「地味にスゴイ!」

今更ながら「地味にスゴイ!」というドラマを見ました!

 

石原さとみ主演で、後の彼氏役に菅田将暉

もう〜〜〜〜、可愛い代表とかっこいい代表が出るドラマなら見なければ!

 

というのももちろんだけど、

ちょうどオフィスワークについてのドラマっぽかったので見ることにしました。

 

どこまでも真っ直ぐな河野悦子が、

自分の好きな仕事とは全く違う「校閲」っていうお仕事をしながら奮闘するっていうお話し!

 

今仕事をしている世代なら誰もが考えたことのある、

「自分の好きな仕事を追い求めること」についてが描かれています。

 

私もやっぱり悩んでいるんですよ。

自分がしたい、と思っていた仕事と今回始めるお仕事は、

違う業界だし、やっていることも少し違う。

だから、このままやって、まあ、この仕事でもいっかってなったら、

私は後悔するのかな....って思ったり。

 

個人的に河野悦子のバッサバサ自分の意見を言うところ、

周りの考えなんか御構い無しって言うところが、

自分とすごい被っていて、

んで、私はバッサバサ行くことに悩んで、

自分の意見をできるだけ柔らかく、同調するようにした方がいいって考え始めていました。

 

だから河野悦子を見ながら、

「あーあーあー、これ現実でやったら引かれるやつだ。私は引かれたわ」

「あーーーー、耳が痛い、心痛い。私もやった、うわー」

とか思いながら見てました。笑

 

でもそんな河野悦子を見て、

周りが変わっていったり、尊敬の眼差しで見ているところを見て、

本当にこんな風に皆思うのかなって思う反面、

自分らしくいてもいいのかなっていう気分にもなりました!

 

本当に現実でバッサバサ言えば、菅田将暉みたいなかっこいい人が現れるのか....。

いや、その前に石原さとみ級の可愛い人でなければあかんか....。

 

それで、似ているからこそ「私も悩んだ!」って言うことが出てきて、

それは二つのことを同時にできない、と言うこと。

 

今自分がやっていることと、

本当に自分がやりたいこと。

 

本当に自分がやりたいことをやりたいのに、今自分がやっていることで時間とっちゃって、チャンスを逃すって言うシーンがあるんです。

 

河野悦子がそれで「私は中途半端だ」って言います。

そこに、編集者のタコが

「お前は中途半端ではない。お前は校閲のお仕事と(自分のやりたい)お仕事を天秤にかけて、校閲のお仕事をとったんだ。それで校閲のお仕事をやりきった。お前は中途半端なのではなく、目の前のことに真っ直ぐに取り組んでいるんだ。そんなお前を皆が好きなんだ」

みたいなことをいっていました。

 

なんか救われる。

多分私だけではないんじゃないかな。

 

やりたいはずなのに、全然取りかかれなくて、

自分は本当にこのお仕事好きなのかなって悩んだり、

 

やることが多すぎて、好きなことできなくてイライラしてきたり、

 

本来やることがあるのに、好きなことばかりやりすぎて、本職がおざなりになってしまったり。

 

そんな自分を責めなくていいし、

ただそういう性質を自分は持っているんだなって納得しました。

 

だから今好きなことに全くつけていなくても、

それは好きじゃないってことにならないし、

むしろ今は目の前のことに集中する方が大事だったりする。

 

フードコーディネーターになりたいって言うモヤモヤした気持ちを持って、

お仕事に取り掛かるぐらいなら、

 

もうフードコーディネーターはやらないってぐらいの気持ちで、

今のお仕事に集中して行く方が大事かもしれない。

 

二つやって、中途半端になってしまうなら、

一つ一つね。

将来どうせフードコーディネーターになるんだって思ったら、

頭の中ぐるぐるしていたのが少し軽くなりました。

 

だからなんか、そうね、

悩みすぎたんだわ。

 

フードコーディネーターになれなかったらどうしよう、

なんて思っていたけど、

なったら自分の思った通りになるとは限らないし、

だからそれなら今自分の目の前にある仕事を精一杯こなして、

後から考えた方が効率もいいし、

私ももっと素直な気持ちでいろんな仕事に取りかかれるような気がした。

 

そんなことを、色々と考えさせられるドラマでした!

またオフィスに行くのです...

明日またオフィスに行って、社長さんと会います。

 

距離感がわからないのが大変です...。

 

こう、ういっす!っていう気持ちで話していいのか、

それともかしこまる必要があるのか。

服も、前ハイヒール履いて行ったら、

カツーンカツーンっていう音が響いて嫌だったんですよね...。

皆見るし。

でもそれしか靴がなかったから仕方なかったのですが、

結局欲しい靴も見つからなくて、

またカツーンカツーンしに行きます...。

 

はあ。

なんか考えちゃうんですよー、どうすれば馴染めるんだろうか、とか。

自分と同じ帰国子女の集まりなら良かったけど、そうでないし。

 

うわあああああああ

アイデンティティが分からないことがある

考えすぎたとよく言われます。

でも、私みたいに考える人もいるんじゃないかな、と思ったので書いてみます。

 

このブログを読んでいる方はきっと、私が多文化な環境で育ってきたこと、人付き合いがうまくできなくて、努力してみたことを知っていると思うのですが、

 

たまに自分が誰だか分からなくなることがあります。

 

例えば、香港人と日本人とご飯を食べに行ったとき、

香港は基本皆でシェアしようって言う文化を持っています。

一方、日本は個々で食べるものだと思うんです。

 

香港人からしたら、きっとなぜ日本人は「分け合う」と言う優しさがないのか。回した方が色々と食べれるのにって思うかもしれないし、

日本人からしたら回しあうのは行儀が悪いし、自分の好きなものをなぜ分けなれければいけない。って思うかもしれない。

 

そう言うところから、

香港人は「好きなものは分け合う」

日本人は「個々を好む」

みたいにアイデンティティが分かると思うんです。

 

でも、私の場合は、状況に合わせるので.....

困りました。

日本人の友達は、「え、シェアしないの?」って顔してるし、

香港人の友達なりたては「え、皆で食べるの?」って顔してるし...

結局一回回してから私は一人で全部食べました。

 

すっっっごい細かいことだけど、自分が何したいかが分からなくなってくるんです。

私は正直、一人で全部食べたいって言う気持ちもあったけど、他の人のを食べたいって言う気持ちもあったので、どちらでも良かったんです。

でも、もしここで分け合えば、日本人の友達は「え、ユキは日本人じゃないの?」ってなるし、

分け合わなければ、香港人の友達は「ユキは思っていたほど中華人じゃなかったのかもしれない」って思うかもしれない(ハーフです)。

 

私はどっちでもあり、どっちでもないんです。

だから、私の行動一つで「私たちとは違う」と線引きされることが嫌で、

なんだかいたたまれなくて、流れに任せてしまいます。

 

何も文化だけの話でなくて、

例えば、温厚な人でも、イライラするようなことが毎日起きて、

それが慢性的になったとします。

 

そしたら大切な人に八つ当たりして、傷つける行為に走ったり、

本当は出かけるの好きなのに、疲れて家に引きこもったりし始めたとします。

 

あれ?自分は温厚だと思っていたのに意外とそうではないのかもしれない、となると思うんです。

 

環境が変われば人も変わる、というものでしょうか。

でもそんなこと言っていたら本当の自分ってどれってなってくる...。

 

イライラしていたから、攻撃的になっていたのかもしれない。

でもイライラしていても、温厚なままの人だっている。

と言うことは、元々自分は攻撃的だけど、環境が良かったから分からなかっただけ?!

とか思うのです。

 

なぜこんなことを考え始めたかと言うと、

これから自分がどう生きていくかにすごい影響すると思うんです。

 

今まで自分は

「日本人として」

「学歴に劣らない性格として(ポジティブシンキングを心がける、他人の気持ちを大切にする、人付き合いをたくさんする)」

「過去のトラウマをなかったことにして、新しい自分として」

と言うことにこだわって、生活していたのですが、

 

でもそれって

日本人でない自分の一部を切り取ったりして、ただ本当の自分を隠しているだけです。

 

それは誰でもしてしまうことだと思うんです。

自分をよく見せたくて、

本当はお金持ってないのに、シャネルのバッグ見せて金持ちをアピールしたり、

愛して欲しいから「愛している」って嘘をついてみたり....。

 

でもそれって結局、寂しいんですよ。

そういうのって相手に伝わると私は思っています。

だから、やっぱり相手もアピールを始めるし、嘘だってつき始めると思っています。

伝わらなかったとしても、心のどこかで「この人は本当の私を知ったら、逃げてしまうのだろう」っていう恐怖とずっと戦うことになると思います。

 

AでもBでもダメなら、間に立つCを作ればいい。

とカウンセリングの人に言われました。

 

ずーーーーーーーっと考えているんですよ、Cはどうすれば成り立つのか。

 

シャネルとトートバッグの間をとって、サマンサタバサ、とかそう言うわけにはいかない。

 

私の話に戻すと、

私は日本人として育つべきして、一流の企業に入れるような教育をして育って来た。

逆に言うと、それ以外の道を私は知らないし、あるのかも分からない。

 

強くなりたいと願っていたら、友達はできたけど、

相手の気持ちや思いをじかに感じられなくなった。

駒みたいに見えるんです。

だったらCを、強くなりたいと思いすぎず、相手の気持ちを大切にする。

するとですね、次は相手の言葉や考えで、気持ちがすっごい左右されるようになったんです。

 

今までは、自分の好きな人と楽しく遊んでいたんですけど、

それをやめて、色んな人と関わる代わりに線引きをした。

それを今色んな人と線引きをしないで遊ぶって言うことなので、

すっっっっごい辛いです。

もうトラウマがどんどん流れてくる。

後、実際私は嫌われやすいと思うんです。

だから、このままだとまた中高生の時みたいになるって怖いんです。

んで、しかもそろそろ働くので、

毎日好きでもない人と顔をあわせるんです。

こんなジェットコースターに乗っているだけではダメで、

だからもし今の職場に行きたいのであれば、

私が今持っているCではうまくいかない。

 

だから分からない。

うまく社会で生きて行きたいけど、ちょうどいいCが見つからない。

Cが見つからないから、AとBの間を行ったり来たりして、

自分が誰だか分からなくなっています。

 

社会でうまくやらないって言う方法もあるけど、

それではデメリットが多すぎるや。

 

 

 

 

父について(自分用メモです)

次は父について書こうかなって思ったんですけど、

 

母の分を書いて思ったのが、

無理ありすぎじゃね?

そこにどれだけの時間を費やすのだろう、とか

これを全てやったら本当に変わるのだろうか、とか色々考えてしまいます。

というか事実、昨日書いていて全然まとまりませんでした。

でもやってみましょう....。

 

父に対する不満

-なんでもいいよ、というのに選ぶと不服そう、不満を言う

-ニコニコしていたと思ったら、急にキレる(普通に怖い)

-そのくせ次は何もなかったかのように話しかける(何を考えているかわからない)

-自分の思うこと、ではなく相手の望むことをいつも言ったり、行動することで、

「お前たちを思って〜できる俺は人としてできている」と悦に入っていること

-人の話を勝手に頭の中でまとめて、自分の意見を言う。そして大体「まとめ」の部分を間違えているから、話が噛み合わない。それにさえ気づかないぐらい心身疲れている。のにゲームをやめない。

-電話しつこい。まるで中学生かのように親密にあれやりなさい、これやった?と言われるのがしんどい。

-言うことに信頼性がない。約束破るどころか忘れる。

-この子はこういう子だ、と私を決めつけていること。

-妹を擁護する。差別。

-愚痴や自慢話をたくさんしてくるとこ

 

父の不満

-家を散らかす。家事を思っていたほどしてくれない。

-使わないものを買う

-必要のない心配をしてグルグル同じとこを行き来きしていて、心配。

-急に娘が不機嫌になって、腫れ物扱いしてくる。

 

私の方が不満が多い気がする。

母のと比べて、父のストレスは母と仕事から大いにくるんだなって言うことを感じました。

母、仕事→父→私

と言う感じ。

 

この場合はどうすればいいんだ。

 

うーん、私に対する父の不満ではなく、全体的に見てみようか...。

 

父の(全体的な)不満:

-自分の頑張りを誰も認めてくれない。特に母。

-日本で仕事したくないけど、偉い立場になったことで関わる機会が増えた。

-息抜きする場がない。癒しがない。

-日々の不満を吐き出せる人がいない。

 

と言う感じや。

 

うーん、

父も母も癒してくれる、自分が大事だと思ってくれる存在が欲しいのね。

でも、それは私の役目でない気がするよ...。

もっと根本的なところだ....。

 

だからまとめると、ウィンウィンな関係になるには、

父と母、お互い求めるものを補い合えるようにすることで、

私への当たりや束縛も弱くなる。

 

と言うことですね。

難しいこと言いますね。笑

 

母は、一緒に住みたい。娘だけでなく、自分も同じだけ大事にされたい。めんどくさそうに聞くのではなく、心から興味を持って話を聞いて欲しい。

父は、今まで自分にしてきたことを母に謝って欲しい。楽しそうに可愛く笑うところが見たい。仕事から帰ってきたら、頑張ったねーって褒めて欲しい。

 

後、お金でコントロールするのやめて欲しいから、口座を返して欲しい。

 

子供か!!!ええ!!子供ですか、二人とも。

書いて思ったよ、お互い大好きなんだからしっかり話し合って理解すれば、万々歳じゃん!それを余裕なくて、もしくは認めたくなくて、周りに当たり散らしているんでしょう。

そう言う話じゃないのこれ!

 

うわー、二人に伝えよう。

 

ウィンウィンの関係

こんな本、どうせ一個人の意見だし、

全てが正しく、全ての人に当てはまるわけでもないし、

実際私も似たようなことして失敗したのだから、

必ずしも合っているわけではない。

 

と思っていた私も丸め込め始めました。

 

7つの習慣、って言う本、すごいパワフルです。

どこまで本当にいいのか、わからないですが、

少なくとも、似たようなことをして挫折して、

気持ちが追い込まれている私を救うぐらいの力はあります。

 

それで、その中でも「あ、確かに」って思ったところがあるのでぜひともそこを話したい。

 

といってもまだ6つ目の習慣。

やっぱり長いし、個人的にはこの人の話し方が好きじゃないと言うか。

 

例:

相手「僕には無理なんだ!」

著者「いや、できる」

相手:「いや、だからできないって!」

著者「無理だと思うから無理なんだ!」

と僕が言ったら、彼はハッとした顔をして黙り込んだ。

「確かにそうだな。試してみるよ」

と彼は言った。

 

とかそう言う、なんて言うんだろう、

こう「僕は新しい価値観を与えてやった。そしたら彼は成功したんだよ。だからきっと君も僕の言う通りにすれば全て上手く行くはずさ」

みたいな考えがじわじわと文字から伝わる。

それがなんかうざい。

あくまで個人的な意見です。

書かれていることは、本当にどう考えても彼の言っていることは合っている、と感じるし、

だから確かにこの著者の言う通りにすれば、上手くいくかもしれない、

もしくはうまくいく、と刷り込まれているのかもしれないが、それも良いだろう。

どちらにせよ、すごいパワフルです。

 

書物はアイディアを広める、パワフルなアイテムだなんて大学の授業で学んだのですが、

確かにそうだな、と感じました。

 

それで本題に戻るのですが、

これの前のブログで「ウィンウィン」が効率よく、そして皆がハッピーになる方法だと言ったと思うんです。

それで私自身はやはり父と母が過保護で過干渉で、

母はどこまでもついていくし、父は私が反抗的であることが許せない、みたいな。

そういう状況に疲れているものの、

一人暮らしするにはお金は必要だし、母には愛犬も連れて行け、なんて理不尽なことを言われています。

 

最初のチャプターでは、両親のせいにするのではなく、自分が今の道を選んだ、と言うことを受け入れる、と言う類のことが書いてありました。

もちろん、受け入れられるならこんな辛い思いをしていないし、

だからそこを配慮していない著者に対して私は嫌悪感も抱きました。

 

しかし、5つ目、6つ目の習慣を読んでから、あ、なるほどって思ったんです。

私と両親の関係は、今ロスウィン(Loss-Win)なんです。

私も両親に無理やり言われたことをやる。キレられたら怖くなって、体がこわばる。それで疲れる。でも両親は無理を言うのが普通だと思っているから、この関係は続く。だからどんどん私が耐えられなくて、両親もそんな私を見て「こんな子に育てた覚えがない」となる。

 

逆を言うと、両親は私のために何でもかんでもやってきた。やることに疲れているが、娘のためならと思って、良い学校にも行かせた。しかし、今の生活が普通だと感じている私にとって、その苦労は見えないし、両親が毎回喧嘩したり、自分に対してなぜかイライラしている。それを我慢して、爆発すると、娘が怯える。

 

と言う、両者のロスウィン。

私から見たら、「勝手に頼んでもないことをやって、勝手に見返りが来ないことに対してイライラしている」と言う風に見えるし、

そろそろ子離れしてほしい、と言う気持ちになる。

でも素直になると、正直子離れとか関係ないところでも頼られると、なんだか気持ち悪くなって離れたい気分になる。

 

すっっごいイライラする。

 

だから著者の言う通り、

今はウィンウィンになっていない。

ウィンウィンなら私も両親もハッピーなはずである。

それが今は皆イライラし合っている。

母はすごい理不尽だ。

理不尽だけど、理不尽になってしまう理由が絶対にあるはずで、

それは幼少期からの思い出もそうだけど、

もしかしたらそれ以外の部分も大きいのかもしれない。

 

相手の気持ちになって考えることが大事である。

そしてその思いを汲み取りつつ、自分にとってもウィンである方法を考えるって著者は言っていた。

つまりは、両親のイライラがどこにあるのか、それが分かれば、

ウィンウィンの交渉ができると言うことだ。

 

相手の不満を一つ解消すれば、私の不満も一つ解消してくれる。

相手のが解消した、と思ったのに私の不満が解消されていないのであれば、

きっとそれは本当の意味で「解消」されていないと言うことです。

 

だからまたこの場を借りて書こうかと思います。

 

さてー、

 

まずは母から!

母の不満は、

-家族の誰もが自分のことを気にしていないこと

-孤独を感じること

-お金の心配をいつまでもしなければ行けないこと

-夫と別のところに住んでおり、日本に帰ってきても、いつも出張や仕事のことで頭がいっぱいで、あまり自分との時間を大事にしてくれないこと

-自分の言うことを聞いてくれないこと(寂しい)

-娘たちが独り立ちしたら、自分は何をすれば良いのかわからないこと

-娘に依存したくないけど、でもどうすれば良いのか分からないこと

-皆当たり前のように過ごしているけど、自分が頑張ったから今があると言うことを誰も褒めてくれないこと

-娘が必要としてくれないこと

 

私の不満(母)

-勝手に私の部屋に入って、物を動かしたり、綺麗にしたりすること

-私以上に不安がって、何でもかんでも裏で準備を進めること(就職先、一人暮らしの家、裏情報など)

-急に目の前に現れて、勝手に話を進めること

-普通の楽しい会話ではなく、命令をするか愚痴を言うかのどちらかの時にしか話さないこと(もっと楽しく会話がしたい)

-自分の言う通りに動いてくれないと「誰も自分のことを大事にしてくれない」と嘆くこと。嘆いてもなんともしないときは、妹に八つ当たりを始めること

-私と妹を平等に扱わないこと

-なんでも「金がないから」と言って、自由にやらせてくれないくせに、自分のお母さんや兄弟家族にお金を貢いでいること

-平気で嘘をついて、自分はいい人かのように振る舞う偽善者なところ

-外でも急にキレること

-暴言、暴力上等なとこ

-自分の言う通りにすると「いい子」と喜ぶとこ

-上のことが全て起きないよう、普段から顔色を伺ったり、我慢すること、イライラすること。

 

怖い通り越して、気持ち悪いです。

機嫌よく話されても今までしてきたことを思い出すと、

普通になんかはなせません。

後、やっぱり思ってしまうんです。

母のせいで私の人生はこんなにも狂っているって。

でも、ここは著者の言うウィンウィンをまずやってみようかと。

 

まとめると、

母の要求は、

-愛されていることを実感したい

-もっと自分の言う通りに動いてほしい(自分を手伝うこと=気にしていること)

-お金をこれから私に与えなくてもひとり立ちできること

-必要として欲しい(私を助けることを生きがいとしている。または不安)

 

私の要求は、

-お金がなくても、困難な状況に置かれていても、私が助けを求めるまで一切手出しをしないこと

-距離を置いて欲しいこと(ほっとくこと)

-普通に楽しい会話がしたい

-嘘をついたり、偽善者ぶったりなど、母親どころか人として恥ずかしいことをしないで欲しい

-自分でしっかりとイライラの発散を済ませて欲しい。八つ当たりをやめて欲しい。

-権力でコントロールしないこと。

 

これいくつか衝突しているのよ。

母は私に愛されたい。でも愛されていない、必要とされていない、と感じるから、

ついつい構ってしまう。それでも構わせてくれないと、暴力暴言という強行手段に出てしまう。

私は母に愛されたい。でも愛を感じない、自分の欲求を満たすために私を利用して、依存させようとしているように感じるから、離れたい。でも離れると暴言暴力が始まって、叩きのめされ、発言が怖くなることで、イライラが続き、依存するような形になるのが気持ち悪い。

 

という感じ。

S極とS極がくっつこうとしている感じ。

 

だから私は母を愛している、ということを伝える。

その代わり、彼女から要求される理不尽な手助けはしない。

 

私は自分のお金の管理がしっかりしていることを証明する。

その代わり、これからお金の要求、またはお金を受け取ることを母は強制しない。

 

勝手に先回りして、色々と情報を調べたり、とお願いしていないのに助けて欲しくない。

全部一通り自分でやってから、問題を話してどう言う解決法をとって、それに対してどう思うか母に聞く。

 

うーん、何が一番難しいって、母は物理欲求をすることで愛されている、と感じるのに対して私は言葉とか気持ちに対して愛されている、と感じるから難しい....。

色々と物理的に助けてもらっても、私は自分で調べられるようになりたいからすごい困る...。

だから料理でもって母は言うけど、私も料理に興味持っているから自分で作りたい....。

あれかな、愛犬の面倒を見てちょうだいって言えばいいのかな....。

そもそも愛犬は家族で大事にしているはずなのに、なんか私のワガママで飼ったから私の犬だ、みたいになっているのが許せない。

でもそこは飲み込んで....。

と言うか私がお願いした時に助けて欲しいって言ったことあるんですけど、結局母がまた暴走するんですよね...。

 

と言うか今まで何度も約束事はしてきたし、私はいつも守るのに、

母が破って、それを指摘すると逆上することがあるのでどうすればいいのかわからないです....。

なんか本当にやってくれるのかな...正直私が5倍ぐらいやって、やっと動いてくれるような気持ち。

しかもその5倍もやったら、私も母に依存してしまうような気持ちです。

でもとりあえず今出てきたものだけでもやって見ましょう。

 

父については今度書こうかしら

 

さらにこの前の本の別部分

引き続いています。

 

というのも読んでいるときに、

意識が飛ぶんですよね。

「こういう風に考えると問題がわかるかもしれない」っていう質問を見ると、

じゃあ考えてみよう......

こうなっていたのは、私がこうしたからで、

あ、じゃあ、私はこういう風に考えればいい。

そもそも私なんでこうしたんだろう...。

あ、そういえば母が前に...

.....

といつの間に違うところに着地 笑

 

だからすごい時間がかかっていて、

出かけているのもあって、まだやっと4つ目の習慣を終えたところです。

 

それで今回こちらで話したいのは

ウィンウィン(Win-Win)の話。

 

私ウィンウィンって嫌いなんです。

「この契約ならウィンウィンだと思うのですが?」って言って、

実はウィンウィンじゃない。

ウィンウィンって言葉を巧みに使う人は、自分の利益のことしか考えてない人なんだと思っていました。

 

しかし、この著者は、

「相手にとってロスしているなら、それは本当のウィンウィンではない」とのこと。

本当のウィンウィンとは、

しっかりと相手の欲しいものを与えつつ、自分の欲しいものも貰うことである。

 

この考えについて、私は嫌悪感を抱いていたんですよね。

大学生の時は、自分は他者のことばかり考えているから、

自分の意見を言おう、自分の感情を伝えよう、と必死でした。

だから相手が持ちかけてくる件で嫌だなって思ったら、

私にも有利な条件をオファーしたりとか。

思ったことはオーバーリアクションで伝えてみたりとか。

 

だからそこそこいい関係は繋げられていたと思うんです。

でもすると、徐々に「友達」っていうよりは、

本当に都合のいい人たちというか..。

一緒にご飯行って、楽しく話し合って、終わりではなく、

自分の行きたいところ、もしくは相手の行きたいところに行くために、

出かけるというか。

後はやっぱり、自分はこれだけ遊んでくれる人がいるんだっていう安心感を得るために遊んでいました。

 

というのも勉強もできない、英語もできない、人として何か違う自分を見せるのが怖くて、

だから話す時はバレないように上辺だけの話をしたりしていたのです。

上部が悪いのではなくて、隠すことに必死になりすぎて、

本当の自分を相手が知ってしまったら、

きっと「なんだこいつ」となるので、

私が自分の意見を言ったり、感情を出したりすると、

「気持ち悪い」と思われるのが怖かったのです。

 

いるじゃない、場違いな発言して周りを凍らせといて、

「あの人って場の空気を読めてないよね」って他の人に言うような人...。

 

そういう人になることで、距離を取られるのが怖くて必死でした。

 

だからこれも、この著者のい言葉を借りると、

人から見られていたい、安心感を得たい、と言う欲求が私を人に依存させているので、

自立できていないと言うことです。

 

だからそれを思うと、

いくらウィンウィンであったとしても、

あの時失敗したのは、どんなに怖くても、自分をさらけ出して、嫌われる勇気を持てなかったことなのかな、と思います。

 

というわけで、なんとなく なぜあの時のウィンウィンが私の「幸せになりたい」と言う思いに繋がらなかったのかわかりました。

 

しかし!

そんなこと当時は思っていなかった私。

ウィンウィンであろう、と言う私の気持ちが「人より優れている自分でありたい」「あいつらを見返してやりたい」と言う欲を強く作っていると思っていました。

 

ビジネスでウィンウィンでいよう、と言って、実は自分の利益の方が多い、なんて言う人もたくさん見ていた私は、

 

「ウィンウィンでありたい、と思うことは強欲で自己中心的な考え方だったんだ」と考え、

どうすれば正しい意味で、相手も私もハッピーになれるんだろうか。

 

そう考えていたんですけど、時が経って、母が私を支配下におきたがると言うこともあり、

いつの間に人の言うことを聞いて、人のやりたいようにやらせるようにしました。

私はどうすればその状況から抜け出せるのかわからない。

この人たちの好き勝手やらせないぞ、と言う気持ちで自分の意見を言っては結局同じことが起きてしまう。

どうすれば、依存心を出さずに私はハッピーになれるのだろうか。

 

もう相手のことは一切考えず、嫌われてもいいから好き勝手する?

でもそれだと皆に嫌われるのが怖いし、すごい傷つく。

じゃあもうこのままずっと言われた通りに動くの?

自分の意見を言うようになったらどうだろうか。

しかし、その言い方もストレートすぎると結局傷つけて、人間関係悪くなるし、

カモフラージュすれば、また依存心が出る。

 

ストレートかカモフラージュ。

純真か欲

みたいなところです。

 

もう答えがわからない!!!!

って思っていたんですけど、この本では

「ロスウィン(Loss-Win)であることは、自分が損して、相手に利益を与えるという考えです。これは心の通じ合った人間関係を育むのにはいいです。しかし、相手はどんな条件もどんなことも相手は受け入れてくる、と思い、別のところに逃げてしまうこともあります。」

 

まあ、無理難題言っても全部やってくれる都合のいい人になってしまう、と言うわけだ。

そこまでは、まあそうだよねって思っていて、そうなったら自己責任だとしか考えてなかったんですけど、その後書かれていたのが

 

「それだとあなた含めて、あなたの周りの人は、そんな相手を見て、なんて人だ!って思うのです。結局自分も傷つき、相手も傷つくので、結果としては良くないのです。」

 

と。

おお、そんなふうに考えたことはなかった。

 

だから、結局私は、自分がロスになっていても、自分が言いたい、表現したいって思った時だけ自分を出せばいいって思っていたのです。それがいい人間関係を作り上げる方法なのかなって考え始めていたのに、

実は薄々自分の中でも人間関係がうまく言っていないし、これが本当に正しいのかわからなかった部分があります。

だからその文を読んで、こう改めて自分の進む方法がわかった気がします。

 

そんな感じです。

 

だから本物のウィンウィンであるのは悪くないと言うことです。

 

 

この前の本の別部分

と言うわけで、まだ読んでいます。

英語で読んでいるからか、

興味が薄くなり始めているのか、

7つの習慣、なのに2週間かかって、やっとこれから4つ目です。

 

それはいいとして、

今読んでいる本で、自分のアイデンティティについてうううううん、となったので、またこちらのブログを使って自分の考えを整理。

 

今回まとめたいことは本にあまり関係ないんですけど、

本の中身は、

自分の役割がなんなのかを書き上げ、それぞれのタスクを1、2個挙げて、

それを1日、3日、1週間、と続けていくと効率的に仕事ができる、

と言うもの。

 

自分の役割か...それは、と思って、一番最初に出てきたのが

 

「日本人」

シンガポール人」

「帰国子女」

「チャイニーズ」

 

んん、なんかこれは違う方向に行っている?

と言うかタスクも何も...このタスクってなに?

 

本来は、

「娘」→母と一緒にご飯へ行く。父の仕事を手伝う。

とかが、理想的。

 

でもイッチバン最初に出てきたのが自分のアイデンティティ...。

いや、悩んでいたけどさ、

どうしろと。

自分の出した答えに悩む。

 

やっぱりこの本、いい本だけど、

どこか限界を感じるぞ。

いや、すごくいい本だけど、

私のシチュエーションにフィットしないのか....。

 

でも実際そうなんですよ。

やっぱり今まで、

シンガポールシンガポール人と一緒にエレベーター乗ったり、

ご飯をオーダーするときは

シンガポール人のふりして、洋服も適当なのを来て、ボロボロの英語を話すんですよ。

色々と聞かれるのも嫌だし、好奇の目で見られるのも嫌だったので....。

日本人がいたら、なおさら「え?あの子日本人?」となってめんどくさいんです。

 

逆に、日本人の友達と一緒だったら、シンガポールだろうとレストランとかカフェでご飯食べるし、

話し方も...もっと笑うし、えー、そうなのー?やだー、みたいな話し方になるかも。

もっと距離ができる。

 

と言う感じで、帰国子女とチャイニーズも違う感じ。

 

だから役割っちゃ役割だし、

皆が仕事のオンオフ切り替えるみたいに、

私もこの4つのスイッチをオンオフする。

 

とりあえず言われた通り、それぞれタスクを書いたのよ。

 

「日本人」→日本語上達。他のアイデンティティとまとめる

シンガポール人」→シングリッシュ学ぶ。他のアイデンティティとまとめる

「帰国子女」→英語上達。他のアイデンティティとまとめる。

「チャイニーズ」→中国語上達。他のアイデンティティとまとめる

 

....ねえ。これいる?!本当にいる?!

いや、もうただ単に言語マスターして、アイデンティティまとめろとか言っているよ。

役割も何も、無くそうとしているよ、私。

もうなんなんだ、これは。

この著者に聞きたい。

私はどうすればいいんだ。

えゝ、まとめればいいのか??それでいいのか??

本来のやり方と違うけど、いいのか??

 

てか私、そもそもの役割を一つにまとめようとしたのよ。

香港に留学したとき、

日本人、帰国子女、チャイニーズの役割を一度にする必要があったり、

帰国子女とチャイニーズが一緒になったり、

もう何がなんだか、私はどう演じればいいのかわからなくなったことがあるの。

 

それは、もう

40歳の男の先生がさ、

高校生の教え子と自分の同級生が友達でさ、そこに自分も参加しているって不思議な光景よ

そこ繋がっていたの??みたいな。

フランクに同級生に話したいけど、すると教え子が「そんな話し方するの?」って感じだし、

逆に教え子に話すように同級生に話しても同じ結果...。

と言うか2人と同時に話すとき、

どうすればいいのか迷うのよ。

 

そんな感じ。です。

 

話がわからなくなって来た。

あ、

それでどの役割?どんなタスク?って質問で、

真っ先に出て来たのがこのアイデンティティだから、

私相当どうにかしたいんだなって気づいて。

 

うーん、そもそもアイデンティティは一つにすることが正しいのかしら?

その、今回自分の役割を書いて見て、って言ったのは、

やはり一般的に

先生としての役割、父としての役割、友達としての役割が

違うからよね。

もちろん全部一緒っていう方もいると思うけど。

 

....そう、全部一緒という方もいる。

だから私はアイデンティティを一つにまとめても問題ないということ....。

かしら。

 

あああああ、わからない、眠い