同族嫌悪

誰しもこの人は生理的に無理、すごいイライラするっていう人がいると思うんですけど、

そういうのは同族嫌悪からくるものみたいです。

 

自分と同じものを持っていた人がいるとして、

「自分はこれだけ頑張って克服したのに、なんでこの人はこのまま何もしないんだ」という感情が湧いて、

嫌いになるみたいです。

 

さらにいうと、

「認めたくない自分を持っている相手」なんです。

 

私自身今そういう人が学校にいて、

どうすれば円滑にコミュニケーションが取れるのかな、と考えています。

 

そしたらあるウェブサイトではこういうふうに書かれていました。

漫画家・弘兼憲史氏は、

ぼくは、不愉快な印象を持った相手ほど気にかける。なぜ不愉快になったのか。相手のどんな言葉や行動が気に障ったのか。同じことを自分もしていないかと考えてみる」

 

らしいです。

 

というわけでやってみましょうか...。

 

<相手のどんな言葉や行動が気に障った?なぜ?>

-レシピ通りに作らなかった

調理をうまく作るために学校に通っているのであって、ただ調理をするためにきているわけではない。だから私はレシピ通りに作ることで、シェフの作ったものと比較をして自分の悪かった点、良かった点などを見出したい。そういうふうに調理できるようになりたいのに、同じ味にならなかったから、と鶏ガラの素を入れたり、もう柔らかいから大丈夫、と茹でなかったりされると、学んだ気がしないし、何しにいったのかわからない。

同じことをしていた。昔は結構適当に作っていたかも。それはレシピ読むのが苦手っていうのがあったから、フィーリングで作りたいなっていうのがあったし、そういう感じで作った方が特別なものが出来上がりそうって思ったから。でも一回そういう気持ちを我慢して作ってみたら、美味しいご飯ができた。どこを間違えたから美味しくなかったのか、ということも分かったから結果調理するのもうまくなった。

でも、それによってレシピに頼りすぎていたところはあるかもしれない。賄いを作る時もレシピ無しで作ったら変なのができそうで、怖くて作れなかった。何回も成功していて自信がない限りは作りたいと思えなくはなった。チャレンジ精神が減ったかもしれない。

 

-強引に物事を自分のしたいように進めようとした

私の品なのに、火が弱いから、と勝手に火を思いっきり強くされた。それでうまくいくならまだいいけど、私から見てもこれは勢いが強いってぐらい上げてきたからすごいイラッとした。これで私の作ったものが失敗したらどうしてくれるんだ。せめて一言聞いてから、火加減を変えてくれれば失敗しても、まあ、自分の判断だったしな、と思えたと思う。

同じことをしていたし、しているかも。自分では絶対こうした方がいいっていうのがあって、自分でも無意識に自分の思うように物事が行くように色々動かしていたかもしれない。後、今も「誰も指揮を取らないだろう」と思って自らリーダーシップをとることもあった。彼ほどではなかったにせよ、「絶対こうした方がいいよ」とか「こっちが合っているよ」と反論して、意見を変えなかったことは結構あったと思う。まあ、でも何かする前に「これはこうしていい?」と聞くようになったし、「周りがそれ違う」と言ったらやめるようにはなった。

彼よりは、強引さは低めにせよ、それによって周りに迷惑をかけているかもしれない。思い通りに進めようとしすぎて、周りを見すぎているかもしれない。不安になりすぎているかもしれない。ミスしてもいいよ〜っていう心構えがあるといいのかな。

 

-ミスしているのに、ごめんね〜って感じで全然反省していない

-自分も結構色々やらかしているのに、私がやらかしていることを気にしている

私も今までミスしたらごめんねって笑って済ませていたけど、そうすると本気でやって積み上げてきた人に失礼だなって思って、私もシリアスに問題に向き合うようになった。ミスして、ごめんね〜っていう態度であるのはいいんだけど、私がミスした時は、「え、お前やばいな」みたいな態度をとるのに、自分の時は「これぐらいいいでしょ?」みたいに言ってる感じがしてムカつく。自分も結構しているのに、カウントしていないことにムカつく。

昔はそうだった。昔はアルバイトとかでミスしても、怒られたり、それによって空気が悪くなるのが嫌で、あえてヘラヘラ笑った。ヘラヘラ笑えば、特に男性は嬉しそうに許してくれるし、私も気持ちが楽になった。でも私のしているミスが他の人にとって致命的なものであることもある。それでもヘラヘラ笑うのはやばいし、毎回そういう風に笑うと、本当に反省しているのかな、と人としても信頼されなくなりそうな気がした。

でも、どこかでこれぐらいいいじゃんか、別に成果が良かったから、悪かったからと言って、私たちの寿命が伸びるわけでも、直接的にハッピーになるわけでもないって思っている部分はあった。ミスすることは極力避けたいし、ミスすると周りからのあたりが厳しくなるから嫌だけど、本当はミスしたっていいじゃんかっていう気持ちが強いかも。なんかこの瞬間に自分がハッピーなのかどうかの方が大事。ミスぐらいでそんなシリアスに取らないでって感じ。

 

-「聞いておく」と言ったのに、聞き忘れたものをなぜか私に「これ何?」と聞いてきた

意味がわからない。私に捨てないで、と言っていたから、彼の判断で置いているかと思っていたのに、いつの間に私に決定権みたいなのが周ってきて驚いた。自分の知らないもの、触れたくないものは「俺のじゃないから」と責任転嫁している感じも嫌だったけど、聞いとくって言っていたのにそれを忘れた挙句、自分が残したということも忘れて人のせいにしている感じがなんか、めんどくさい。これで私が「わからない」とだけ答えたら、「なんで自分のものを覚えていないんだよ」っていうふうに心の中で責められそう。自分がやったことではないことを自分のせいにされるのに納得いかない。

 無意識にやっているかも。私も自分の言ったことや誰かに言われたことを忘れることが多い。そのまま、こんなの習ってない、とかっていうことはある。聞くって言っていたのに忘れて、「これなんだっけ....」ってなることもある。だから「忘れる」っていうことに恐怖を感じている。「やったけどどんなんだったけ」はまだいいけど、まるまる言われたことを忘れるっていうことが記憶喪失みたいでショックだし、悲しかった。それだけではなくて、自分の言ったことに責任感を持てていない彼が嫌だったし、それは自分も一緒で、言ったこと、言われたことを忘れるということは、わざとではなくてもその仕事を忘れてしまう=それぐらい小さなことだった、という示し方になってしまう。後は、覚えていないことに対して、何度も責められたことがあるから、同じことをした彼は(しかもなにげ上から目線)なぜ責められないんだって不満に感じたのかもしれない。

でもどれだけ頑張っても覚えられないし、それに対して責められるってことは、自分の人格を否定されているみたいですごく辛い。頑張っても結果がでなければ一緒だっていうのもわかるけど、本当は自分の頑張りを認めて欲しい。そこを評価して欲しい。

 

-これはこうだよって二人で言っても「俺を信じろ」と強引に進めるところ

明らかにレシピと違うし、今まで教わったことから逸脱しているのに、俺を信じろって私達も道連れにして欲しくない。それでシェフに「これ間違っているよ」とか「何をしたの?」と聞かれたり、言われたりしたら、私達もその責任を持たなくてはいけない。それで不合格ってなってしまっても、仕方がない状況になってしまう。もう少し自分の発言や行動がどういうふうに他の人に影響するのか考えて欲しい。

そういう部分はあるかも。さっきのに似ているけど、さっきこの人はこう言っていた、だから絶対こうだよってみんなに強くいったのに、後から「そんなこと言っていない」というパターンが多かった。自分がこれで合っている、と自信を持っていうことは大切だけど、失敗したらどうなるのだろう、周りはどう思っているのだろうか、ということを忘れることがあると感じた。流れは違くても、結局皆の評価を左右する、というところは一緒だと感じた。実際には自分が合っていると思っているからいうし、実際に私が合っていることもある。もっと彼みたいに自信を持って、強引にでも自分の意見が合っていると説明できる部分は羨ましい。

でも自分は合っていると思って言ったわけだし、それが間違っていたら、私はなんて言えばいいのかわからない。他の人に頼るしかない、と思ってしまう部分もある。

 

-口ではああだこうだいうわりになんもやっていない

-自分がやりたくないことを人に押し付けて、自分のやりたいことばかりをやる

自分の言ったことを実行できないことが人として無理。嘘ついているようなものだし、わかっていてやっているから、なおさらムカつく。自分がいないことによって他の人がやっているということを理解していなさそう。彼にとっては代わりに他のを担当しているからトータルで見たら貢献しているからいい、と感じているかもしれないけど、

自分の担当していた分を私達3人だけでやっていたわけなのだから、もう少し考えて欲しい。

これはやっていない 。むしろ真逆で、私はやりたくないことばっかりやるし、黙っていることが多いと思う。だから好き放題している彼がすごくウザいと感じるのだと思う。これが同級生だとか、高校生だとかならいいけど、30になっても自分のしたいことだけするのはどうだろうか。

私はもう少し肩の力を抜いて、やりたいことをやらせてもらった方がいいのかもしれない。後やりたくないことをやらない。

 

-私にイライラしているのはわかるけど、何にイライラしているのかわからない

そのまんま。彼ほど自分はやばいと思っていないので、そんな相手に「あいつはやばい」と思われることが癪に障る。

これは私もやっている。相手も私はすごい色々やらかしているのに、自分に対してイライラしている、ときっと思っている。でもここでは、なんだろう、相手の方がひどいのにっていう気持ちが大きいかも。

 

-私がいつも寝ていてふわふわしているから「くらげ」と呼んできた

これ全て終わってからの「くらげ」って、なんか嫌味っぽく聞こえた。

 

さて、自分も同じことをしていないかってことですね.....。

上に赤い文字で書いていこう。

そして青い文字で、本心も書いていこう。

 

.....

上記のようになりました。

そう言えば私こんな考え方していたなあ、なんて思いながら書いたのですが、

少しスッキリ。

 

続き

では書いていきます。

 

4.嫌いな人、苦手な人との距離感がわからなくなる

せっかくおばちゃんの話をしていたので、引き続き....。

嫌いな人ではなくて、そのほかの人たちともそうなのですが、

人との距離感というか。

なんか相手に対してすごく怖く感じたり、不安に感じたりすることがあります。

 

相手と会話をしているときに、

多分自分の返し方が気になってしまうんです。

 

どういう風に返せば違和感ないんだろう、

失礼ではないんだろうって感じですかね。

 

例えば、おばちゃんと話していて、

ネチネチ言われ始めたら、

きっと今までの私だったら、

「ふーん。ふん。ふん」って感じで聞いていたんですけど、

それをしたら前職の先輩に「は?」って感じの態度を取られたんですよね。

 

反論すれば、毎回反抗してくるなって感じになると思うし。

 

それをやめるとまともに言われたことを聞いて、

我慢してしまいます。

 

言われたことを左から右に流す、というのを

相手に気付かれずにやることが上手くできず、

後からチクチク言われます。

 

今までは「このおばさん何いってるんだろう。意味不明。」

って感じで、冷ややかな感じで見ることで、

上手く距離取れていた感じがするけど、

 

なんだろう自信なのかな。

「私はこの人よりも絶対高い位にいる」っていう自信が

以前はあったのかな。

 

上も下もないわな。

だから今悩んでいるんですよね.....。

自分自身にもっと自信を持つにせよ、

こんな毎回距離近かったら、疲れてそれどころではない。

 

これは自分の力ではどうにもできないのでネットに頼ろう

→人との距離感の癖を見つける。

私の場合は、仲良くなり始めると干渉されるのが怖くて遠ざけ始める。

っていうのが一番大きいと思う。

後は、苦手、嫌いって思う人がいたら、逆に仲良くする

興味がない人に対して興味があるフリをする。

 

なんか違うな、これ。

 

ほかのサイトを見てみよう。

 

......。

 

相手の距離感などなんて考えてもわからないので、

自分が心地いいと思う距離感で話そう、とほかのサイトでは書いてありました。

→おばちゃんに対してどれぐらいの距離感だと話しやすいのかを探る。

 

そもそも距離感ってなんだろうって感じではあります...笑

おばちゃんとはできるなら全く話したくない。

顔を合わせたら挨拶するぐらいでいい。

何か話しかけてきても「あ、そうなんだ」って感じであっさり返したいかも。

もし私に対して、なんでこんなこともできないのって言われたら

できないんだから仕方ないじゃないって言いながら

「ごめん〜」って流したいかも。

さすがに話し長かったらなんていうかな。

「〇〇しなければいけないから、お先に失礼します」

って言えたらいいんだけどな。

 

なんだろう。

 

結局なんで上手く距離が取れないのかわからない。

それぐらい根深い問題なのかな。

 

なんで嫌いな人とうまく距離が取れないと思うか

→嫌いだということがバレたら、嫌がらせを受けるから

→好き嫌いがはっきりしていて、態度が極端になってしまいがちだから

→そもそも嫌いだと感じた人と近くで働くことが今までなかったから免疫がない

(嫌いだと感じる人もそんなにいなかった)

→そもそも相手のことが嫌いだとも気付かずにされるがままだったことに気づいて、なんとかしたいと思い始めたから

 

嫌がらせを受けるから、嫌いだとバレたくないっていうのは大きい。

でも別に嫌いだからといって思いっきり避ける必要はないのよね。

それはわかっているんだけど、顔に出るのよねえ。

 

.....

 

相手の嫌いなところをあげれば、

「〇〇さんが嫌い」ではなく、

「〇〇さんのここだけが嫌い」となって、

存在を嫌いにならずに円滑になる、というのをほかのウェブサイトで見ました。

 

 

おばちゃんの嫌いな点:

-調理で基本的にしなければいけないことをしない

-周りの意見に耳を傾けない

-うるさい

-ネチネチしている

-どこまでもついてくる、手伝ってくる

-必要以上に面倒を見てくる(自由がない)

-仕事を教えてくれるときに、部分的にだけ教えてくる

-私の悪口というか「あいつ何」って感じのことを多分周りに言っている

-自分の思い通りにいかないと愚痴る

-自分がやっていないことで起きたことでさえ、私のせいになる

-ふたを開ける、上にあるものを取る、など簡単なことでさえ周りの人にお願いする

-一緒にいて全然落ち着かない

 

めちゃめちゃ嫌いなポイントあるやんけ。

 

「嫌いなポイントここだけかあ」ってやりたかったのに

すごい嫌いじゃない笑笑

 

全部まとめちゃうか。

まとめると「ただのめんどくさいやつ」ってことでいいのかな。

 

それだ。

いい人だけど、限りなくめんどくさい人。

 

それでいこう。

 

 

 

 

 

反省会

先週言ったように、

その日のミス、気になる点、いい点をまとめるようにしました。

 

今まで何度かブログに自分の反省点を書いていて、

なんか似たものが多いな、と思ったんです。

根本的に変えたいから、

分析してなぜかを知りたいと思って、

毎日つけるようにしました。

 

自分なりにすでに先週3日分のまとめは作ってあるので、

それを元に今日は反省をしていきたいと思います。

 

ミスは、正直ただ忘れていることが多いから、

もっと自信をついて今までのように覚えることを心がけておけばなんとかなると思う。

 

いい点も見ていて、少しずつだけど、覚えてきているし、

働けるようになってきているなって感じた。

 

ただ「気になる点」が一番問題だなって思った。

ただミスをたくさんしてしまうのではなく、

もっと根深いと感じたので、

この部分だけ、ブログで書いていきたいです。

 

<気になる点(3日分)>

1. 自分のやっていることに自信がない。

例えば、ブロッコリーを茹でるときに、何分なのかわからない。スタッフに直接聞けば、「なんでそんなこともわからないの?」と言われる気がして携帯で検索したら、

3分とでてきた。

ただ他のスタッフに「調理は時間を見るのではなく、目でみて確認するものなんだよ」と言われていたこともあり、そして3分というのは沸騰している水に入れた場合なので、

80℃の水の中では何分入れればいいのかわからなかった。

 

この80℃お湯に入れて、とシェフに言われたので、

沸騰した水を用意したらなんて言われるのか....。

 

ということもありしどろもどろになりながら、

目で確認しているけど、全然わからない。

 

一回取り出して氷水に入れた後に茹で上がってないことに気がついた。

そして、もう一回お湯を用意し、氷水を用意し、

また茹でる...。

 

ということが起きました。

これはブロッコリーだけではなく、他のことでもそうですけど、

 

全体的に自信がないな、と思いました。

そして自信がないのは、間違えるだろうって自分でわかっているからなんだと思います。

 

もちろんこれで何分で茹でればいいのかはわかったわけですが、

他のことでまた同じようにモタモタしていたら周りにイライラされる。

→スタッフに聞く(イライラされるのが怖い。また裏で「こんなのもわからない」と噂されるのも怖い)

→具体的にどこで間違えると感じているのかわかったら、スタッフにその部分だけさりげなく聞く(それができないから辛いんだって)

→自分のやりたいようにさせてもらう(周りに「なんでこんなことするんだ」って裏で言われそう)

→とりあえず自信を持つ

 

2.予想外のことに対して対応ができない

1.と繋がっているけど、きっとブロッコリーも、沸騰したお湯があったら、

自信を持って茹でることができたんだと思う。

だから、急にそこのお湯使って、と言われたことに動揺して自分でもどうしたらいいかわからなくなったんだと思う。

→そこで「でもそこのお湯だと何分茹でればいいのかわからない」と言えたらよかった。その時その時に、何に対してフリーズしてしまっているのかを素直に言えるようになるといいのかな。

(そういえばそれで「でも」ってよく使ったら「ユキっていつも否定から入るよね」って前職の先輩に言われたことを思い出した。本当にムカついたな...笑)

 

3. 許容できないことに対しての免疫が低い

これは急な事態だけではなくて、自分の知らないことに対する行動も下手なんだと思う。

今回はおばちゃんに対してそう思うことが多くて、

一つはすごく距離が近いということ。

 

前職の先輩と一緒ですが、

基本的に助けたい、という気持ちで面倒見てくれているんです。

それが役立っている、と感じる部分も大きいですが、

同時に「そこまでやらなくても」って感じるんですよね。

でもそれをうまく伝えられない。

結果、相手が私のミスに対してイライラしてきて、

距離が近いから私への攻撃が始まるんです。

 

相手が完全に悪い人なら、

私もそういった姿勢で話せるのですが、

何せ相手は助けてくれている相手だし、

私への攻撃も正直的確。

ただ使っている言葉が精神的にえぐってくるものだったり、

それぐらい自分でやれよって思うことをお願いされたりしやすくなる。

 

→なんでもやるよ、助けるよっていう姿勢がいけないのかもしれない。

あ、無理って思ったら距離を取る(その距離の取り方がわからない)

→適当に同意する(クラスメートにそうしな、と言われた)

 

後はそのおばちゃん、仕事が適当なんですね。

私に色々言ってくるわりには、

自分もできていない。

正直見てられない。

さすがの私でもそれはするよ、ということのオンパレード。

 

他の人たちを見ていると、

「えっ、なんでこんな入れ方するの?」って優しくいうんですよね。

それに対しておばちゃんは

「これでいいのよ。私はこうしたほうがいいと思うの」っていうと、

「そっかなあー」って感じで会話が終わるんです。

 

まあ、きっと他の人たちは常にそのおばちゃんといるわけではないから、

許せるのかもしれない。

でもいつも一緒にいる私からしたら、

たったこれをやるだけで劇的に良くなるのにって思うとすごいむず痒い。

後、そういう仕事のやり方も学びたくてきているのに、

何から何まで違うやり方で教わると

イライラしてくる。

 

それを直接言いたくなるけど、きっと聞かない。

そしてあなた新人でしょうっていう感じの言葉が返ってきそう。

あまり「あなたやばいよ」みたいな雰囲気も出したくないから、

かける言葉に悩む。

→周りの人に彼女のことを相談する(今日クラスメートにそうしな、と言われた)

→自分はこっちの方がいい、と思ったら「おばちゃんのやり方もいいけど、私はこっちがいいな」とそれとなく伝える。それでも頑固にきたら、誰かに助けを求める?

 

あんまり「やばいおばさん」みたいに仕立て上げたくないんです。

私がいることでイライラがマックスになっていることも事実なんで...。

 

4.他人の一言でその日の感情が左右される

正直これは仕方なくないか、と自分では思っている。

おばちゃんが私に向かって

「なんでこんな簡単なこともできないの。こんなのもできないならどこに行っても働けないね」

「何度も言ってるんだけどな(笑)。言っても忘れるならいう意味ないわね(笑)」

「はいっていうけど忘れるよね。(はいっていう)意味ないし、言わなくていい(笑)」

「もうこれ以上は無理だわ。ギブアップするね(去る)」

とネチネチと言う、ということが先週起きました。

 

しかも、本当に小さなことです。

まずキッチンに入ったら、すべての調味料や食材があるかを確認するんですね。

 

他の人が説明するときって、

「まずキッチンに入ったらこれとこれとこれをする」って感じなのですが、

おばちゃんの場合は、

「こっちきて」

「はい、これにこれ詰めて」

「これが入っているか確認してね」

なんです。

 

いまいち、おばちゃんは私に何をして欲しいのかがわかっていないんだと思います。

他の人の言い方だと

「あ、私一人でもこれをするんだな」って理解するのですが、

おばちゃんの場合は

「これは共同作業なんだな」っていう風に理解しているんだと思います。

 

だから言われなければやらなければいい、みたいな。

 

そして一応前回、ここをチェックしてね、と言われていたところはしていたし、

準備は万端だったのですが、

裏の冷蔵庫でいつもスタンバイしているトマトケチャップだけなかったのです。

 

とはいえ、瓶に入っているのを容器に詰めるだけですし、

表にあるトマトケチャップはいっぱいなので、特に問題はない....。

 

ただ彼女としては

言ったことをなぜやってくれていないのって感じだったんだとは思います。

だからといってそこまでいう?!とも思いましたが。

 

そのときはただただいろんな感情が混じっていましたね。

確かに言われていたし、暇だったのだから、気がついてもおかしくなかったのになんでできなかったんだろう。

なんでここまでこの人に言われなければいけないんだ。そもそもお前の教え方がへたっだんだろう。自分だってうまくできていないことあるのに。それを私は黙っているのに。

でも確かにこんなこともできないなんて私人としてやばいんだな。もうなんか無理かも。

あ、やっと去ってくれる。これで過干渉に接されなくてすむ。

わざとではないし、いつも100%を出し切って頑張っているのに、なんでここまで言われなければいけないんだ。

やっぱり努力しても無理なんかなあ。皆もいつかおばちゃんみたいにどれだけ頑張っても、結果が出ないことで冷ややかに見始めるんかなあ。

なんか辛い。

 

という感じでした。

自分でも感情の処理ができずにキッチンでひっそり泣きました。

 

なんだろう、

自分が敏感すぎるんだなって最初は思っていたのですが、

こうやって改めて文字として書き起こすと、

自分の中でいろんな思いがあるから落ち込んだわけで、

仕方のないことだったんじゃないかな、と感じ始めました。

ただ、その気持ちをずっと引きずることがいけなかった、と。

でもあそこで、感情を出していたらきっと大泣きしていたしなあ。

 

追い詰めてくる人が苦手なんだろうなあ。

こう、さらっと聞き流してればよかったんだけど、

それができないことで起きてしまったことだと思います。

 

→「Yes」という相手のことを聞いていますよ感をなくすために「I see」を使って聞き流してみる。

 

まだこれ半分もいっていないのですが、結構書きましたね。

続きは別の日に書きたいと思います。

寛大になる方法

「今日の反省点」みたいなのをこのブログで行なっていましたが、

もっと頻繁に、できれば気づいたその時に書きたいと思い、

昨日から紙に書き始めました。

 

昨日はいつも私と一緒にいるおばちゃんは休みで、

今日はおばちゃん来ていました。

 

そして2日分のメモをみて、気づいたことがあるのです。

今日スッッッゴク疲れたんですね。

後すごい怒られたような気がして、

ああ、今日はすごくたくさんミスしたなあ、といった気持ちで帰ってきたのですが、

メモを見ると、

そんなにミスの量変わらないんですよね。

それどころか少なくなっている気がする。

 

一つ増えたとしたら、<気になる点>。

昨日のに関しては、自分の仕事のやり方がグダグダしている、ということが

全体的に目立ったけど、

今日のメモはそのおばちゃんに対するイライラが溜まっていた。

 

「本当はこうするのに、こうしているのを見て我慢ならなかった」

「一人でできる作業なのに、なぜか二人でやろうとしてきてストレスだった」

などなど。

 

思い返せば、私ミスらしいミスはしていないけど、

例えば、他の人が間違えたことを

まるで私がやったかのように

「こういうのを気をつけてって言ったでしょう」と

言ってきたり、

ちょっとぶつかってしまったときに、

お互いが悪かった(というか私はいつも通り歩いていたんだけど)のにもかかわらず、

「はあ」とまるで私が一方的に悪かったかのようなリアクションを取られた。

 

他にも言いたいことはあるけど、

我慢しているって感じの態度を取られた。

 

正直ムカついた。

私も言わないようにしていたし、

彼女が私に対して言いたい部分ってきっと、

ただ考え方が違うから起きるものであって、

彼女がいつも正しいわけではない。

 

そして、私が彼女にいらいらする部分は、

正直仕事の基本としては大事なものだと思う。

 

生ものにはラップをする。

そして全てにラベルを貼る。

麺を一人前ずつ分けてラップするときは、

機械を使って測る。

 

だから、すごく言いたくなるし、

言ったことも何度かあるのですが、

「こっちの方がこうだから、こうした方がいい」と

あなたもこうしなさい、と言われます。

 

私が他のやり方でやろうものなら、

「なんで言ったことわからないのかしら」と

途中で割って入ってきます。

 

疲れる。

とても疲れる。

 

彼女も、多分ミスというか、

ぼーっとしている私を見て、

イライラする点はたくさんあるのだろうけど。

 

そして、なにより、

そんなにやばいわけではないというか、

ほっとけばいいところまで干渉してくるから、

なんか私もどんどんされるがままになっていくんですよね....。

 

そのおばちゃんに歯向かえば、

「あなたは新人で、私はこの世界で何年もやってきているのに、

私に歯向かう気?」みたいな感じで、

またチクチク言われ始めるんかなって思ったらいたたまれない。

 

どうしようか....

どうすればいいんだろう。

私と関係割り切ってください。

 

もう見放してくれて結構ですって面と向かって言いたい。

 

ただ遅かった?

新年明けましたね。

 

私はインターンがあるため、

一人海外に残り、

父親は家族と一緒に日本で正月を祝いました...笑

 

とはいっても友人と遊びに行ったり、

充実はしていたのですが。

 

それでやっぱり年末は紅白を見たいな、と思い、

親に私の方の家で見れるかどうかを聞きました。

 

「ケーブルをつなげれば見れるよ」と。

だから教えて、と伝えたら

 

母親がとっさに

「ユキにできるわけがない」と言ったのです。

 

いや、できるわっていう気持ちと一緒に

その時は違和感を持ったんです。

 

うまく言えないのですが、

私は「ユキにできるわけがない」と言われて、

「あ、私できないんだ」って納得した部分があったんです。

 

本当にできるかできないかは置いといて、です。

母にユキはできない、と言われた瞬間、

できるとわかっていながらも、そういう気持ちになったのです。

 

たかがケーブルですが、

私の母は本当に過保護で、

大学生の時に一人暮らしを始めるまで、

何一つ一人でやらせてもらえませんでした。

 

だから、うーん...

色々と自分ではできないことがあって、

その度に母は「私がいないとこの子は何もできない」と助けてくれていました。

 

とりあえずすごいモヤモヤしたんです。

自分でもうまく言えないのですが、

怒りは込み上げて来ました。

 

後、全く問題なく自分でできました。

が、もしこれが社会人になりたての頃だったら、きっとできていない。

でも...うーん

 

うまく説明できないので、

まず話そうと思ったことを話していきます。

 

それで、新年が明けて、

SNSで自分の悩んでいることをおおっ広げに書きました。

 

それもあってか友人とご飯に行く時に仕事の話になり、

私にどういう風にすればミスを減らすことができるのかを教えてくれたのです。

 

すごく驚いたのは、

その方法は私が社会人になってから、

いろんな人づてに聞いた方法だったということです。

 

私はこんな風にミスばかりすることで悩んでいるのは、

私がそういう性格だからだと思っていたんです。

けど彼女は大学生の時に私と同じように色々悩み、

ミスを減らす、うまく働く方法を編み出していたり、

周りから聞いていたりしたんです。

 

そして今は普通に働いているのです。

 

一番衝撃だったのは、

私が直らない、と思っていたことに対して

いとも簡単に解決策を見出したこと。

 

以前ブログで、どうしても玄米と白米を間違えて渡すことや、

あんことカスタードの饅頭を全部逆に入れて、

お客さんを怒らせたとか、

なかなか意識しても変えられないっていうことを伝えたかと思います。

 

あ、これは私病気だ、治らないんだって自分の中で思っていたのですが、

 

どういうミスがあるの?って聞かれて、

この例を出した時に

彼女はとっさに「それは一旦紙に書くといいかもね」と言ったのです。

 

「例えば、あ(あんこ)とカ(カスタード)って上の方に書いて、その時に受けた注文数をそこに書いてから、饅頭を入れていく。そこに書いておけば、何度でも見直せるし、お客さんが間違えて伝えていたとしても、その紙を見せて誤解を解くことができる」と言ったのです。

 

私は「それ重症だね。難しいね....」で終わるのだと思っていたんです。

けど彼女はすぐに解決策を見つけようとしたのです。

 

それで私はもしかして、

自分は「ユキにはできない」という風に育てられてきたから、

自分にはできない、と思い込んでいたんじゃないか、と初めてちゃんと気づいたのです。

 

それが紅白を見る、見ない、のときのモヤモヤの正体だったのだと思います。

 

ケーブルをただとって、

もう一つのテレビに刺すだけ。

 

それだけの行動なのですが、

「あなたにはできない」と言われると、

できないから、全て相手に委ねてしまうのです。

ケーブルをここをこうする、と説明されても、

 

ふーんって感じで聞いて、

なんかよくわからないやーって思ったらすぐ質問をしていたと思うし、

きっとビデオ通話なんかにして、

どこに刺すの?なんてやっていたと思います。

 

でも私はケーブルに刺すことができなかったのではなく、

刺せないから、と思い込んで、やってもらっていたのかな、と感じます。

 

恐ろしい。

 

映画の広告で見たことあるんですよ。

親に病気だと言われ、ずっと車椅子生活を強いられていた普通の娘の話。

ノンフィクションを再現したらしいです。

だから、私もそれに近い形で、

「私にはできない」と洗脳され、

母親に頼らなければ何もできない状態に置かれたのだと思います。

 

恐ろしい、と共にホッともしました。

 

今まで散々発達障害のせいできっと仕事ができないんだ、と思っていたのに、

発達障害ではない、と診断され、

一人で悩んでいたのです。

 

でも今ならわかります。

私はできない、と親に思い込まされていただけで、

私はできるのだと。

発達障害というよりは、私の育った環境に問題があったのだと。

 

そしてずっとできないから、と育ってきたから、

ミスするたびに「私ずっとできなかったしな」とどこかで諦めていたというか、

いっぱいいっぱいになっていたんだと思います。

 

諦めることが癖になっていたというか。

 

でも友人が大学生の時に似た経験をしていて、

今は普通に働いているのを聞くと、

 

なんだ、私他の人よりも気づくスピードが遅かっただけなんだ、とホッとしたんです。

私の話を聞いて「それはやばいね」と彼女は一言も口に出しませんでした。

気を遣っていたのかもしれないけど、

叫んでしまうこと酷いことは私していないんだな、と知りました。

 

なんていうんだろう。

もちろん原価を送るなんて絶対にしてはいけないことだけど、

 

きっと今の私ではやってしまっても仕方がなかったのかもしれない。

 

そして「私はこういう人だから」という気持ちがなくなって、

今までのミスに対して、なぜか向き合えるようになった。

 

これはこうしよう、ああしよう、

まだ治せる見込みがある、と

ポジティブな気持ちになりました。

悔しい

いろんな感情が混じっています。

 

ようやく自分と向き合いたい、

今の状況をなんとかしたい、と努力を少し始めたり、

自分の被害妄想を少し良くできたり、

人とも以前より話せるようになったり、

 

自分の状況は少しずつ良くなっていっていて、

気持ちが少しずつ晴れやかになっている感じはします。

 

でも一方で、自分の仕事に対するスタンスを変えることがすごく難しい。

 

スピードが遅くてもいい、なんて思っていないけど、

早くできなかったり、

人と普通に話したいのに、怖くなったり、

自分をしっかりと出したいのに、前職のときのように嫌がられると思うと、

なかなか自分の意見が言えなかったり、

ミスも減らないし、

二度言われたことができていないことも結構ある。

 

そういうこともあって、

周りもどんどんイライラしてくるし、

私の仕事態度を見て、本気ではない、って感じた人も多いんだと思う。

 

私が中国語わかることをわかっていないのか、

目の前で、他の人に中国語で私に対して思うことを言うし、

私も結構噂とかに敏感だから、

よく「あ、今私の話をしていたんだな」とかわかってしまう。

直接チクチク言ってきたり、上からな態度を取る人も増えた。

 

それがすごく悔しい。

 

私はできる限りのことはしようと努めているけど、

全然足りていないし、

というか焦る気持ちが先に来ちゃって、

直せていないし、

結果が出ない、ということがとてつもなく辛い。

 

そして、周りから頑張ってって思われているだろうし、

だから協力してくれているんだとは思うけど、

逆にそういう気持ちが

「もしこれでできなかったらどうしよう」っていうプレッシャーになる。

 

そこそこできている人が応援されているなら、

よし、頑張ろうってなると思う。

できなくても、頑張ったから仕方ないってなるし。

 

でも元からできていない人が応援されて、

仮に頑張ってもできなかったら、

それは、仕方ないで済まされない。

これだけやってあげたのに、なんでできないんだよって

いう方向にい句と思う。

 

私は真剣に仕事に取り組んでるし、

人との話し方にも人一倍気を遣っているんだけどな。