自己表現にこだわる理由

なぜこんなに自己表現したくなるのかって自分でも考えたことがあります。

 

今まであまり周りに認めてもらえなかったことが原因なのかな、と。

 

やっぱりありのままの自分を好いてもらえることが自信に繋がると思うんですけど、

何か特別うまくできることもなく、

人間関係でもあまり素を出すことができないまま育ちました。

 

多分小学生ぐらいの時から、

同じ時間に好きでもない人たちと決められたところで授業をするというスタイルが合わなかったんだと思います。

 

いつも客観的に冷めた目で周りのことを見ていたし、

それと同時にどうすればおかしく見られないかな、どうすれば周りと馴染めるのかなっていうことも常に考えていたと思う。

 

まあ、結局馴染めていないし、ツンケンしていたんですけど笑

 

私の母も私にいつも遠慮しろ、気を遣え!って感じで教育してきたので、

結果的にその場に合わせて自分を変えることが多くなったのだと思います。

 

今思うと大学生の時ぐらいから、

社会人になれば自分を解放できるから、今は知識をつける時だ!

って我慢していたような感じでした。

いつもニコニコして、うまく話せないから笑い声でカバーするみたいな。

 

だから社会人を経験して、

今になって、今まで我慢していた「自分」を解放したいんだと思います。

 

ただ私が自分らしくいることは社会的にはやめておいた方がいいと、

無意識に思っていたから、あまり自分を出さなかったんだと思うんですね。

今更「これが本当の私だ!!」って尖っていく気もない。

 

本当なら中学生ぐらいの時に、

素を人に出して、反抗期などを迎えて大人になると思うのですが、

 

私は素を出さないままそのプロセスを送ってしまったんだなって感じです。

「これが本当の私だ!」ってやったら、

また中学生ぐらいから通った痛い気持ちやら悲しい気持ちやらを

感じなくてはいけないんだなって思うと、

 

やめとこうって思うわけです。

 

でもやっぱり誰かに私が私であることを知ってほしい。

この25年間、人に比べて知識やスキルは劣るかもしれないけど、

人よりも色んな経験をして、

話したいことも話せることもたくさんある。

思うことだってたくさんあるし、哲学的な話だってできる。

 

中学生や高校生の時だったら、

「何こいつ、こんなこと考えているの?」って思われたことが、

今では大人になったことで受け入れられる。

 

だから伝えたいんです。

自分はこんな人間なんだって。

だてにニコニコして、適当に人生送ったわけではないんだって。

 

主張したいんだと思います。

あとは自己承認と言うのでしょうか、

そういうのが足りないのもあるかもしれませんね。笑

 

でもそれを主張すると独りよがりになってしまうし、

今の自分がまた過去の自分に戻ることが怖いので、

だからせめてお仕事を通じて、

表現したいんです。

 

たったそれだけなのに、

表現するお仕事って専門的なスキルが必要なものばかりで、

なかなか難しいです。

 

調理勉強したというのに、

結局それをどう活かせばいいのかアイディアが出てこない。

 

メニューなんてありふれたものばかり出すし、

もっと私が私だって主張するような場所が欲しい。

 

こんなこと言うと、

別にわざわざ表現する仕事につかなくても、

例えばファッションを自分好みにしたり、

自分の思う料理を友人に振舞ってみたり、

こういう風にブログに書くだけでもいいんじゃないかって

自分でも思い始めたりする。

 

それも正しいけど、

多分仕事でミスして認められないぶん、

自分の得意な表現力で認められたいのかもしれません。

 

まあ、表現したいっていうよりは、

表現することが仕事がうまくいく秘訣なのかなって感じている部分もあるのかも。

 

と言う感じです。

こんな風に話すのも割とストレス発散になると言うか

自己満になったりする。笑