ただ遅かった?

新年明けましたね。

 

私はインターンがあるため、

一人海外に残り、

父親は家族と一緒に日本で正月を祝いました...笑

 

とはいっても友人と遊びに行ったり、

充実はしていたのですが。

 

それでやっぱり年末は紅白を見たいな、と思い、

親に私の方の家で見れるかどうかを聞きました。

 

「ケーブルをつなげれば見れるよ」と。

だから教えて、と伝えたら

 

母親がとっさに

「ユキにできるわけがない」と言ったのです。

 

いや、できるわっていう気持ちと一緒に

その時は違和感を持ったんです。

 

うまく言えないのですが、

私は「ユキにできるわけがない」と言われて、

「あ、私できないんだ」って納得した部分があったんです。

 

本当にできるかできないかは置いといて、です。

母にユキはできない、と言われた瞬間、

できるとわかっていながらも、そういう気持ちになったのです。

 

たかがケーブルですが、

私の母は本当に過保護で、

大学生の時に一人暮らしを始めるまで、

何一つ一人でやらせてもらえませんでした。

 

だから、うーん...

色々と自分ではできないことがあって、

その度に母は「私がいないとこの子は何もできない」と助けてくれていました。

 

とりあえずすごいモヤモヤしたんです。

自分でもうまく言えないのですが、

怒りは込み上げて来ました。

 

後、全く問題なく自分でできました。

が、もしこれが社会人になりたての頃だったら、きっとできていない。

でも...うーん

 

うまく説明できないので、

まず話そうと思ったことを話していきます。

 

それで、新年が明けて、

SNSで自分の悩んでいることをおおっ広げに書きました。

 

それもあってか友人とご飯に行く時に仕事の話になり、

私にどういう風にすればミスを減らすことができるのかを教えてくれたのです。

 

すごく驚いたのは、

その方法は私が社会人になってから、

いろんな人づてに聞いた方法だったということです。

 

私はこんな風にミスばかりすることで悩んでいるのは、

私がそういう性格だからだと思っていたんです。

けど彼女は大学生の時に私と同じように色々悩み、

ミスを減らす、うまく働く方法を編み出していたり、

周りから聞いていたりしたんです。

 

そして今は普通に働いているのです。

 

一番衝撃だったのは、

私が直らない、と思っていたことに対して

いとも簡単に解決策を見出したこと。

 

以前ブログで、どうしても玄米と白米を間違えて渡すことや、

あんことカスタードの饅頭を全部逆に入れて、

お客さんを怒らせたとか、

なかなか意識しても変えられないっていうことを伝えたかと思います。

 

あ、これは私病気だ、治らないんだって自分の中で思っていたのですが、

 

どういうミスがあるの?って聞かれて、

この例を出した時に

彼女はとっさに「それは一旦紙に書くといいかもね」と言ったのです。

 

「例えば、あ(あんこ)とカ(カスタード)って上の方に書いて、その時に受けた注文数をそこに書いてから、饅頭を入れていく。そこに書いておけば、何度でも見直せるし、お客さんが間違えて伝えていたとしても、その紙を見せて誤解を解くことができる」と言ったのです。

 

私は「それ重症だね。難しいね....」で終わるのだと思っていたんです。

けど彼女はすぐに解決策を見つけようとしたのです。

 

それで私はもしかして、

自分は「ユキにはできない」という風に育てられてきたから、

自分にはできない、と思い込んでいたんじゃないか、と初めてちゃんと気づいたのです。

 

それが紅白を見る、見ない、のときのモヤモヤの正体だったのだと思います。

 

ケーブルをただとって、

もう一つのテレビに刺すだけ。

 

それだけの行動なのですが、

「あなたにはできない」と言われると、

できないから、全て相手に委ねてしまうのです。

ケーブルをここをこうする、と説明されても、

 

ふーんって感じで聞いて、

なんかよくわからないやーって思ったらすぐ質問をしていたと思うし、

きっとビデオ通話なんかにして、

どこに刺すの?なんてやっていたと思います。

 

でも私はケーブルに刺すことができなかったのではなく、

刺せないから、と思い込んで、やってもらっていたのかな、と感じます。

 

恐ろしい。

 

映画の広告で見たことあるんですよ。

親に病気だと言われ、ずっと車椅子生活を強いられていた普通の娘の話。

ノンフィクションを再現したらしいです。

だから、私もそれに近い形で、

「私にはできない」と洗脳され、

母親に頼らなければ何もできない状態に置かれたのだと思います。

 

恐ろしい、と共にホッともしました。

 

今まで散々発達障害のせいできっと仕事ができないんだ、と思っていたのに、

発達障害ではない、と診断され、

一人で悩んでいたのです。

 

でも今ならわかります。

私はできない、と親に思い込まされていただけで、

私はできるのだと。

発達障害というよりは、私の育った環境に問題があったのだと。

 

そしてずっとできないから、と育ってきたから、

ミスするたびに「私ずっとできなかったしな」とどこかで諦めていたというか、

いっぱいいっぱいになっていたんだと思います。

 

諦めることが癖になっていたというか。

 

でも友人が大学生の時に似た経験をしていて、

今は普通に働いているのを聞くと、

 

なんだ、私他の人よりも気づくスピードが遅かっただけなんだ、とホッとしたんです。

私の話を聞いて「それはやばいね」と彼女は一言も口に出しませんでした。

気を遣っていたのかもしれないけど、

叫んでしまうこと酷いことは私していないんだな、と知りました。

 

なんていうんだろう。

もちろん原価を送るなんて絶対にしてはいけないことだけど、

 

きっと今の私ではやってしまっても仕方がなかったのかもしれない。

 

そして「私はこういう人だから」という気持ちがなくなって、

今までのミスに対して、なぜか向き合えるようになった。

 

これはこうしよう、ああしよう、

まだ治せる見込みがある、と

ポジティブな気持ちになりました。