そりゃできんわ

前にオフィスに久しぶりに行った時に、

社長と家事と犬の面倒を見るので大変だという話をしました。

 

仕事中にもほぼ一人で面倒を見ていて、

犬も高齢だということを知らなかったみたいで

社長は「だから仕事を辞めることになったんだ。それは一人では難しいよ」と言いました。

 

私はそれが理由ではないんだけどな...と少しムッとして帰って来たんですけど、

それから1週間後ぐらいに家にいる時に、

寝転がったら横からおしっこ臭が。

それから急にイラっとしたんですよね。

 

それからも家を綺麗にする、と言っても物が多くて、

拭くことも難しいし、

朝も毎日犬のうんち拾いと散歩から始まっていて、

なぜか仕事をしている時に似たようなイライラ感が常にあった。

 

社長の言ったこと本当かもしれない。

私仕事が嫌で、合わなくてやめたって思っていたけど、

多分やめた理由の3、4割は全てを両立できなかったかもしれない。

 

今思えば、仕事中に本当は食の勉強だってしたかったし、

友人作りをするために外に出かけたりしたかった。

でも実際は犬のことが心配になって出かけてもどこかでずっと心配してしまったり、

家事もあれこれしなきゃ....と疲れているなか責めていた部分はある。

 

しかも父も私は大変だ、と言っても家に帰って来て最初に発する言葉が

「うわ、家臭い!ちゃんと拭いた?」です。

家を綺麗にしても、ちゃんと綺麗にしてよ、とまるで私が掃除をしていない前提かのように話します。

 

マットにおしっこがつくから臭くて大変というのも父が言い出したこと。

まるで私の仕事かのように「マット臭いんだけど」と言ってくる。

 

なぜ私が一人でやることになっているんだということでもイラっときたし、

その口調もすごく嫌だった。

 

今思うと辛くて当たり前だ。

 

朝は犬のうんちと餌やりをして、時間があれば散歩。

仕事中は常に怒られて、げっそりして、

仕事が終わったら近くでご飯を済ませて、

父が帰っていなければ私がまた餌やりと散歩を済ませる。

 

その間にもこの家臭くて汚いのに、

どうすればいいのかわからない、という気持ちでぐるぐるしていて、すごい嫌になる。

 

と言った感じだ。

そりゃ辛くなるわ。

 

やりたいことがありすぎて

 

何をやりたくても、お金が入ってこないことがストッパーになっている。

 

本当は2月に仕事を始めるから、それまでは就活しながら好き勝手やろうと思っていたのに、

面接があるどころか受け入れてさえももらっていない。

 

とてもやばい。笑

 

仕事をやっていなければいないほど、

暇になるから色々とやりたいこともできてくる。

 

でもお金が入ってこないと、やっぱりこないし、

日本で調理学校行きたいってなった時に、

お金がないのも困る。

 

だからじゃあアルバイトでもって思ったけど、

アルバイトもなかなかこれがいいってものがなくて困っている。

と言うのもアルバイト=大学生のやるものっていう気持ちが強くて、

なんだか恥ずかしい。

仕事内容とかビラ配りとかいいな、とは思うけど。

 

だからインターンを見ると次は難しそう...。

なんかなあ、難しいなあ。

 

これが全部日系だったらいいんだろうな、とか思うけど、

もう日系では働きたくないから自力で頑張っている...。

 

難しいな。

気づいた

最近マッサージ師になるのもいいかもって思っていました。

 

でも一方であれだけカメラだのライティングだの、食だの言っていたのに、

急にこんなこと言うなんておかしいし、

もう周りに食に関する仕事がしたいって言っているし、

なんで今になってそんなことを思うんだろうって

自分を責めていた。

 

いっつもコロコロ変わって嫌になった。

 

今も調理学校に通うために支払いを済ませる前提で、訪れることも決まっていたのに。

調理学校行って、マッサージスクール行くのにすごいお金かかるし、

二つやればどちらかは使わなくなる可能性があるし、

お金をセーブするために、

どちらかを辞めたいって思った時に調理学校行くのをやめようって直感的に思いついた。

 

自分でも意味がわからなくて、

普段なら話さない母に自分の悩みを伝えた。

最初はただ淡々と話しているだけだったのに、

どんどん感情が込み上げてきました。

 

私:「私さ、ずっと食やりたいって言ったじゃない。本当なんだよ。フードライターだってやりたいし、調理もやりたいし、食にまつわることやりたいって思ってるんだけど、実際に前の会社で働いてみてさ、あんまり自分に向いてないんじゃないかって思った」

私:「なんかビジネスって結局色んな人と会うし、色んなことを考えて動かなきゃいけないし、フードライターとか調理はそうでもないかもしれないけど....でも調理でも、速いペースで動かなきゃいけないし、チームワークすごい大事だし。そういうこと考えたらできないって思った。」

私;「後、やっぱり食って言ったって色んなのがあるし、調理は作って人を喜ばすことができるけど、それ以外は正直わからない。前の会社で働いていて、普通に仲良く楽しく話せるのに、ビジネスが絡んでいるから、どうすれば自分に有益になるのかなって皆考えて話しているのがすごい嫌だった。」

私:「でね、そういうこと考えていたら、マッサージ師とかの方がいいんじゃないかって思えてきてね。食を仕事にしたいって言うのは本当だけど、でも色々と考えた時に程よく楽しくやれるのはマッサージ師なんじゃないかって思った。」

 

そんな私の話を聞いて、母はウンウン、と珍しく聞いてくれていた。

私こらえようとしたけど、話してる途中で涙が出て.....。

 

本当にやりたいことがあっても実現できないことがあるってこういうことを言うのかなって思った。

子供の時は、大人が「〜になりたかったけど、諦めたんだ」なんて話を聞いて、

なにやる前からできないって決めつけているの!って思ったし、

大学生でも「やらない後悔よりやる後悔だ」って思っていたけど、

 

実際に働いていて、自分の能力の低さをみて、すごくショックを受けた。

アルバイトの時から知っていたけど、真に受けたのは働いてからだと思う。

 

毎日働いて、誰かを顔合わせているだけで辛いって感じるのに、

その上毎日ミスをしては周りをピリピリさせて、

ひどい言葉もかけられたけど、

自分でもなぜこうなるかわかっているから言い返せなかった。

ミスも、なんでこんなところで間違えるんだろう、

なんでこんなことを忘れるんだろうってことの連続で、

自分自身に呆れていた。

 

すごい食の仕事がやりたかった。

フードライティングとかやりたかったけど、

インタビューをして、それを座ってずっと記事にする自分を想像できなかった。

 

調理もやりたかったけど、

料理長に言われたことを一回で聞き取って、はい!って調理するところを想像できなかった。

 

バイヤーもいいかなって思ったけど、

ビジネスとして人と話したり、交渉したりする自分が幸せそうにしているのを想像できなかった。

 

そんな感じで、食の仕事を見て、できなさそうって思ったけど、

それは食だけではなく他の業界でも一緒だと思う。

 

なんて言うんだろう。

金銭的な交渉があるお仕事と

速いペースで相手のことを汲み取るようなお仕事が向いていないんだと思う。

 

それは自分でもわかっていたけど、

どこかで「やった後悔の方がいい」って言う気持ちが勝ってて、

私も食べ物のお仕事したくて、

今の今まで苦し紛れにお仕事探していたのかもしれない。

 

私皆みたいになりたかった。

悔しい

対人恐怖症で、

自分自身はなんとも思ってないのに、

急に普通に話せなくなることがあります。

 

前の電車でフェードアウト、よりはマシになったのですが、

今でも友人と長い間遊んだり、向かい合って長いこと話すと

急に何かが怖くなってちょっとしたパニックを起こして、

会話に集中できなくなります。

 

多分話が続かなくなることへの恐怖とか、

自分が話している時の表情とか、

相手が私の話を聞いて考えていることとかが気になって起こるのだと思います。

 

でも、自分でもいつ来るのかわからず、

楽しく話していたと思ったら、

急にこう血の気が引くような感じがして、怖いって感覚が戻って来ます。

 

すごい悲しくて悔しい。

 

ただ一日会って、いろんな話しして、

今日は楽しかったねってやりたいのに、

 

もうここ数年そんな気持ちで別れられてない。

 

今日もただ一人でショッピングしようと思っただけなのに、

いつもより電車で立ってる時の人の目線が気になって、

ひたすら目を閉じた。

立ちながら目を閉じたり、開けたりするのも大変だし、

そんなことをしている自分を周りが変に思っていないかとか気にし始めて辛かったけど、

それで乗り越えた。

 

買い物するときも未だにゆっくり一着一着みることができなくて、

もうなんでこんな緊張するんだろうってぐらいささっと見てささっと店から出る。

試着も、少しして見たいぐらいのが1着だけだったら、

なんか行くのが怖いって感じて試着しなかった。

 

結局今日も服は買わなかったし、自分でもいつまでこんな気持ちで買い物行くんだろうって怖くなったし、なんか悲しくなった。

 

本当は友達とか新しい人に会ったら純粋に楽しく話して、

そのまま別れた後一人でショッピングして、

帰って来たら、自分磨きしてって前みたいに楽しく送りたいのに、

 

というかする気持ちはあるし、

克服したくて友人と出かけたりするのに

自分の体なのにコントロールが効かないのが悔しい。

 

 

「皆ができることをなぜあなたはできないの?」

ずっと無意識に気になっていた言葉だと思います。

 

仕事をしていた時も、

私は自分の出切り限りの努力をし、

 

何を伝えたいのかわかりづらい、と言われたなら

まずは頭の中でどう説明しようか考えるようにしたり、

 

それで話が長い、簡潔に結論から言えって言われて、

私なりに何を伝えたいのかまとまるように伝え、

 

それで言っている意味がわからないって言われては、

耐えて、相手が落ち着いているときに、穏やかにいう癖をつけた。

 

もう最後はいちゃもんつけられてるとしか思えないぐらい言われた。

私も頑張ったけどできなかった。

 

ミスも減らないから、なぜなのかって。

メモ帳に書いてみたけど、

メモしたことを忘れるときだってある。

だったらもう習慣にしようって思って、

紙にやること書き出して、

それぞれの作業に取り掛かる前に

何がこの作業で大事なのか頭の中で復唱するよう頑張っていた。

それでも作業前に忘れて、ミスしてしまうことは多かった。

 

 

上司が私に自分に与えられた仕事をしろっていうから、

自分の仕事かなって思ったメールは返信した。

すると、それは私の宛名じゃないから返事しなくていいという。

じゃあ私の宛名のものだけやっていたら、

次は他のも返事必要なのあるよ、という。

私の宛名のものでも、私が気づく前に上司が「これ僕がやる」って言って、

やらなかったときだってあった。

 

私にはどれが私ので、どれが私のではないのかわからなかった。

わからないって思ったら上司に聞く癖はつけていたけど、

それでも私がこれは私の仕事だ!って思ってやったら違ったってことがある。

やる前に聞いてよって言われるとすごい困った。

 

もうわからなくて、言われたこととか、

どこで区別をつけてるのかわかろうと思って必死だった。

そしたら次は言われたことだけやらないでって言われた。

 

てな感じで、本当に自分には何ができるかな、

どうすれば克服できるかなってすごい考えてるのにすごい空回りするし、

そもそも大抵の人なら難しいと思わずにできることができていなくて、

自分に苛立ったし、悲しかった。

もうこれ以上どうすればいいのかわからないってなったときに

 

「皆ができることをなぜあなたはできないの?」って言われて辛かったです。

 

自分でもやるせないし、

誰かを責めたいのに、

責めることもできなかった。

なぜ私はこんな私なんだろうって自分を責め始めた。

し、上司とか上の人もそんな私をみて、

私のいうことを信頼しなくなって余計に辛かった。

 

また香港留学の時と同じで、

どれだけ頑張っても追いつかないって、

もう方法も思いつかなくて辛かった。

 

だから今もそういうことがあったから、

自分は〜だからっていうループから抜け出せない。

 

ずっと

私は人よりできないから、

人と違うから、

人のことを理解できないから、

人が嫌いだから、

 

もうそんなんばっかずっとぐるぐるしている。

やめたいのに、

目を背けると辛い。

 

大学生の時だったら、

人よりできなくても頑張ればできるようになろうって思えたけど、

 

今は人よりできなかった時、どんなに頑張っても超えられないこともあるって認めるのが怖い。

 

人みたいに生きられない自分が嫌で、

努力さえすればなんとかなる。

努力している私偉いってしてきたぶん、

 

どうすれば努力にすがらず、

自分の足で立てるのだろう。

 

どうやって人は自分の嫌なところを受け入れているんだろう。

ちょっとでも自分のこと好きになれる部分があったらよかったのに。

 

 

これに追加で話したい

これはちょっとアハ体験が起きる、

考え方が少し変わった話です。

 

大学の必須授業で「Thinking Process」というのがあって、

視野を広く持てるようトレーニングする授業だったのだと今では思います。

 

教授は日本人の奥さんを持つアメリカ人。

 

そんな教授が私たちにまず問いかけたのは、

「自分が何人だっていうのはどうやってわかる?」

でした。

*授業は全て英語です。

 

え、そんなの当たり前じゃん、って私は手を挙げて

「パスポートを見ればわかります」って言ったのです。

 

教:「どうして?」

私:「え、それは....パスポートに書かれているから....」

 

というのも私自身多国籍だったけど、

自分のメインとなる国籍はパスポートに載っているものだと思っていたのです。

 

それに対して別の生徒が手を挙げて答える。

「僕は日本のパスポートを持っているけど、日本語はうまく話せないし書けない。更に生まれも育ちも海外だし、父の仕事の関係上色んな国を転々としていた。だからパスポートだけで、自分は日本人だって思うことはできない」

と言ったのです。

 

そんな人もいるんだって初めてその時に知りましたね。

じゃあ彼は何人なんだろう。

 

その後も討論は続いたのですが、

その最初か最後に教授が言っていました。

 

「じゃあ例えば僕がアメリカ人だって人は言うけど、もし僕は自分のことを日本人だと思っていたら?」

「そして、僕がもし日本語を流暢に話していて、日本にもう長いこと住んでいて、日本人の奥さんがいて、日本の文化を知っていたらどう思う?」

 

当時は何言ってんだって、

そんなん元々生まれ育った国がアメリカなんだし、

日本語が流暢と言っても日本人ほどは話せないのだから、

アメリカ人でしょって思っていたけど、

 

この歳になってわかりました。

 

私だってシンガポールでだけど、ずっと日本社会で生まれ育って、日本語話して、日本人の父を持って、日本人の友達だけがいたけど、

でもシンガポールが私の国だって思っていたんです。

 

それは言うなら、アメリカ人の教授と同じ立場で、

シンガポール人から見たら

「それでもあなたはまだ外国人」なのです。

 

逆に日本国籍を持っているその人は、自分が日本人だと思っていなくても、

日本語の名前を見て、日本語で親しげに話してくるかもしれない。

 

この討論に結論はなかったと思うんだけど、

言いたかったことは、

人それぞれその人が何人かって判断する材料は違くて、

自分にとっては日本人でも、相手にとったら韓国人かもしれないって言うことが

これから起こることを意識して欲しかったのだと思っています。

 

日本人もDNA鑑定やると100%日本人でない人の方が多いみたいだしね。

在日韓国人とかもいるし。

 

だからパスポートがこうだから、文化がこうだからってよりは、

その人のことをその人として見れる目を養いましょうって

ことかしらね?

 

 

 

多国籍への日本の向き合い方

今7割が外国人の公立小学校を特集したビデオをユーチューブで見てた。

 

すごい素晴らしいなって思って。

違う国なのに、だからといって差別はなく、

一人一人その人として向き合って話している小学生を見て、

私もこんな環境で生まれ育ちたかったと思った。

 

日本ってすごい独特な文化を持っていると思う。

 

外国人と一緒にいて、自国では絶対にしない、言わないことをしたとしたら

少なくともシンガポール人は、

「この国だとこういうことするのかなー」ぐらいに受け止められるけど

大抵の日本人は「え?!今の何??」ってパニックになって、

「今起きたことは国が違うから起きた。あの人日本人だったらやばい人」

って自分の文化を基準に物事を見ている気がする。

 

その考え方は「皆違って皆いい」だけど、

これから多国籍になった時どうするんだろうって思う。

 

そのユーチューブのコメント見てると

「こんなことしてるから、将来ヨーロッパみたいに多国籍の人増やして、内で人種差別が起こるんだよ」

みたいなことがよく書かれていた。

 

まあ、確かにそう言われたら日本人だけの方が問題は起きない。

ただもうそういうステージにいないってことに気づいていないのに少し驚いた。

 

日本の技術はすごいし、全てをマニュアル化して効率的に且つ相手を気遣う心を忘れないようにするサービスもすごい。

でもそこに甘えすぎている部分もあると思う。

 

日本の技術はすごいから、大丈夫。

日本のサービスは世界に引けを取らないんだって。

 

でも中国は似たものを似たクオリティで安く売る技術を持っている。

マニュアル化して効率化を測るのも、

それがペーパーワークだったら結局は遅いよね。

 

前に話したか覚えていませんが、

コンビニで働いている時によく道を聞かれます。

すると、店員は後ろにある大きなマップを取り出して、

小学校で学んだみたいに経度、緯度が交わる部分を確認して道を伝えます。

その動作を素早く正確にできるスキルはすごいと思うし、

私には同じことできません。

でももしそこに携帯があったら

(本当はダメだけど、私は持ち込んだ)、

あまりわからない場所も一発で出るのです。

店長がわからなくてあたふたする中、

携帯を出して道案内する私を見て唖然としていたのは覚えています。

 

だから、なんだろう。

日本は技術がそこにあることに満足して、

それをフルに活用する方法を考えていないと感じる時がある。

 

少し話それた。

 

だから多国籍へ向き合うのを

ユーチューブのコメントでは、

「向き合うと問題が起きることわかっているのかね」みたいに言っているけど

もう是が非でも向き合わなければいけない時代なんだと思っています。

 

日本人が外国人を差別したり、いじめることが問題だと感じているから、

外国人入れない、じゃなくて、

どうすれば人種差別が起きないのかってことを考える必要があります。

 

ある意味日本は文化の鎖国をとくタイミングだと勝手に思っています。

危機意識大事よ。

 

 

やっぱりシンガポールで日本人として生まれ育って、

日本で生まれ育った日本人に

異国人かのように扱われたこともあったし、

働いていた会社でも「日本人は〜するよ」「日本では〜だから」って

まるであなたは日本人ではないって言われているようだったし。

もっと私のことを理解してくれていたら、

もしくはシンガポールのように「こういう考え方の人もいるんだ」って

軽く考えてくれていたら、

私も自分は何人なんだって自問自答することが少なかったかなって思う部分があります。

 

だからこれから多国籍にぶつかる子達が私ほど悩まなくていい環境であったらいいなって思います。