Calling

英語で、ある宗教的な考え方で、

人はそれぞれ使命を果たすために生まれて来て、

だから看護師として生まれて来た人は

自然と看護師になっていくというものがあります。

 

これをcallingと呼びます。

 

私にもそういうのがあったらと思って、

調理を始めたわけですが、

最近これが私のcallingなのかなって思いました。

 

調理を諦めたいと思っても諦められない。

もちろん普通の仕事が向いていないからっていうのもあるけど、

そもそも向いていないってところから、

もう仕向けられているんじゃないかって感じるよね。

 

それも調理ならなんでもいいって感じでもなくて、

フュージョンを考えたり、

アレンジを考えると、一気に楽しくなるんです。

 

今でも自分は生きているのか死んでいるのか、

よくわからないって思うことがあるけど、

そういうフュージョンを考えて、作ってみて、

それを表現していいんだって思えるだけで、

気持ちの軽さが変わる。

 

なんかさ、私の意思ってここまで固かったんだっていうのも思った。

もしくは負けず嫌いなのかな。

 

どうしても日本人にシンガポールの良さをわかって欲しいっていう気持ちとか、

シンガポール人にもっと日本人を理解して欲しいっていう気持ちが湧くし、

それを伝えたいと思う。

 

私自身はそうしたいって思わないけど、

やっぱりそう思って仕事しよう、とか

生きたいって思った時に私はあ、生きているって感じました。

疲れた

今調理学校の授業にまた通い始めたのですが、辛い笑

 

ずっと講義を受けているからっていうのもあったのですが、

予想外にプレゼンが上手くいかない。

 

なんか自分と違う育ち方をした人と働くとこんな感じなんだっていうことを思い知らされました。

 

テーマはチームワークで、調理とは少し離れた感じのプレゼンです。

 

メンバーは、私含めて4人で、

一人は話が普通に通じるし、面白いけど、学校に行っていないので読み書きがわからない4、50代ぐらいのおじさん

もう一人は優しいけど、耳もあまり聞こえず、自分でも何をしているか理解できていない70代のおじちゃん

もう一人は大事なことを抜き出したりするのが得意だけど、自分の意見を押し通そうと場を仕切ってしまう50代のおばちゃん

 

って感じです。

ここで共通しているのは

ー説明をしっかりと理解しない

ー皆中卒、または高卒

ー皆高齢

 

って感じです。

 

それでまあ、私がリーダーになったのですが....

そもそもまとめるのが苦手

誰かと一緒に何かやるのが苦手なんです。

 

いい勉強だと思って頑張ったのですが、

なんか大変でした。

 

一人5分をスライド3枚も使って話すらしいのですが、

そもそもおじさん二人は話を理解できていない。

 

確かにわからないとは言っていたけど、

今までの授業もテキスト読んだり、書いたりしていたので、

少なくともプレゼンの内容が書かれたテキストぐらいは読めると思っていた。

 

そこにまず衝撃を受けた。

まじかよ。なんでわからんの。

 

しかも、わからないことを言い訳に私にあれこれやらせようとする。

 

気持ちはわからなくない。

私も上手くまとめられていなかったから、

自分でやるのが不安になる気持ちはわかる。

 

でもさ、そもそも書いてあることを読めばいいやって思っていたことがおかしいし、

理解できていないなら、自分から聞かなければいけない。

知らないからやらない、

できないからやらない、

じゃなくてやらなきゃいけないという選択肢しか残っていないのに、

何を言ってるんだ、このおじさんたちはって思いました。

 

こんなこと言ったら失礼ですけど、

この時にこれが学歴の差なのかって思いました。

 

多分あっち側のおじさん二人は、

読み書きも苦手だし、理解できていないし、不安だし、

だからやれないし、

ユキがやったほうがスムーズにいくからやってほしい

って思っていたと思うんですよね。

 

でも私だったら、本当に読み書きできないなら、

家に帰って、これどういう意味なのか誰かに聞いて、

問題の質問に対する答えを用意する。

 

そういうことをしないんです。

 

苦手なことを言い訳にしないし、

だったら自分には何ができるのかを考える。

 

すごいその姿勢にムカついた。

二人がやらないぶん、私ともう一人のおばさんがやるわけだし、

このおばさんは勢いがありすぎて、正直コントロールするのが大変だったし、

私もイライラしてきて、どんどん「私が」「私が」ってなっちゃうし。

 

勢いがあって、いい感じのことが言えるなら、まだしも、

今ここの話をしているのに、なんでそこにまた戻った?!って思う時も多かったし、

なんか若いからっていうのもあって、

なんか「ねえ、これやってよ」って頼んでくる時もある。

いや、自分でかけよ。

 

なんでも私がやったほうが早いからって押し付けんで自分でやりなよ。

そのために携帯からもパワーポイントアクセスできるようにしたのに、なんなん。

 

皆いい人だし、私のことを慕ってくれているぶん、

そういう気持ちを出しにくい

 

なによりも二人も読み書きができない、話が通じない人がいると、

まずは説明するのに時間をとるわけです...

しかも一応年上なので、

「これ意味わかる?これはね....」っていうのは気が引けるわけで、

さりげなく「これはこういう意味だっけ?」って感じで、

自分が読んだもののまとめを言いました。

私偉い。

 

それで、まあ皆理解したって思って話を進めると、

まあまあ50代のおばさんがグイグイくる。

グイグイくるのはいいんだけど、

あれ、この話よりもこの話が大事じゃない?ってなることが多くて、

どうすれば話に戻ってもらえるのかわからないし

4、50代ぐらいのおじさんは、

あ、これは何言っても聞いてもらえないって悟ったのか、

そのおばさんのいうことや私のいうことに対して、

頷いて適当にいいんじゃないっていって、

たまに自分の意見を言うぐらいで、

全然考えてくれない。

70代のおじちゃんに関しては、時間差でこれどう?って

さっき解決した話に関した検索結果を見せてくる。

検索結果だけでウェブサイトじゃないんかい!!!

って思いましたね。笑

 

いや、私もわからなくはないんですよ。

読み書きできなくて、

パソコンも使えないのに、パワーポイントでプレゼンなんて言われて、

今までレストランとかでしか働いたことないから、

ちょっとプレゼンの組み立て方がわからないとか。

 

気持ちはわかる

でもやるしかないんだから潔くやれよって思ったわけです。

 

私が頭良ければ、

どんなにできない人、やったことない人にも丁寧に説明して、

パワーポイントもこういうレイアウトでやろうよって話して、

シンプルに書くことができると思うし、

まとめることもできると思うんですけど

できないんですよ。

 

できない私にリーダーを任せるなってね。

マジで。

できないけど頑張りましたよ。

頑張ったから、そのイライラが伝わって申し訳ないって気持ちもありましたよ。

 

でもなんだろうね、この湧き上がる、このやろうって言う気持ちは。

 

何がムカつくって、

おとといのプレゼンの話なのですが、

説明を間違えて聞いていたこともあり、

結構散々な出来上がりになったままプレゼンすることになったんですね。

 

私ともう一人の50代のそのおばさんが仕切ってやっていたのですが、

まあ、私もその方も自分が何を話しているのかわからない状態だったと思う。

 

とりあえずポスターを書いた人以外がプレゼンをするって話になったので、

じゃあ私以外の3人が話してくれるんだなって思っていたわけですよ。

そしたらどう言うことか、

男性陣二人とも出てこない。

お前やれよってお互いに押し合いをしている。

 

いや、やれよ。

結局押し合って、私がやるし、

おばさんも助けてくれたけど、

結局半分以上私がやりました。

 

男性陣は一回も出てこない。

それに対して、すごいイラついていたのですが、

そんな私を見かねたのか、

他のグループの男性が、

そのおじさん一人に助けてやりなよって促してくれました。

 

やっとやってくれたってホッとしたのですが、

そのあとに言われたのが

「いやー、わかっていたらやっていたけどね。わからないとできないよ」

です。

 

.....もうなんも言えないw

 

本来はあなたたちがやるところを私が助け舟だして半分以上やったあげく、

ごめんね、もないまま言い訳ですか。

 

わかっていたらやっていたって言うのわかるよ。

それだけ不安だったんだって言うこともわかるよ。

でも、ポスター貼って、他のグループの話を聞いている間に、

どう言おうか考えることはできるよね?

わからなかったら私に聞いて、準備することだってできるよね?

なんじゃそりゃ?は?え?

 

もうなんか意味がわからなくて、

私がやりすぎたからいけないんだ、

リーダーとしてもっと3人にやらせるように促せたらよかったって

反省していたし、

同時に、毎回「それはなんでそうなるの?」って質問を聞かれまして、

それに答えられなくて、自分の未熟さに落ち込んでいたのもありました。

 

そんな私に対して「大丈夫、誰にでも失敗はあるから」って落ち込むなって感じで言われた。

いや、お前が言うな。

そもそもなんで私の仕事みたいになってるん。

グループでしょうが。ええ??

 

もうなんか落ち込むな、お前は悪くないって感じで、

私一人が落ち込んでいるかのように言うので、

なんか3人に対して、もっと助けろよとかって言いづらくなった。

 

いつも思うんですよね、

私も悪いところがあって、そこを受け入れてもらっているわけで、

イライラしているのは私だけではない。

だから許そうって思うわけです。

 

とか色々とイライラしていたけど、

それを表面に出しちゃいけないって思って色々と大変でした。

 

前職で感じた冷たさ

今日はちょっとした暖かさに触れたことで、

私の昔の記憶が蘇りました。

 

学校でチームワークに関する講義をしている講師が

「あるキーワードを言っただけで泣いちゃった生徒の方がいたんですよ。それぐらい辛い思いがその言葉に入っていたのだと思います。」

 

というのを聞いて、

そんな言葉だけでなるんかなあ、どんな気持ちなんかなあって思っていました。

 

それがまさかね、今日自分に起きるとは笑

 

暖かさに触れた直後は頭が真っ白だったのですが、

そこから徐々に会社での出来事を思い出して来て、

安堵というか、

それに気づいた安心感からもう今までの辛かったっていう気持ちがこみ上げて来ました。

 

もう泣かないようにするのでいっぱい。

なんとか気持ちが持ってよかった。

 

それで、その時の気持ちを発散したいので、

この場を借りて書いていきたいです。

 

もうどれだけ私の職場がひどかったのか。

というか日本では普通なのかわかりませんが、

今の私から見て、あの職場は異常だったと思います。

そういう話を聞きたかったら、

もうどうぞスクロールしていただきたい。

 

まずですね、私の前の職場は

人を疑うところから始まります。

基本的に人を信じないし、

優しさの裏には何かあるって考えている人たちが集まっているように思います。

 

ただその場にいるだけではわかりませんが、

私は日本で行う研修も行っているので、

「なにこの人たち」で線引きができず、

「こういう考えを研修で学んだから、こんな性格ひん曲がっているんだ」って思うから、

余計に傷ついたことされても

「これが彼ら、彼女らのカルチャーだから....」って許したくなるのです。

それが良くなかった。うん。

 

でもとりあえず書いていきます。

 

多分衝撃的だったのは、

「熱で休んだらズル休みした」と思われたことです。

なんだろう。

そもそもそういう風に他人がしたことにいちいち興味を持たなかっただけ、

そういう考えに驚いた。

しかもその休んだ人が会社にまた顔だしたら、

その日は何していた?とかズル休み?とか聞いて来ます。

 

性格悪すぎないかい。

面と向かって効くんかい。

何してた?って聞いて、寝てましたって言ったら、

多分「ふーん」ってちょっと得意げな感じで言って、

去って、その後小さな女子会が裏で行われていたと思う。

なんかそういうのをいちいちしてくるから、

なんだろう、人を信じられなくなるよね。

 

他にも、私が仲良くなりたくて2番目に偉い上司に、

お菓子をあげたんですね。

その人のこと苦手だったけど、

苦手だからこそもっと相手のことを知りたいし、

距離を縮めたいと思うんですけど、

そんな私を見て、

別の先輩は「え、ご機嫌取り?笑」って言いました。

 

冗談なのかもしれないけど、

そんなわけない!!というかそういう発想さえもなかった私にとって、

その一言は衝撃でした。

びっくりというか。

そういう発想に行くんだって。

なんでそんな考えになるんだろうって。

 

後は会社での出来事!!

これは私の中では結構ショッキングでした。

私が仕事を辞めたくて、上司にその話をしたんですね。

「食に関して私はもっと勉強したいから、仕事を辞めたい」と。

そしたら上司が

「そんなの自分の仕事を終えて、視察がでらに俺についていきたいです!って言えば連れて行くよ」と言いました。

 

最初に言っておきたいのですが、

私はレストランに興味を持っているのです。

どんなロケーションにどんなレストランがあって、

どんな飾り付けで、どんなお客さんが来て、

どんなご飯を出すのかっていうことに興味を持っているわけです。

ご飯が食べられたらベストだけど、

もちろんそういうつもりではない。

 

だからそう言ってもらえて嬉しかったんですよね。

というのも、いつも私のことをレストランに誘ってくれないので、

あえて私を誘ってないのかと思ったし、

正直どこに行くとか知らずに、上司が行ってから知ることもあります。

 

なので、もうその日すぐに

「今日〇〇レストランに行かれますよね。ついていきたいです」

と言ってついて言ったわけです。

 

「ついていくのはいいけど、その代わりお仕事もしてもらうよ」と言われた。

もちろん。

 

と思っていたのですが、

私具体的に何をしなくてはいけないのかっていうことを知らなかったんですよね。

急に行くことになったから、把握もしっかりできていなかった。

 

私はただいつも使っているレストランを知りたいっていう一心だったんです。

 

それで実際に行くと、まあ、他の添乗員のように色々聞かれる。

新卒だっちゅうのっていう気持ちを抑えてとりあえず頑張った。

私知らなかったのですが、

お客さんって本当に自分はお客様だぞって思っているんだな、と

私はサービスする側になって思いました。はい。

当たり前だけど、なんかね、今までの人生で

「あれもってこい」「これはどこだよ」みたいに言われたことないんでね、

当たり前なのわかっているけど、めちゃめちゃイライラしました。

 

それは置いといて、

とりあえずレストランのことは全体的にしれたし、

お客さんもご飯を食べ始めて、

おしゃべりを始めた。

 

ガイドさんは、レストランの賄いを食べていて、

私は少し離れたところで座っていた。

 

そしたらですね。

あまり好きではない先輩が、

「あっちで皆で食べているからユキも食べる?」と来たんですね。

 

え、食べているの。

なんで私を呼んでくれなかったの。

と思いましたね。

 

確かに私はそれほど仕事していないけど、

今までの環境だったら

「今日は特別だぞ!」みたいなことを言われて、

一緒にご飯を食べていたと思う。

もしくは一品特別に奢ってくれていたと思う。

 

でもそういうことをしてくれずに私一人だけ遠くで座らせていたわけなんですね。

価値観の違いって言われたらそうだけど、

お金が欲しかったり、奢って欲しかったっていうよりは、

そういう風にお金を使ってくれるっていうことがうれしいんですよね。

 

だからそういうこともなく、遠くに座っていた私が来たところで、

先に座っていた上司は何もいうこともなく。

私は自分で椅子を引っ張って座ったわけです。

 

人嫌いなんなのか、わからないけど、

とりあえず何も話してくれない、というその状況がすごく嫌だった。

私から話しかけたけど、上司からはそれほど反応もなかった。

隣にいる嫌いな先輩は久しぶりに会えた後輩とおしゃべりしていた。

 

私もそのおしゃべりに参戦したけど、

結局波長が合わないと思われたのか、

途中から無視。

 

本当にもうこの時点でカオスだということが伝わってほしい。

実はもう一人添乗員がいるのですが、

その女性の方はずっと一人で黙々とご飯を食べている。

私の隣の先輩、後輩はおしゃべりを楽しんでいるけど、

私とその方は無視している。

私の隣にいる上司も周りの目なんて知らんって感じでご飯を食べている。

そしてそのご飯は、実はガイドさんと日本から来ている添乗員さんのぶんだけしかない。

つまり私と上司と先輩のぶんは用意されていない。

まじかよってこの時点で思いましたね。

 

それ知ってて、この上司はばくばくと食べているんかなって。

そしてガイドたちはそれを知っているけど、上司にそんなことは言えず、

遠慮しまくってそんな食べていなかった。

 

そんなに上のポジションにいることが偉いのかよって思いましたね。

でもそんな感じでカオスだし。

中国語だったから上司はわからないけど、

私ははっきりと自分の分がないことを知ったわけです。

 

上司に食べなよって言われたけど、

すでにテーブルの上にご飯はそれほど残っていない。

これを食べてって言われてもな。

 

隣にいる上司たちには話しても反応ない。

ガイドさんたちと話したかったけど、

ローカルVS日本人みたいな感じで分かれているから

なんか話しづらかった。

仕事上ずっと座っていなければいけないとわかっていながらも、

ずっと黙って皆が食べているのを見るのも辛い。

 

もう見兼ねて私は「すいません。メニューもらって、一品頼んでいいですか」と。

食べたかったわけではなくて、

もういてもたってもいられないぐらい、このシチュエーションが私には辛かったんですね。

 

親切心もクソもない。

誰かと仲良くしたいとか、相手がこうだから、とかそういう思いやりもない。

自分勝手に自分のしたいように、自分さえよければって感じで振舞う人たちに私は我慢ができなかったのです。

 

もうそれならご飯に集中したい、と思って言ったわけです。

その時に上司に言われた言葉が

「いや、ここでご飯を食べるぐらいなら、ね?高いし。帰っていいよ。」

 

は????ってなったのを覚えています。

本当に先に帰っていいのなら、

早い段階できっと言っていたはず。

 

それを私がご飯を食べるって言ってから言ったということは

「帰れ」っていう意思だと私は感じた。

 

ちょっとムカついた。

傷ついた。

これだけ私なりに頑張って合わせようとしたのに、

最後に私にいうことがそれか、と。

 

扱われ方がひどかったのに、

そこはなかったことにするのね、と。

 

でも私も帰りたいって思ったし、

ちょうどいいって思って、

帰りました。笑

 

そのあとのことなのですが、

他のレストランに視察で行きたいって言ったんですね。

そしたら「行ってもいいけど....ご飯は食べられないよ?」と。

 

性格悪すぎませんか。

私だけなのかな、そう感じるのは。

でも、それを聞いた時に、

私はご飯食べたさについて行ったのだと思われたのかってそこにショックを受けました。

 

確かにご飯を前にすると嬉しくて、ニマニマしながら食べるし、

意地汚くなるかもしれないけど、

今までご飯を食べるために仕事をしたことはない。

そういう姿勢で今まで何ヶ月もやっていたのに、

それが伝わっていないんだということにショック。

私のこと本当に興味ないんだなって。

というか人に興味ないんだなって感じ。

 

食べたくて行くって言っていないのに、

勝手にそういうことになっていることもショックだったし、

あ、これ、そういうふうに皆に伝わっているのかなって思うと、

なんか私ではない私を皆思い描いているんだなって怖かった。

 

そして私がどれだけああだ、こうだ言っても、

他の人の噂でできた私を信じるんだろうなって思うと、

なんかこの会社って本当に優しさとかそういうものがないんだなって。

 

心が冷たくなりました。

 

もちろん価値観が違うとか、

私が考えすぎた、とかそういうこともあると思います。

 

でも私がショックを受けたことは事実で、

そういう風にないことをあるかのように言われて、

裏でヒソヒソされたのは事実です。

 

なんで人を思いやることができないんだろう。

そういう風に考える私は偽善者なのかなって思ったけど、

 

自分が懐かしいって思う暖かさに触れる度に、

いや、そんなことないかもしれないって少し戻るのです。

 

そんな感じで9ヶ月働いて突っ走ったわけです。

 

ちょっと眠いので今日はこの辺で終了です。

 

 

英語です

Sorry, today I feel like talking in English, so let me type in English.

 

Since December, I became unemployed,

and I've also been a student since April.

 

Lots of things has changed in both good way and bad way.

 

I became more insecure. It's like I need to care about money all the time,

which is quite stressful as I want to make sure that I would be able to live separately from my parents.

I felt that I'm immature compared to the same age people.

I've never encountered many business person as much as my colleague and people who is in office right now.

I feel like left out and feel lonely.

I also feel like I became more annoying person.

Like I totally forget how to talk to people in a good manner, because well we don't socialize lol

I also became more manly.

I used to wait until someone help me, but none of them helps me in a kitchen,

and I do not want to get any help neither.

I want to grew up as a person.

So I mean it was neccessary, but I also feel like I lost some feminity, and that's kind of embarrassing.

Like I dont know when I can ask for help.

 

But at the same time, I became more cheerful as person.

I became more like myself and I love it.

May be I have more hater now,

but I like what I have pride on.

 

I became more stable

I became stronger

I start to understand and admit what I don't have and what I can do about it.

I also feel appreciated to know what is good about me.

 

Wish I could be a better me.

 

 

 

 

考えすぎを吹っ飛ばす

今日長年の友人に久しぶりに会いました。

 

私ともうひとりの友人と会うために来てくれたのが嬉しい。

 

まあ、そこでお酒を飲んで、

シーンとなった時に、

ふと相談したくなったんですよね。

 

「バイト先でさ、マレーシア人対少し変わっている日本人店長みたいになっているのね。私は日本の文化も知っているから、仕事上では関わりたくないって思っていても人としては店長のこと嫌いではないのよ。だからにこやかにできるだけ話したりしていたんだけど。マレーシア人からしたら、何言っているかわからないし、ボロクソ言っていた相手と仲良くしているし、裏切られたのかなって思われた気がした。だからそっちに行くなら、あなたのことも話し始めるよって感じなのかなって思って、自分はどうすればいいのかわからなかった」

 

って話しました。

それを聞いて、すぐに言われたのが

「ユキ、考えすぎ」

「すごく日本人的」

でした。

 

なんか考えすぎ、と言われてやっぱりと思ったけど、

日本人的、というのを聞いてやっぱり前職での研修が今でも影響しているのかなって思いました。

 

と言うのも

私自身高校に入ってからは、人間関係において

安心できる環境にいました。

自分を騙してくる人もいないし、

私のことが嫌いだからと表ではいい顔をして、

裏で陰口を言う人もいない。

 

嫌だな、と感じたら、

いい顔はせずにはっきりと言ってくる人の方が多いし、

むやみに傷つけてくる人もいない。

足を引っ張ろうとする人もいなかったわけです。

 

それぐらい、人としてしっかりした人たちに囲まれていたし、

私自身、そういう人とだけこれからも関わっていけばいいって思っていたんです。

 

それが今の会社に入って、

まあ、足の引っ張り合いとまではいかないけど、

競争意識がとても高い。

そして、そんな環境にいたからか、

私が純粋に起こした行動を、悪くみる人の方が周りにはいた

悪くみる、というか、

私が勝手にそう思っていただけなのか、わからない。

でもすごい引かれているなって感じることの方が多かったし、

そんな感覚日本人中学校に行ったっきりだったので、

その反応が気持ち悪かった。

距離感も今まで付き合って来た人たちと違うから、

すごい戸惑ったし、

顔を見て話しかけないって人もいたし、

なんかなんなんだこの環境って思ったのは覚えています。

 

ということがあったわけで。

それでシンガポールの職場に来たけど、

私に対する査定みたいなのするし、

暖かさとか感じないことがあったし、

悪い人たちではないことはわかっていても、

何も仕掛けていないのにチクチクしてくる感じがすごい苦手でした。

 

これは香港留学で違う人たちに会った時に感じたのですが、

私は結局そういう人たちとも話さなくてはいけない環境に行くのだ、と思ったし、

むしろそう言うふうに競争意識を持ったり、足を引っ張ったり、

裏で悪口言う人の方が多いんだなって言うのが私の印象でした。

 

持てないけど、私も持たなくてはいけないんだ。

協調するのが苦手で自分の意見を言うけど、

それも我慢して合わせなくてはいけないんだ。

と思うようになっていました。

 

それでアルバイト先でもどう立ち回ればいいんだろうってことを考えてしまったわけですね。

 

協調する、歯車の一つであることを考えて、

どうすれば周りと馴染めるかを考えなくてはいけないって思っていました。

 

「なんか疲れたんだよね。これを言ったら、ああなる。これはしてはいけない。こうしなければいけない、とかそう言うのを考えるのが疲れる。自由がない感じ」

と言ったら

「なに言ってるの。ユキはすごいFree spirit (自由な精神)持ち主だよ。前に(共通の友達)と話した時にも言ったよ。ユキはハワイにいる感じの人だよ」

 

まあ、確かに。

人より自由にはやっているかもしれない。

でも私からしたら考えることが多すぎて、自由でない感じがする。

その時に、もしかしたら自由な精神を持っていることが私の特徴というか、

いい点なのかなあ、なんてことも思ったり。

 

「ユキは自分らしくいなさい。人生一度っきりでしょ」

と長年の友人に言われて、ほっとしました。

 

正直ですよ、これが会社とかバイトとかそんなんじゃなかったらって考えたかった。

全然違うことをしていたと思う。

でもそれだときっと嫌われる。

嫌われることがいけないのではなくて、それで仕事がやりづらくなることが怖かった。

 

毎日嫌いな人と顔合わせたらストレスでしょ。

 

というかその友達と話していたら思い出しました。

私そういえばあの時は強かったなーって。

多分誰かが誰かの悪口を言っていたら、その場から離れて、

そもそもそのグループから距離を置いていたと思う。

 

利用してくるような人がいたら、

じゃあ私も言わせてもらうねって態度だったし、

 

一人でいることなんてなんのそのって感じで一人で食べていたと思う。

 

でもそれだとやりづらいんだよね。

仕事が。

その場から離れれば、なんで今離れたの?って騒ぎ始めるんじゃないか、

利用してくる人に対してそんなことしたら、ヒートアップするかもしれない。

一人で食べていたら、周りも私に話しかけなくなるし、

仕事もやりづらくなるんじゃないか。

 

日本人店長のことがあまり仕事上好きではないけど、

やっぱりこのまま仕事しづらいから、

もっと仲良くなりたいって思ったのに、

それを見て、周りは私に二面性があるとか思うんかな、とか

あいつは私たちの仲間ではない、とか思われるんかな、とか思ったわけです。

 

でも昔の私だったらね。

友人も言っていましたが、

「日本人的な考えだね。というかそんな仲間ではないから、とかそんなことであなたをジャッジするような人と付き合うのは良くない。ちゃんとあなたのことを見れていないってことだよ。子供だね。逆にあなたが言った愚痴で周りがその人をさけ始めたのなら、それはその人に問題があるよ。意見を聞いて、それで判断しているのはその人自身なのだから。」

 

私も同じように考えていたのに、いつからこんな弱々しくなったのだろう...笑

というかそう分かっていながらも、全員に「あいつはおかしい」って思われて、

さけられることが不安だったのかもしれない。

 

というのも、なんだろう。

その日本人店長は嫌われていて、

あまり悪口を言うのは良くないって感じでありつつも、

多分言っているんですよね。

 

多分裏であの人ちょっと....みたいな話になっていたわけです。

まだ一緒に働いていない時も、

私が裏で作業していて、日本人店長に話しかけられた後は、

いつも私の面倒を見ている先輩シェフが来て、

「なんて言われた?」ってくるんですよね。

 

たいしたことも言われていないのに、

そう言うから、

なんか周囲であいつはおかしいって話になっているんだなって思った。

 

それでもいい人だってことはわかっているから、

優しくみんなは接していた、と言うか。

 

それから、まあ、私が一緒に働くことになりまして、

なんじゃそりゃ!!!って私がキレたことが起きたんですよね。

そこから、私もムカついたからそれを先輩シェフと頼れるシェフの二人に愚痴ったわけです。

愚痴と言っても、あの人とは働けない!みたいな感じ。

こと細かくは説明しなかった。

 

そしたら頼れるシェフの人がわかる!って言ってくれて、ちょっと仲良くなったんですよね。

そこからその頼れるシェフが、まあ、直接嫌味を言うようになったわけです。

「これなに?」って日本人店長が聞いたら、

「わからないー、自分で食べて見たらわかるんじゃない?笑」とか

 

ドロドロした嫌味ではないけど、

やっぱりそう言うのってあまりよく思えない。

それが、こう温かみのあるものならいいけど、

「ざまあ」って感じだったらまた違うと思うんだよね。

 

それで「ざまあ」って感じだったし、それを日本人店長も気づいて、

気づいたからかわからないけど、

私にすごいきつく当たるようになって、悪化というか。

 

その頃ホールの方も、ホールで愚痴を言うんですよね。

悪口を言う子もいたし。

 

新しく開店して数ヶ月経ったって言うこともあるけど、

そのドロドロした感じが苦手だった。

 

なんかやっぱり悪口言っていたのに、

その子の前では普通に話しているのとかを見ると、

うーん、なんか怖いなあって思うし、

 

なんだかわからないけど、避けられているなあ、

なんか嫌なこと話されたんかなあって感じる日もあったし、

 

誰も信じられない。

 

でも優しくされると、

私がオープンでないだけで、

もう少し信じた方がいいのかな、とか悩んでしまう。

 

だからなんだろうね。

私がそう言う空気にさせたのか、

もともとそうだったのかわからないけど、

父はこれが当たり前だと言うわけです。

小さなコミュニティの中にいるんだから、

人間関係ドロドロして当たり前だと。

 

それで私自身も学校卒業してからドロドロした人間関係を多く見るし、

そう言うものだからって私も諦めて、一緒になって愚痴を言った方がいいのかな、

なんか私もあっち側、こっち側に不本意だけど立って、

自分の場所を見つけた方がいいのかな、とか。

 

全然私らしくないね。

 

皆私のことを自由だとか、行動したいようにしているとか言うけど、

意外にそうでもないね。

 

 

 

 

フラフラしていたわけではない

皆が社会人として頑張る中、

一人だけこうして仕事もせずに学校に行っているわけで。

 

はたから見たら、

いい歳して何しているんだ。

この歳になってまだ学校行くんか。

働きたくなくて逃げているだけなのかって思われるかもしれない。

 

逃げている、と言われたらきっとそうだと思う。

でも人と違う特徴を持つ私にとって、

自分のことを理解するのに必要な期間なんだと思う。

 

高校生や大学生の時にも

そういう時間があったじゃないかって言われると否定はできないけど笑

 

今日実は誕生日なんですけど、

祝ってくる人が父親以外いませんでした。笑

 

寂しいっちゃ寂しかったけど、

一緒にご飯誘ってくれる人もいたし、

私は自分で選んで一人でご飯を食べたわけです。

それはまだ人が怖い、という思いから離れられない部分もあるからで、

仕方のなかった選択だと思っている。

 

誕生日にあえて一人で食べるなんておかしいかもしれないけど、

今の私にとってそれが必要だと思ったら、それでいいんだと思えた。

 

そんな感じで、

なんだろう、

 

自分は変わっている、個性的だ

自分は人と違う

違う部分は直そう

違う部分は根本から来ているので直せない。私は異常だ。

異常だろうと、そういった部分も含めて私だ

 

というふうに自分を認めるまでに必要な歳月なんだったんだと思いたい。

ここまで辿りつくのに長かったからね。

辛い思いもたくさんしたし、

誰にも理解されなくて苦しい思いもたくさんした。

 

誰にも言えなかったけど、

ずっと吐きたかったことをこのブログでたくさん書いた。

 

今までの人生辛かった。

自分を認めるのも辛かった。

 

でも人と違うから、

なんかしっくりこないって感じるものに対する反応が強くて、

普通だったら気づかずに通り過ぎてしまうものを

私は捉えることができたのかもしれない。

 

これで良かったのか、とかそう言うことはわからない。

良かったのだと思いたい。

隠すのはもう疲れた。

 

自分が自分であることを許してほしい。

 

色々と思った

今日は授業3日目。

 

いろんな人と会ったり、

違うことをしたりすると

違う発見があっていいね。

 

今日は学校で働いているシェフと話しました。

すっごく話しめんどくさい。

長かった。

ずっと同じこと繰り返してた

というか私の話したことと若干ずれている。

でもそれだけ熱を込めて話しているんだってことも伝わってきた

 

料理教室の先生をしたい、と言ったら、

私の言っていることが伝わっているかわからないけど、

なんかとりあえずこんな仕事をするって言うことを

説明してくれた。

 

それと同時に、

次のコースで料理教室でのインターンシップがあるのか聞いたんですね。

最初はあるよって言ったので、

それを聞いて、やった!ってなったんですよね。

やった!と言うよりは安堵の方が大きかった。

その瞬間、なんか緊張が取れました。

 

それで気づいたのですが、

私は自分が先生に向いているかもわからないのに、

このクラスが終わってから、

料理教室に自らインターンシップや正社員、アルバイトなどとして

働き始めることに不安を感じていたのかもしれません。

 

仕事を辞めては、また他の仕事に就く、と言うことをしていい歳ではない。

だからすごい怖かった。

 

大人になることに不安を覚えていたのかもしれないです。

 

大人になったら、人をうまく騙せるようにならなければいけない

大人になったら、感情を抑えて話さなくてはいけない

大人になったら、有益なものをどんどん集めなくてはいけない

大人になったら、しっかりしなければいけない。ミスなんてゆるされない。

大人になったら、自立できるだけの収入をもらっているべきだ

 

とか。

 

特に、「人をうまく騙せるように」と言うのは大きかったかもしれない。

騙すと言うか、自分の気持ちを偽ると言うか。

 

多分、皆は純粋にお金が欲しくて働いているかもしれないし、

仕事は仕事って割り切れるのかもしれない。

 

でも私は割り切ることができないし、

売上なんてどうでもいいって部分がある。

出世欲もないし、数字をあげるために頑張ろうと思えない。

 

割り切ることができなかったし、

だから私は演じるしかなかったのかもしれない。

 

売上なんて興味ないけど、

興味を持たなければいけない。

 

別に5ドルぐらい上がったっていいじゃないか、って思いつつも、

私は金額下げて!お願い、とホテルに電話を入れる。

 

なんか、なんだろう

自分の意思と反したことをすることに大きな抵抗を感じていたのかもしれない。

 

でも大人にならなきゃ。

自分の好きなこと、したいことばかりするのではなく、

苦痛だと感じることも受け入れなければ大人になれないって

思っていた。

 

皆、大人になったらもっと辛いって言うからね。

 

でも私は今本当の大人になって、

調理を始めて、

いろんな人と会って、思ったけど、

マインドが違う人に囲まれて、

そう思っていただけかもしれない。

 

密かに行われる商談のようなやりとりも

キッチンでは必要ないし、

そもそもできないって人の方が多いとおもう。

 

頭が悪い、プライドが高い、とか

そういった欠点はあまり人に話してはいけないし、

プライベートもあまり漏らしてはいけない。

でも今私の周りにいる人はここが自分は弱いって笑って言えるし、

プライベートも教えてくれる。

 

相手に冷たくされることもなく、

むしろ温かく迎えてくれる。

守られている感覚がある。

 

私が大人になるために捨てなくてはいけない、と思った感覚です。

 

私が私でいるには、

自分と似たマインドを持つ人といることがいいんだな、と思ったわけです。

 

一般的には私のようなマインドを持つ人がいないかもしれない。

企業で働くってそういうことだと私は身を以て感じた。

 

そして私はやっと自分の仲間を見つけたのかもしれない。