父への気持ちが180度変わった瞬間

さて、前回の記事で、

父はいい人だと思っていたのに、実はサイコパス気味だったと話しましたが、

ターニングポイントがあります。

 

過去の記事でも書いたことあると思います。

母に包丁で脅された日です。

 

父に理不尽なキレ方をされても、

今まではストレス溜まっているんだなあ、とか

私と感覚が本当に違うんだなあ、と

父は私と違うだけ、と割り切れたのが、

この日を境に安心感もなくし、

父が父に見えなくなりました。

 

父のことは今でも好きです。

私のこと心底大事にしてくれていると思っています。

でも、私がそれを感じることができなければ、

むしろ傷つけられた、と感じるのであれば

思うだけでは足りないと感じています。

 

口に出すことは簡単です。

好きでなくても好きと言えるし、

気にしていなくても気にしている、と言える。

一番簡単に思っていることを伝える方法です。

 

だから口だけの父を信用できずにいます。

 

包丁を出された日、

大学生のときで、

私は友人とお泊まりをする前でした。

荷物を詰めていて、機嫌が良かったです。

 

あることで私は母に

「私、これは〇〇することにしている」と伝えました。

 

それがなんだったのか、今は覚えていませんが、

私の裁量で決めてもおかしくないものでした。

そもそももう大学生なので、

自分のことは自分で決めて当たり前ではないでしょうか。

 

母はそれに対して、

「いや、ダメ。これにするんだ。」

と私に拒否権がない言い方をしてきました。

 

私の言ったことは絶対、という母の態度を見て、

私は「いや...もう大学生だし、これは私が決めていいものだし、私のしたいようにするよ」と言いました。

 

今まで散々コントロールされてきて、

大人になるまで、大学生になるまで、と我慢してきた。

大学生になってから、並に人生を楽しみたくて、

カウンセリングに定期的に通って、

人との関わりをたくさん持つようにして、

克服した。

自分の意見を言えるようにした。

 

私には自分の意見を押し通す権利があることを知りました。

暴力暴言?どんとこい!と感じでしたね。

 

だから余計に腹が立ったのだと思います。

自分の思い通りになっていた娘が、

言うことを聞かなくなった。

自分に反発している、ということにプライドが傷ついたのでしょうか。

 

頑なに言うことを聞け、と言い、

私がそれに対して、なぜ母に決められなければいけないの?って反発し、

私へ暴言を吐き始める。

私も暴言を吐いた。

初めて大きな声で母を罵ったと思う。

もうあなたに支配されない、と強く思いながら罵った。

 

母も父も両親は絶対的なもので、

子供はそれに反発をしないべきだ、という考えを持っている。

 

だから私の罵りに母はブチ切れた。

高校生ぶりにたくさん叩いてきた。

腕が赤くなるぐらい。

 

私は体育すわりの体制になっていたが、

腕をクロスして、必死に自分の身体を守った。

話す余裕もないぐらい、

力いっぱいに叩かれて、

私も限界がきて、

母を叩いた。

 

正当防衛だった。

あのまま、母の好きなようにさせていたら、

私はずっと叩かれてあざだらけになる。

そろそろ母に、暴言暴力で私はコントロールできない、

ということを示したかった。

 

母を叩いたのはこれが2回目。

1回目は私が小学生のときに、

できが悪いから、と私の200冊近い漫画を捨てる、と言ったとき。

私にとって漫画は、

心を安らげてくれる、とても大事なものでした。

それを知っていて、母は「こんなものがあるから勉強ができないんだ」と言ってきました。

大事なものを母の考え一つで勝手に失くすことが許せなかった。

憎かった。

 

「捨てないで!!」と父に引き止められながら、

母が私の漫画を持っていくときに、

思わず母を蹴りました。

 

足の指ぐらいしか触れていなかったので、

母は蹴った....?となりましたが、

父に蹴ってない、となだめられ、

私も怖くて「蹴っていない」と言いました。

 

でもこの2回目は紛れもなく、叩いた。

「いいかげんにしろ」と言って叩き返したと思う。

なんでも思う通りになるなよ、とも言ったかな。

 

そしたら母は顔から血の気が引いていた。

目を大きくして、信じられない、という様子だった。

 

娘に叩かれるなんて、

どこで教育を間違えたのかしら、とでも思ったのだと思います。

スッと部屋から消えて、どっか行ったので、

私は終わったのだと思ったのです。

 

安心しきってました。

 

けれど、リビングの方からガチャガチャ聞こえて、

父の「やめろ、おい、〇〇(母の名前)、やめろ」という声が聞こえた。

なにが起きているのだろうと見に行ったら、

母は包丁を持っていた。

 

私はその瞬間、辛くて悲しい気持ちになった。

あ、私に殺意を抱いている。

暴言暴力を働こうと、コントロールしようと、

母は私を愛しているのだと思っていた。

彼女なりに大事にしてくれているのだと思っていた。

でも包丁を見て、私は案外そうでもない、と感じた。

 

本当に大事な人に向かって、

どれだけカッとなっていても、

包丁を向けることありますか?

 

間違って落としたり、離したりすれば、

私に刺さる可能性だってある。

それでもいいから包丁を使って、

コントロール下に置こうとしている母が恐ろしかった。

私への愛情よりも支配しているという感覚の方が母にとって大事だったんだと思った。

 

私も母がそういう人だと思いたくない。

心底カッとなって気がついたら、

包丁をとっていたのだと思いたい。

 

でも私が「ごめんなさい。ごめんなさい。わかったからやめて、お願い。」と号泣して懇願しているのを見て、

母はやめて、リビングに行った。

 

私は今まで暴力をはたらかれると降参していた。

だから包丁を持ってくる必要が今までなかったけど、

暴力が効かないと知ったから、

今回は包丁を意図的に持ってきたという風に

私は思えた。

 

暴力、暴言もカッとなってするだけではなくて、

私に力関係をわからすためにやっていたことでもあったんだ。

 

私が好きだったのではない。

なんでもいうことを聞く娘が好きだったのだと思った。

 

話が母へとそれてしまいましたが、

父も父でひどかったです。

 

暴言を言われて、言い返すたびに

父はいつも「それ以上言うな」と言います。

暴走していて、後々喧嘩になる母よりも、我慢ができて喧嘩に発展しない娘の私に言うことを決めたのでしょう。

でも、私はいつまでそうやって自分の意見を親のために我慢すればいいのでしょう?

 

私はそうぼやかれながらも母に言い返していました。

すると、父は体育座りの私のところに来て、

手首を握ったのです。

今までにないぐらい冷たく「わかったか?何も言うな。わかってるか?」と

赤く跡がつくのではないか、というぐらいて手首を絞められました。

「痛い。お父さん。痛い。離して」

と言ってしばらくしてから放して、部屋から出ました。

その際も「わかったな?」と言っていたと思います。

 

完全な脅しでした。

母と言い合っている間に、それ以上言うな、と言われた際に、

今回のことを話して、

父には私が全く悪くないことも伝えた。

喧嘩を始めたのも母だと言うことも理解していた。

その上で父は私を選んだ。

 

父は正当性よりも私の気持ちよりも、

ただこの喧嘩を終えたい、という気持ちが強かったのだと思う。

私も父の立場で、客観的に物事を見ていても、

それが一番効率よくダメージ少なく喧嘩を終えることができる方法だったと思う。

 

でもそういうことではなくて、

なぜ私が犠牲にならなければいけないのだろう?

それも今回の喧嘩は私が自分の意見を主張しただけであって、

母を傷つけるものではなかった。

誰から見ても、私はキレられるほどのことをしていないというだけの自信はあった。

 

父は今まで正しく評価をしてくれているのだと思っていたし、

私のことを考えてくれているのだと思っていた。

 

喧嘩をしていて、それ以上言うな、と言われて

だって....と言えば、

気持ちは分かるよ。でも今のお母さんに何を言っても伝わらないだろう?だから、な?となだめられてきた。

 

実際は私の気持ちなんかどうでもよくて、

今までの言動は私を止めるために吐いた嘘なんだな、と思った。

 

本当に私を守りたい、という気持ちで守ってくれていたこともあったと思う。

でも、今にも舌打ちしそうなぐらいに

私に「それ以上やめろ」と言ってきた父が別人に見えた。

 

私にとって父は優しい人だったけど、

この日を境に、

私の知っている父は本当の父ではなかったのかもしれない、と思い始めた。

 

22、3年間私が見てきた父が違うというのは相当なショックでした。

自分のことをいつも大切にしてくれている。

いつも私のことを守ってくれる。

わがままを聞いてくれる。

 

でも裏では、まじうぜえってなっていたのかもしれない。

手首を握られたとき、いつもの顔と一緒でした。

ただ少し迫力が増していただけで。

 

全ての優しさは結局は全て自分の保身のためで、

わがままを聞いてくれるのは、そうしないといけなかったからで、

別に私のためにこうしてあげたい、という気持ちはなかったかのように思えた。

 

父に対する安心感がこのとき消えました。

母が包丁を出して、かばっているのも、

私のためかと思っていた。

私が傷つかないように守ってくれたのだと思っていた。

けど、私の手首を持って、

いい加減にせい、と言ってきたとき、

守ってくれていたわけではないことに気づいた。

 

守ってくれていた、と思った方が幸せだし、

実際そうかもしれないし。

けど、そう疑い始めてから父の色んな面が見え始めた。

 

後は前回の記事で書いたとおりです。

父はかなり自己中心的な人だと知りました。

そして、ここでは書きたくありませんが、

父自身ひどいことを人にしてきたことを

一緒に暮らし始めてからカミングアウトされました。

しかも嬉しそうに。

 

感覚が違うことは仕方ない。

でも今まで信じていたものが違うと知ったときに、

しかもそれが親に対して起こったとき、

今まで騙されてきた気持ちになりました。

 

大事にされすぎたから起きたことでもあるかもしれません。

私の両親は大人の汚い部分を一切私に話してこなかったし、

人を助けなさい、笑顔でいなさい、と言われてきたから、

父親らしくない行動に出た父を初めて見て、

驚いたのかもしれない。

 

でもあの時されたことは忘れられない。

その後ですが、喧嘩でクタクタになって精神的に疲れ切っていましたが、

お昼ご飯を食べる必要があったので、

外で食べに行こうと考えました。

 

今までなんだかんだ私との仲を取り戻そうと、

ご飯を作ったら私を一応呼んでくれていました。

 

でも今回はリビングの方へ目を向けると、

ドア越しではっきりとは見えませんでしたが、

父と母が座って、ご飯を食べながら、

テレビを見ながら笑っていました。

 

今読んでいる人に伝わるかわかりませんし、

私が敏感に捉えているだけかもしれない。

だから今までうまくいうことができませんでした。

 

なぜ父が座ってご飯を食べているのか理解できませんでした。

私が一人で部屋でうなだれて泣いていて、

私が喧嘩をふっかけ始めたわけでもないことを知っていて、

座っているのを見ると、

母のご機嫌をとっているように見えた。

ある意味、私が傷つけられたことをケアするよりも、

父は母が間違っていても、ひどいことをしても、

そばにいてあげるのだと知った。

 

私が娘だというだけで、

自分のことは自分でなんとかしろ、と言われた気分で、

殺意が芽生えた。

 

きっとこの先も私が正しくても、

父は母の味方をするのだと思うと、

一人になった気分だった。

 

自分が間違っていれば、

責められる。

自分が正しくても、

キレられる。

 

じゃあ私はどうしていれば平和でいれるんだろう、と思った時に、

親の言うことを聞くことだと浮かんだ。

 

親の言うことを聞くのが嫌で、

私は自分の意見を主張できるようにした。

けど、この喧嘩によってもう主張するのが怖くなってしまった。

 

怖くなることは今までにも何回もあったし、

その度に「いや、できる!」と自分を励まして、

素の自分に戻る、を繰り返していた。

 

けど今回のことで気持ちがポッキリいってしまい、

再生することができなくなっていた。

 

両親の言うことを聞いて過ごす生活って

生きているのか死んでいるのかわからない。

 

ちなみに、この喧嘩が起きたときは、

自分でも何か起こっているかわからず、

ただ二人に対する不信感が強くなっていました。

 

何年も経った今でも、

解消しきれていないトラウマです。