まとめましょうか

このブログも開始して1年以上経ちました。

 

まさか大学卒業間近に作ったこのブログがこんなに長引くとは思っていなかったです。

そもそも題名の通り「就職日記」で、

就活終えて、落ち着いたらやめようと思っていたもので。笑

 

夢を追いかける、という選択肢をまさか取ると思っていなかった。

ましてや調理学校へ行く気もさらさらなかった。

 

当時は、事細かに自分のやっていることを書いていたのですが、

最近は内面に溜まっているものを吐き出すことが多くなっていますね。

 

この記事では、久しぶりに現実味のあるお話がしたいです。

 

1、調理学校へ通い始めて約半年

会社を辞めたのが去年の12月で、学校へ通い始めたのが今年の3月。

もう半年経ちました。

会社を辞めてからは9ヶ月です。

こんなロングランになるとは思っていなかった。

 

学校ではアジア料理を学んでいて、最初の頃は包丁の持ち方や野菜の切り方などを勉強していたのですが、

最近は本格的なマレー料理や日本料理を作るコースなどがメインになっています。

全く料理ができなかったのに、

今では人に出せる、たまにはお店でも出せるぐらいに作れるようになりました。

 

シンガポールだから、と調理学校を甘く見ていたのですが、

やはり作れば作るほど上手くなるし、

基礎をしっかりと守れば守るほど、後々楽になるというのは

身にしみて感じています。

 

これはいい、となったし、

キッチンで働くのは苦手だけど、キッチン経験はあった方がいいということで、

来年の3月まで通うことにしました。

インターンシップをやっているので、そこでの経験が糧になればな、と思ってのことです。

後なんでも中途半端にやる癖があるので、

せめて自分の好きなことぐらいは最後までやり遂げてみたい、と思って決めました。

 

もちろんお金は尽きそうだったので(笑)

学費の半分は親に支払ってもらいました。

 

この歳にもなって親に頼る自分が情けない、と感じていますが、

これには理由があって、

政府の方針で、この調理学校でのコースを終える頃には、

支払った学費とほぼ同等もしくはそれ以上の金額を返却してもらえるのです。

 

親にすぐ返せるお金があるのであれば、

アルバイトで働いてちまちまお金を貯めるよりは、

先に親に貸してもらってから正社員として働いた方が、

金銭的に効率がいいと思いました。

 

だから甘えといえばそうですが、

しっかり考えた上での決断です。

 

2、アルバイトを辞めた

調理学校へ通う際にトンカツ屋さんでアルバイトも始めました。

キッチン経験はあればプラスになるし、

お金が欲しいと言うのも正直なところでした。

 

最初は正社員で他のレストランで働こうとしていたのに、

条件が受け入れられなくて辞めたのが懐かしいw

 

そうですね、このアルバイトでは本当に本っっ当にお世話になりました。

皆暖かくて、どれだけミスをしても大丈夫って心から励ましてもらって、

頑張ろう、このレストランにふさわしいキッチンアシスタントになろう、と

常に真剣に向き合えました。

 

私が基本的なことができないということを知って、

本当に基礎の基礎から教えてくれました。

「頭の中で何が必要なのかを考えてから、必要なものは一度で取る」

「わからないことは聞く」

「少しでもおかしいと思ったら聞く」

「時間配分を考える」

などなど。

 

後、私が遅くても急かさないんです。

むしろ合わせてくれる。

少しでも成長したらすぐ褒めてくれる。

こんな企業、レストランなかなかないです。

 

惜しいことをしたなって思いつつも辞めたわけです。

一つは、自分のことを好きになれなかったからです。

父や母とのこともあって、

精神的に不安定だったもので、イライラを全面的にレストランで出してしまう時があります。

皆いい人だということはわかっていても、

そんな私を見て、周りがよく思うわけがない。

私に対する皆の当たりも強くなっていきました。

結局場所は変われど、起こることは一緒なんだな、と。

こうなってしまったのは、親といる時の自分をコントロールができないからだってわかっていますが、

だからといって今どうにかできる問題でもない。

 

もうこれ以上このレストランの雰囲気を壊したくないって思って辞めた部分はあります。

後自分が雑に扱われ始めたのも嫌でしたね。

今までの優しさはやめて欲しくないから、優しかっただけなのかなって。

 

二つ目は、インターンが始まるから。

インターンが始まると土曜日も出勤です。

アルバイトは平日の夜に2回と週末に1回働いていました。

自分の体力を考えると、インターンが始まってからは、

平日の夜に2回しか出勤できない。

物事を覚えるのが苦手なのに、

アルバイト、インターン、学校の3つのことを同時進行で学んでいく、というのは

実力的にきつい。

 

ということで断念しました。

 

私のアルバイト先では、私のやめた理由を皆の間でどう話されているかわかりません。

同時進行が苦手だからやめたい、と伝えたのですが、

本当かよって疑われていました笑

 

そのせいかずっと戻ってこいってしつこくて、

最後の方なんかは「来週働けるかわからない」といっているのに、

一日で4回ほど「来週どう?」と聞かれてぶちぎれていました。

 

ということもありました。

ただとてもいいアルバイト先ではあったし、

楽しい思い出もたくさんありました。

今までのアルバイト経験の中でも、

一番楽しかったと思います。

 

親以外の人に向かって怒りをストレートにぶつけたのも初めてだったし、

自分がメキメキ上達している!と感じたのも初めて。

素でいれる場所があることが嬉しかったです。

 

本当にいい人に出会えた。

そして、そのレストランでの経験が今の私の調理の仕方や、

仕事の仕方にとても影響していると言えます。

 

仕事はできないから、結構辛かったのですが、

それでも今インターンシップをやりながら、

「きっと今の私の切り方を見たら、あのシェフはこういうんだろうな」とか

「あ、今の見たら絶対皆で下ネタを想像するな」とか

一人クスッとなりながら作業しています。

 

ここでの経験は本当に大きかったです。

感謝。

 

3、好きな人からの影響

この調理学校へ通ってすぐの頃に好きな人ができました。

シェフ経験が長い35歳のミャンマー人。

明るくて温かくて、目が優しい人です。

 

その人に会ったばかりの頃の私は、

結構自暴自棄で、

友達作ろう、なんて全く思わなかったし、

調理やテストでミスするたんびに、

会社でのことをフラッシュバックしながら

自分のできなさに鬱を患っているかのように落ち込んでいました。

精神も今以上に不安定で、人なんで信じられないって感じです。

 

そんな私に対して優しかったんですね。

私が出会ってまだ間もないのに、

いきなり暗い話をした時も、

二人っきりになって、大丈夫、と話してくれました。

 

私がこういうお仕事したい!って言ったら、

本当にそれは自分にいいの?って厳しかったし、

 

学校の調理実務で、私が次に何するかわからず、

頭が真っ白になれば、シェフが見ていない隙に助けてくれました。

 

普段はふざけまくって子供みたいなのに、

調理のことになると顔つきが変わるのです。

 

全く私のことなんて眼中になくて、

調理しか目に見えていない状態。

 

そんな彼を見て、

私も仕事にしたいと思っている調理中に

彼のことばかり見ていたら、

後に真剣じゃない、と彼に幻滅されるだろうし、

私も自分のことに集中するべきだ、と戒めることができていました。

 

後彼自身複雑な背景や経験をしていて、

私の鬱のような状態に対して理解を示してくれましたし、

だから私が多少自分勝手になっても受け止めてくれました。

誰にもわかってもらえないから、と隠していた、辛かった気持ちを受け止めてくれました。

 

こんなにも自分が自分でいてよかった、と思えたのは人生で初めてです。

彼も私のことが好きだと言いましたが、既婚者とのことで

現在は距離をとっています。

(既婚者で、離婚する気はないのに好きになった、というのは体目的以外でも起こるんだな、ということも初めて知りました。笑)

 

付き合うことは100%ありえませんが、

それでも彼といたことで精神的に安定して、

いろんなことに精が出たり、

明るくなり始めたことは間違いないです。

 

後は彼といることで、

初めて温かさに触れて、初めて人と話すのが怖くない、と感じられるようになりました。(今まで怖い、と感じていたことにも初めて気づきました)

その感覚に気づけたおかげで前向きになれたのも事実です。

 

結局内面的な話に走ってしまいましたね。笑

 

4、インターンシップ

ということでアルバイトを辞めて、先月からインターンシップが始まりました。

 

機内食を製造している会社で、

私はその中華キッチンで食材を切ったり、測ったり、などなどの単純作業をしています。

 

後はCAさんが機内食の簡単な作り方を学びに来たり、

子供のイベントでお弁当を作ったりなどのイベントにも呼ばれて、

シェフのアシスタントとして動き回ることもありました。

 

機内食だと普段食べるものと若干違いますので、

すごく貴重な経験だな、と思いながらも、

私の今後やりたいことと沿っていない気がして、

何を学べばいいのか考えているところです。

 

後こんなこと言ったら失礼ですが、

おばちゃん、おじちゃんが多いです。

中には障害を持っている方や、あまり学歴の高くない方もいます。

話が合わないって感じることが多いし、

「私学歴高いの」って感じをにおわせたく無いし、

できるだけ同じ目線で楽しみたくて、

悩んでいるところです。

 

後、すごく思っていることをダイレクトに傷つく言い方をするシェフがいるので、

その人ともどう接しようかと悩んでいます。

 

今まで接して来たことのない人たちへの接し方と、

後人が多いので、レストランと違って働き方がゆったりしている。

ここでどうすれば焦らずに自分のベストパフォーマンスを出せるのか、

試しながら働くのも悪くない、と思っています。

 

企業に気に入ってもらっていれば7ヶ月間働くのですが、

そうでない場合は3ヶ月で他の場所で働くとのこと。

変わってくれればいいなあ、と思いながら私は今働いています。笑

 

4、自分のお店を開きたいと思い始めた

まだ東京にいた頃にマレーシア料理をイベントで売ったことがあります。

一から全部自分で考案して、

お金になるものをしてみるのは初めてで、

不安よりもワクワクが勝ったのを覚えています。

 

調理学校へ通い始めてからも、

自分で考案したメニューを企業に出す、という案では、

考えるのが楽しくて、寝ている時以外は全て考えるのに時間を費やしたり、

 

時間があれば「もしレストランを開いたら」とメニューの内装をイラストで描いてみたり、

細かい設定まで考えてみたり、

気がついたら居酒屋メニューで出すメニューも作っていたり

 

自分でも知らない間に

レストランを開く気満々でした。

 

ただ踏み出すにはそれだけのスキルと知識、

そして経験が必要なので、

私では力不足だということを感じてためらっていました。

 

ただ自分の調理スキルが上がっていけばいくほど、

できるのではないかって思いが急に出て来ます。

 

多分自分のお店を開くんだろうなあ、と運命を感じつつ、

今もゆっくりとリサーチをしたり、

いろんな人から話を聞いたりしているところです。

 

5、シンガポールと日本を繋げたい

レストランを開きたい、ということとも繋がりますが、

文化的な部分でシンガポールと日本の壁がなくなればいいな、と思っています。

 

お互いのことがわからないから、仕方ないではなくて、

お互いを尊重し合える場所があったら私も心地がいいなと感じました。

 

社会人になって働いて、

周りの人の意見を聞いても、

私と似た考えを持つ人はそんなにいませんでした。

 

仕方がない、他の仕事を探そうか、でいいのに、

どうしてもそういう場所がないことに不安を抱きます。

自分の居場所がないように感じるのです。

 

だから自分が自分でいれる場所、

自分の考え方をわかってもらえる場があったら、

私もこれから生きやすいと思ったのです。

 

そんな理由で、この半年を経て、

そういうプラットフォームを作りたいと思えるようになりました。

 

ざっとはこんな感じです。

こうやって書くと、とても濃い半年だったな、と思います。