さらにこの前の本の別部分
引き続いています。
というのも読んでいるときに、
意識が飛ぶんですよね。
「こういう風に考えると問題がわかるかもしれない」っていう質問を見ると、
じゃあ考えてみよう......
こうなっていたのは、私がこうしたからで、
あ、じゃあ、私はこういう風に考えればいい。
そもそも私なんでこうしたんだろう...。
あ、そういえば母が前に...
.....
といつの間に違うところに着地 笑
だからすごい時間がかかっていて、
出かけているのもあって、まだやっと4つ目の習慣を終えたところです。
それで今回こちらで話したいのは
ウィンウィン(Win-Win)の話。
私ウィンウィンって嫌いなんです。
「この契約ならウィンウィンだと思うのですが?」って言って、
実はウィンウィンじゃない。
ウィンウィンって言葉を巧みに使う人は、自分の利益のことしか考えてない人なんだと思っていました。
しかし、この著者は、
「相手にとってロスしているなら、それは本当のウィンウィンではない」とのこと。
本当のウィンウィンとは、
しっかりと相手の欲しいものを与えつつ、自分の欲しいものも貰うことである。
この考えについて、私は嫌悪感を抱いていたんですよね。
大学生の時は、自分は他者のことばかり考えているから、
自分の意見を言おう、自分の感情を伝えよう、と必死でした。
だから相手が持ちかけてくる件で嫌だなって思ったら、
私にも有利な条件をオファーしたりとか。
思ったことはオーバーリアクションで伝えてみたりとか。
だからそこそこいい関係は繋げられていたと思うんです。
でもすると、徐々に「友達」っていうよりは、
本当に都合のいい人たちというか..。
一緒にご飯行って、楽しく話し合って、終わりではなく、
自分の行きたいところ、もしくは相手の行きたいところに行くために、
出かけるというか。
後はやっぱり、自分はこれだけ遊んでくれる人がいるんだっていう安心感を得るために遊んでいました。
というのも勉強もできない、英語もできない、人として何か違う自分を見せるのが怖くて、
だから話す時はバレないように上辺だけの話をしたりしていたのです。
上部が悪いのではなくて、隠すことに必死になりすぎて、
本当の自分を相手が知ってしまったら、
きっと「なんだこいつ」となるので、
私が自分の意見を言ったり、感情を出したりすると、
「気持ち悪い」と思われるのが怖かったのです。
いるじゃない、場違いな発言して周りを凍らせといて、
「あの人って場の空気を読めてないよね」って他の人に言うような人...。
そういう人になることで、距離を取られるのが怖くて必死でした。
だからこれも、この著者のい言葉を借りると、
人から見られていたい、安心感を得たい、と言う欲求が私を人に依存させているので、
自立できていないと言うことです。
だからそれを思うと、
いくらウィンウィンであったとしても、
あの時失敗したのは、どんなに怖くても、自分をさらけ出して、嫌われる勇気を持てなかったことなのかな、と思います。
というわけで、なんとなく なぜあの時のウィンウィンが私の「幸せになりたい」と言う思いに繋がらなかったのかわかりました。
しかし!
そんなこと当時は思っていなかった私。
ウィンウィンであろう、と言う私の気持ちが「人より優れている自分でありたい」「あいつらを見返してやりたい」と言う欲を強く作っていると思っていました。
ビジネスでウィンウィンでいよう、と言って、実は自分の利益の方が多い、なんて言う人もたくさん見ていた私は、
「ウィンウィンでありたい、と思うことは強欲で自己中心的な考え方だったんだ」と考え、
どうすれば正しい意味で、相手も私もハッピーになれるんだろうか。
そう考えていたんですけど、時が経って、母が私を支配下におきたがると言うこともあり、
いつの間に人の言うことを聞いて、人のやりたいようにやらせるようにしました。
私はどうすればその状況から抜け出せるのかわからない。
この人たちの好き勝手やらせないぞ、と言う気持ちで自分の意見を言っては結局同じことが起きてしまう。
どうすれば、依存心を出さずに私はハッピーになれるのだろうか。
もう相手のことは一切考えず、嫌われてもいいから好き勝手する?
でもそれだと皆に嫌われるのが怖いし、すごい傷つく。
じゃあもうこのままずっと言われた通りに動くの?
自分の意見を言うようになったらどうだろうか。
しかし、その言い方もストレートすぎると結局傷つけて、人間関係悪くなるし、
カモフラージュすれば、また依存心が出る。
ストレートかカモフラージュ。
純真か欲
みたいなところです。
もう答えがわからない!!!!
って思っていたんですけど、この本では
「ロスウィン(Loss-Win)であることは、自分が損して、相手に利益を与えるという考えです。これは心の通じ合った人間関係を育むのにはいいです。しかし、相手はどんな条件もどんなことも相手は受け入れてくる、と思い、別のところに逃げてしまうこともあります。」
まあ、無理難題言っても全部やってくれる都合のいい人になってしまう、と言うわけだ。
そこまでは、まあそうだよねって思っていて、そうなったら自己責任だとしか考えてなかったんですけど、その後書かれていたのが
「それだとあなた含めて、あなたの周りの人は、そんな相手を見て、なんて人だ!って思うのです。結局自分も傷つき、相手も傷つくので、結果としては良くないのです。」
と。
おお、そんなふうに考えたことはなかった。
だから、結局私は、自分がロスになっていても、自分が言いたい、表現したいって思った時だけ自分を出せばいいって思っていたのです。それがいい人間関係を作り上げる方法なのかなって考え始めていたのに、
実は薄々自分の中でも人間関係がうまく言っていないし、これが本当に正しいのかわからなかった部分があります。
だからその文を読んで、こう改めて自分の進む方法がわかった気がします。
そんな感じです。
だから本物のウィンウィンであるのは悪くないと言うことです。