感性が素晴らしい

今日は私の学校で後輩にあたる人が

私のインターンシップ先に来ました。

 

大人しい人だなっていう印象があったんですけど、

話してみたらものすごい話しやすい。

 

言葉を選ばないんですよね。

でも傷つけるわけでもない。

 

例えば、今日二人でご飯を食べている時に、

彼が「おじさん」と50代の自分のクラスメートのことを呼んだんですね。

だから、私が「おばさん、おじさんって呼ぶのは失礼だよ笑」って言いました。

 

その後に彼がこの人知ってる?と聞いて来たので

「ちょっとぽっちゃりめの人?」って聞いたんですね。

 

そしたら「おばさん、おじさんはダメなのに、ぽっちゃりめの人はいいの?」

と真顔で聞いて来ました。笑

 

全然悪気がなくて、多分純粋になんでなの?って思ったと思うんです。

それに対して「ぽっちゃりは体型の話で、痩せている、太っている、背が高い、低い、みたいな表現だからいいけど、おばさん、おじさんはそういうのではないから...」

と自分でも「でも確かに....」と思いながら言いました。

 

人によってはぽっちゃりって良くないものね。

というか英語で'fatty'って言ったけど、

その人の頭の中では「デブ」って変換されてるかもしれないしね

 

この人は兵役を終えて大学に行って、その後すぐにこの調理学校に通ったみたいです。

なのでこれが初めてのお仕事。

 

そりゃそうだ。

彼の言ったことは、人によっては「なんでそんなことを聞くの?」って思うだろうし、矛盾点を突いて来たわけだから、プライドに障ってイラつく人も出てくると思う。

 

後、その人、私がある人の名前を出して、その人のこと知っている?って聞いた時に

「ああ、あの人ね。途中から入って来たんだけど...あまり好きじゃない」と言ったんです。

 

私もよく思ったことをパッと言っていたし、好き、嫌いもよく正直に彼みたいに話していた。でも、しなくなったのは、私が社会で働いたからなんだ、と実感しました。

 

彼は悪くないんです。

私はむしろ彼みたいなまま生きてくことができるならそうしたい。

 

でも、彼のこの発言は人によっては「そんなすぐ判断するなよ」って思うだろうし、

私がもしその人のこと好きだったんなら「なんで私の好きな人にそんなこと言うの?」ってムッとすると思う。

 

だから、なんだろうね、

うーん。

 

純粋に考えられる人がそのまま生きていける社会があればいいのにって思いました。

私は彼の考え方が好きだし、「おお笑」って何度もなったけど、

わざとではないと言うか純粋な好奇心から来ているし、

なんかそのまっすぐな感じがいいなって思ったんです。

 

私もまっすぐ来られるから、

ちょっとうろたえつつも、

自分をオープンにできる。

 

あとは犬の面倒が本当は大変で、

自分の飼い犬にさえ嫌悪を抱き始めていたのですが、

 

彼も犬を飼っていて、もう亡くなっているんですね。

しかも彼が面倒見ていたらしい。

 

これなら「犬の世話って大変だよね」って話ができると思ったら、

真っ先に言ったのが「じゃあいいね。犬と散歩したりとか楽しく過ごせるじゃん」だったんです。

 

そんな考えがなかったし、

そういえばその瞬間を楽しむということを私はいつの間にしなくなったな、

とこのときに気づいたのです。

 

そう言う風に気づかせてくれるこの人がかっこよく見えました。

でも同時に、彼がこういう風に話せるのってまだ社会に直面していないからだと思うんです。

 

もし皆自分が思うほど、周りのことを気にしていないと知ったらどうなるんだろう。

もし私が対人恐怖症で、相手を無視し始めたりしたらどうなるんだろう。

周りが自分の噂を実はたくさんしていて、中には悪いものもあると知ったらどうするんだろう。

 

そういう気持ちになりました。

まあ、実際に社会は悪だ!って強い気持ちを私が一人で持っているだけで、

実はなんてことないのかもしれませんけどね。

 

でももし彼が私と同じ人生を歩んだら、

多分たまったもんじゃない。

今までのその人の感性が、

私の友達が奪われたように、奪われてしまうのではないか。

 

他人だけど、

なんとかして守りたい、という気持ちになりました。