自分の感覚を信じてよかったんだ

最近インスタで漫画を読むのにはまっています。

特に「変な人に出くわした」といったタイプのお話が好きで、

読んでは、こういうことされたらおかしいって思っていいんだな、とか

こう思われるんだな、とか、

人間観察みたいなのをしていました。

後は単純に絵柄とエピソードがおもしろ怖い。

 

そんな中今日はyuppe2というアカウント名の方の漫画を読んでいました。

自分を鳥のキャラクターにし、

実体験を語っているものです。

 

その中でグッときたものがありました。

インスタアカウントのリンクに行くと、

さらにいろんな漫画があったので、一番長編である「仕事を辞めた話」を読み進めていました。

 

まとめると、「相手が自分好みであるかどうかで横柄な態度で差別をしてくるお店のオーナーに振り回される話」です。

 

お店は開いたばかりで、

ただのパートなのに、パソコンの使い方が分からない、というだけで、

ウェブサイトやチラシなどを

時間外労働で一人で作るはめになったり、

 

禁煙なのに、自分のキャバ嬢にはデレデレで喫煙させてあげたり、

自分が害虫だと思う人には

「(障害者の彼は)いつ叫ぶかわからないぞ!だからこの客を外に連れて行け!」

などと思ったことをそのままひどい伝え方をします。

 

嘘をついたりもするしね。

 

きっとこのオーナーに悪気はないし、

嘘をついてしまうのも自分で気づかないうちについてしまうのだと思う。

パソコン使えないのだから、まあ手伝ってほしいんだろう。

時間外労働だけど、

自分も作る機会を与えられたから、まあ仕方ない。

 

ときっと私ならそこで終わって耐えます。

でもこの筆者は違ったのです。

 

「このオーナーにきっと悪気はない...」

「うん、けどこんな人と働けない❤️」

といった感じでした。

 

後、筆者が、キャバ嬢を毎度連れてきて公私混同している、とオーナーを問い詰めたときに、

「僕がこうなのは君が構ってくれないからだよ....」と言いました。

私だったら、あ...そうなのかな....?

私が構っていないからなのか...?

寂しかったんだろうな。その気持ちを汲み取れなかった私にも問題があった、

と私はそこで考えてしまう。

 

でもそこからの筆者の巻き返しが違った。

「そうなんですね....」

「ってなると思いました?キャバはお金を払って行っているわけで、

お店でもキャバ嬢の子にお代をタダにするってサービスをしていますよね?」

 

つまりお店でやっていることはキャバ嬢の子に貢ぐ、というのと変わらない。

そして、寂しいからキャバ嬢へ貢ぐ、というのは

筆者が勧めたのではなくオーナー自ら選んでいったわけで、

その責任をなすりつけるな!と言ったのです。

 

それを読んで、

私は当たり前のことを

当たり前に主張できなくなっていたことに気づきました。

 

私が彼女の立場だったら、とても罪悪感を持っていたと思う。

でも彼女の言っていることは正しくて、

いかなる理由があっても、

理不尽なものは道徳的に間違っている。

 

彼女自身も「価値観の違い」だと言っていました。

そして、私は価値観の違いで起きていることに

私がとやかく言う権利がないと今まで思っていたのです。

 

なにより社会人1年目で入社した企業で、

私が見たものを見て、意見をする人が一人もいなかった。

私が感じている違和感は、

彼らに常識がないのではなく、私に常識がないからなのか?

 

そう思って自分の思っていたことに蓋をして誰にも言えずにいました。

言っても、いつも「でも悪気はないんだ」「私が仕事できないから」と

なにかとかばっている自分がいました。

 

また、彼女の感覚が私に近い感覚したのです。

お子さんがいるとのことなので30代ぐらいなのでしょうか。

今まで社会人として耐えなければいけないと思った数々のハラスメントは

「気のせい」「仕方ない」「私が悪かった」

と紛らわすのではなくて、堂々と思っていいんだなって思いました。

 

筆者は結構がっつり思っていることをオーナーに言っていて、

どんなに色々言われても言い負かしていました。

私も筆者と同感の気持ちを持っていました。

そして、直接言って喧嘩する労力が嫌なので、

彼女のようにはっきりとオーナーに言いませんが

きっと彼女と同じことを思う。

 

けど漫画を読んでいる時に

「そうなるよねえ」って思いながらもモヤモヤしていたというか。

「今のはオーナーが悪い!!」ってはっきりと思えなくなっていたんですよね。

 

この筆者は、しっかりと自分はこう思っている、というのを持った上で、

相手が悪気がなかろうと、しっかり線引きしていた。

 

私は、相手が悪気がないなら、価値観の違いであるなら、

「この野郎」「どう言い返してやろうか」といった気持ちを持つことと、

なんだかんだ優しくしてくれているから、そう思うことに罪悪感を持って、

ズルズルと線引きをせずにいただと思いました。

だから今までずっと疲れていたんだな、と。

 

線を引く=見下す、となるのが怖かったのもあります。

私の父が人を見下す人で、

私も気づいたら友人を見下して大事にできていなかったことを知りました。

だから、「この野郎」と思うのは確信犯だと分かったらにしよう、と

心に決めていたのです。

でもそれも少し違ったのかなあ、

もう少し価値観の違う人に対して思ってしまっても良かったのかなあ、なんて

読んでから思うようになりました。

 

後は漫画の最後の方で、

デートするたんびに喧嘩をして「別れる!」という友人の話を毎度聞いて、

イライラする、という筆者が出てきたんですね。

そして筆者はそれに対してなんでこんなイライラするんだろうって。

それは、これだけ愚痴を聞かされて、別れなよ、とアドバイスをしているのに

「前に進もうとしていなかったから」だと気づいたのです。

それは筆者も同じで、

仕事を辞められずにいたのと一緒だと感じみたいです。

 

そしてそれは私の気づきにもなりました。

確かに会社のことすごいぐちぐち言っていたけど、

愚痴っていたってことは辞めたいけど辞められないから愚痴ってたんだろうなあ、と。

次に動くのが怖くてできなかったんだろうな、と。

 

そしてそれは会社だけではなく、人に対しても一緒。

特定の先輩のことが嫌いで、

よく周りに愚痴っていたけど、

それも距離を取ったり、ひどいことを言ったら、

次どんなことが起きるのかわからなくて、

怖かったから動けなくて愚痴っていたんだなあ、と。

 

愚痴る、という行為は

心がチキンになっているからやってしまう行為。

 

と昔の私だったらすぐ思ってすぐ行動に移していただろうな。

 

もちろん行動に移せなかったのは、大人になったからでもあると思います。

今までは周りがどう思おうと、

友人がいてくれて、学校を卒業できていれば好き勝手生きてても大丈夫だった。

それが会社勤めになると、チームで働くという意識が出てくる。

もし私がなにか言って、チームの和を乱すことになったら、

と心配して言えずにいたのだと思います。

 

また、自分一人だけがそう思ってイライラしているのを見ると、

自分が老害というか、問題なのかな、と思ったりもしたのです。

ガミガミ言って、自分では正しいと思っているけど、

周りからは迷惑な人、気を遣えない人、嫌い、などという印象を持たれたくなかった。

いじめられていたことが関係するのかな。

 

後、仕事できないのは本当だったし、

文句言う前に自分がしっかりできていなければ説得力ない!と思っていたのもあります。

 

長々とダラダラ書いてしまっていますが、

相手に悪意がなくても、マジありえない、意味わからないって思ったら、

その感覚を信じていいんだな、ということをこの漫画を思い出しました。