生のときだったら、

あれこれ聞いているな。

もっと周りを頼っていたと思う。

 

自分でもいつから周りを頼らなくなったのかわからないけど、

カウンセラーの方は親の育てかたなども影響している、とは言っていた。

 

2、どこにいても自分の居場所がない

なぜ自分らしくいることができないのか、ということについてもう1点話しました。

これはただ話に共感してもらっているだけでしたが、涙しながら話しました笑

 

私は特殊な環境で育っているぶん、周りに求められることと実際の私のスキルとの間に差がでることが多いです。

勝手に雇う企業側が、私は英語、日本語、中国語をネイティブのように話せると思ったり、

シンガポールと日本、どちらのこともよくわかっている、と思ったりして、

高給与で雇ったのに、実際に働いてもらったら、思っていたよりなにも知らなかった、

と勝手に期待して、がっかりされることが多いです。

 

それによって、企業に入社した後に、

そんなの気にしないで、自分らしくいればいいのに、

気がついたら、彼らの思うような人材らしく振舞わなければいけない、と思っていた気がする。

ということは伝えました。

アイデンティティクライシスですね。

認められるためには、思うような人材にならなければいけない。

でもそうすると、自分がなんなのかわからなくなる、というやつですね。

 

カウンセラーの方は人と違うことはよくて、それがあなたのユニークな点だ、というようなことを言っていた気がする。

 

3、犬の面倒を見るのが辛いのではなく、サポートしてくれる人がいないことが辛い

次に私は、就活に大きな影響を与えていると感じた、

犬の面倒の話をしました。

家に私と父しかいないこと、

犬が年老いていて、介護が必要なこと、

父は必要最低限のことしかしないこと、

友人に話しても、同じ経験をしていないから、

深くまで理解してもらうことはできていないこと、

今犬の面倒で精神的にも、体力的にもやられていなかったから、

面接がよりスムーズにいっていたと感じること。

 

たっくさん話しました。

それを聞いて、カウンセラーの方は、

まず、本当に犬の面倒を見なければ、

全てうまくいっていたの?と聞いてきました。

 

赤ちゃんを見ながら、仕事ができる母親だっているわけで、

私の行なっていることは不可能ではない、ということでした。

後は話を聞くと、父に面倒を見てもらえないことというよりは、

父から理解を得られない、一緒に頑張ろう、という気持ちがないことが

かえって私の負担になっているのではないか、と言った。

 

それは私も思っていたことではあったのですが、

なんか引っかかる。

そんないうほど大変じゃないじゃん、と言われている気が少しした。

 

4、私がまだ犬の死を受け入れられていない。

私は父がエモーショナルサポート(一緒に頑張ろう、という気持ち)を与えることができないなら、せめて金銭面で援助をして欲しかった、と言いました。

犬にかかる金額なのは膨大なのをわかっているけど、

特に貧しい家庭でもない。

 

お金をかけることができるのに、

父は「最後のステージに入っている犬に、なにか悪くなるたんびにクリニックに行って、検査をして、それでまた薬をもらう、というプロセスが不毛」

「ユキがそうすることに疲れ果てているように思える」と

これ以上援助したくない、と伝えられていた。

 

私は、もうこれ以上良くならないことは分かっているけど、

痛み止めをあげたり、できるなら長く生きて欲しいと思っている。

だから私には父が「これ以上長生きするためにお金をかけたくない」と

犬を見捨てたように感じた。

 

この話をカウンセラーに話すと、

父は現実主義なだけで、全く気にしていないわけではないのだろう、と言った。

 

確かに父は喧嘩をするたびに、

犬を気にしていないわけではない。話してもわからない、と言っていた。

 

ただ、それでも私は理解することができなかった。

そしてカウンセラーは、あなたはどちらかというと、

まだ死を受け入れられていない気がする。

治したい、と願っているように感じる。

 

今まで私は、そんなことない、

私はただ犬の最後の日がきたときに、

安らかに眠ってくれるように、

あらかじめ薬などを与えたり、

辛い思いをしないように、

苦しそうにしているなら薬を与えたいと思っていた。

 

だからカウンセラーの言ったことは100%正しいとは思わなかった。

けど、「死を受け入れられていない」というのを聞いて、

私は少し腑に落ちた。

もし私が愛犬がそろそろ死ぬんだ、と分かっていたら、

今ほど頻繁にクリニックに行こうとしているかな?

きっともうそろそろだ、といって薬を与えることを諦めているかもしれない。

 

父は自分の父親、いとこが亡くなった、という経験をしているし、

今は自分の母親がどんどん老いていくのを見ている。

だからカウンセラーのいうとおり、

きっと父は私よりも死に対して向き合う姿勢ができているのだと思う。

 

なんとなく、なぜ父が私が医者に翻弄されている、と感じたのか分かった気がした。

 

赤ちゃんを見ている母親も、赤ちゃんが寝ている間に自分の家事や仕事を集中して済ませることができる。

それをユキが今できていないのは、犬に対して執着をしているからだと思うよ、と。

 

それは私も気づいていたけど、なぜなのかはわからなかった。

「確かにそうかもしれないけど、自分でも執着しているな、と感じたのは途中からなんです。深夜にも鳴くようになり始めて、インターンが始まったあたりから、なにも手がつかなくなって、面接にも響くようになりました」

 

これに対して、カウンセラーは深夜になくようになって、

いよいよそろそろだということを分かり始めたけど、

愛情が強いからこそ、それを受け入れることができなくて、

執着しているのではないか、と言った。

 

うん、そのとおりだ。

私は多分受け入れていると思っていたけど、

受け入れきれていない。

だからサポートを得られないことがより辛いのだと思う。

 

5、父はそういう人

ただ、私が受け入れられていない、とだけで話を終えたくなかった。

犬の面倒が精神的に辛い、というのはあるけど、

執着を手放しても辛いのには変わりがないと思った。

 

家事をやって、犬の面倒を見て、

体力や精神力がなくて、

面接がうまくいかなくて、

それでまた就活期間が延びて、

お金がどんどん減っていく。

それによって友人と遊べないし、

犬のためにお金を費やすこともできないから、

結果的に家にいて、もっと鬱に近い気持ちになることを伝えました。

 

本当にそれは、犬に執着しているから、

鬱っぽくなるのではないの?と聞かれたけど、

これに対しては、そういう部分もあるけど、それだけではないですね。ということを言った。

 

父は就活に対して、お金はあるから、

コロナのこともあるし、ゆっくり行え、と言っています。

(そういうサポートが欲しいのではない)

犬の面倒は何度も手伝って欲しい、と言っていますし、

もう追加でやらなくていいから、

例えば、餌に水を入れてふやかすとか、そんな小さなことでもいいから、

と言っているけどやってくれない、忘れることが多い、と伝えました。

 

就活に協力的なようで、実はあなたを自分のそばに匿おうとしているように感じる。

家事も犬の世話もあなたが中心となってしていて、

必要のないところまで父の面倒を見ているわけだから、

家政婦みたいな気持ちになるわね。若い子にしては負担が大きい。

という風に話していました。

 

その上で、彼女は「でも父を思い通りに動かすことはできない」と話しました。

 

それは私も分かっているし、だから自分でもなんとか

「仕方ない。自分でやろう」と思うようにしている。

それでもちょっとした言動を見て、

なんでそんな風に考えるの?!とキレたくなることがある。

 

だから自分で切り離せていないんだなって感じたし、

なかなか難しいと感じた。

 

6、人を自分の内側に入れない

なぜうまく人とうまく働けないのか、という話に戻った。

 

やめるパターンの話をしたときに、

周りに頼らずに自分で背負う、と言われたけど、

 

基本的に私は誰か言ったことを信頼していないのではないか、と言った。

例えば、友人に犬の介護について話しても、

同じ経験をしていないから、と友人の言ったことに対して、

共感してもらえなかった、と話を耳に入れなかった。

 

仲のいい友人はおそらくいるんだろうけど、

あまり自分の中に人を踏み込ませない印象を抱いた、と言われた。

 

それが結果的に、人の批判に対して敏感になりすぎてしまうことにつながっているのではないか、と言われた。

 

それはドンピシャだった。

人を心から信頼できない、ということはわかっていたけど、

犬の話で友達のいうことをうん、そうだね!という風にならなかったことを聞いて

確かに、と思った。

 

ただ個人的には、なんでも友人のいうとおりになることが嫌だったんですよね。

例えば、犬の面倒の話でいうと、

友人が私が今している介護と同じ経験をしていないから、

言っていることを信じられない、というのは、

信じたくない、というよりは、

自分の意見を尊重したいからなんです。

 

例えば、私がここで、自分のうーん、でもなあ、という気持ちを無視して、

うん、そうだよね、ありがとう!と友人の気持ちに寄り添ってしまうと、

自分の意見をこれからどんどんないがしろにしてしまう可能性がある。

 

それを私はどうにかしたかった。

でもそれが、人を信頼する、ということにつながっていると言われたときにどうすればいいのかわからなかった。

 

別に相手の言っていることに対して、

〇〇ちゃんがそういうなら、きっとそうだねってなることはできるけど、

根拠もなく、自分の意見をはっきりと持たないまま、

そういう風に信じることは危ないと感じた。

 

これはカウンセラーに言わなかったけど、

というかどういう風に伝えればいいのかわからず少し困った。

 

7、嫌なこと、反対な意見があるとき、口に出してもいい

相手のことを信じられない、という話をして、

私はカウンセラーに思ったことを伝えました。

 

自分は昔のこともあって、人を信頼できない部分があるし、

本当の人の温かさに触れたのも、25年目にして彼氏が初めてできた時だった。

それまで、こんな温かみを人に対して皆感じていることを知らなかったし、

愚痴を言う=その人のことが嫌い=もうどうでもいい、

という風にならないことも初めて知った。

 

あとは前職の新卒研修で、皆の意見に同調しなくてはいけない気持ちにさせられてしまい、

私の意見は子供っぽすぎるのが、それとも日本社会がただ意見を言ってはいけない空気なのかがわからなかったことも伝えた。

 

カウンセラーはそんな私に対して、私の言動はおそらく人よりも若々しいからそう感じたのであって、

私が子供らしい、というのは長所である、という風に言っていました。

 

そうか、これを長所としてみていいのだとこのときに気づきました。

少しだけもっと本音というか、自分の感情的な部分を見せてもいいのかな、と思うことができました。

 

という感じでした。

昨日はアドバイスというよりも、

発見が多かったので、少しずつ話したことを消化していきたいなと思います。