弱さ

今日は調理学校再開して

最初の1日目でした。

 

すごい緊張したし、

人に囲まれるとストレスでイライラするのは健在だった。

 

でも前のクラスの時より、

人が多いから無理して輪に入らなくてもいいのがよかった

 

というかなんでこんなストレスなんだろうってことだけがずっと気がかり。

 

そんな中私の近くに座っていた人と一緒に今日の講義は眠いという話をしました。

 

この人の話はわかりづらい、と。

 

そしたら一緒に話している方が

「ね、だから左から右へいつも流してるよ。それで家に帰ってから自分で勉強してる」

「家に帰ったら毎日教科書を2、3回読み返しているよ。2、3時間かかるかな」

「それで2、3個間違える」

 

ってケロッと言ったんです。

 

普通の方だったら、多分授業中に話を聞いて、一回だけ読み返して試験に挑んでい他と思う。

 

だから私も本当は毎日2、3回読みたいけど、

ガリ勉のわりに勉強できないって思われるのも嫌だったし、

これだけ時間をかけることで他の作業に時間を当てられないのが嫌だった。

 

「頭がいいならいいんだけどね。僕はそうじゃないから」って笑ってたのをみて、

なんか私どこかで普通でいなきゃって思っていたことに気づきました。

 

また香港での話ですが、

私は留学して、自分の飲み込みの悪さや読むスピードの遅さは、

尋常じゃないってことに気づきました。

今までは人の2、3倍やって追いついていたのですが、

香港の人たちは日本の2倍ぐらい課題が出ているうえに真剣に取り組む人が多い。

 

人より遅いから、と2、3倍やっていた私はとうとう追いつかなくなり、

それを教授に説明することもできず、

よく授業を欠席して、

提出する課題の期限を遅らせたり、

出さないようにしていました。

そんな私を皆は「遊びにきているし、単位に響かないから欠席する留学生」に見えていたのだろうな、と思います。

 

どれだけ父にもう限界まで頑張っているのに、できなくて辛いと訴えても

 

「皆の2、3倍努力しなさい」

「辛いって...留学費払ってやってるのに、なんだそれ」

と言われました。

 

うまくそのときの気持ちを処理できなかったのですが、

漫画を読んでわかりました。

 

父は自分の子供が欠陥品だと思いたくなかったんだと思います。

だから私が人と違うことで悩んでも

ぢう違うのかを話し合うのではなく

決まって「お前は普通だ」といいます。

 

そして欠陥品ではないのだから、

障害もないと思いたかったのかもしれません。

 

だから私がどれだけ頑張ってもできない、という言葉は

障害があるからこうなんだっていう考えはなくて

甘えに聞こえていたんだろうなあ、と。

もしくは認めたくなくて否定していたのかもしれない。

 

そして私自身もそう言われ続けて、

普通でなければいけないっていう思いが強くなったのかもしれない。

 

人並みにできないのに、求められるのは辛かった。

 

頑張っても皆に追いつかないのに

なんのために辛い思いをして頑張っているのだろう、と初めて挫折した

 

全然立ち直れなかったです。

 

香港にいたとき、私は

自分が思っていた以上に人並みにできないこと、努力ではどうにもならないことに対して大きなショックを受けたのだと

気づきました。

 

2、3倍努力しろ。

努力すればなんとかなる。

努力すれば見てくれる人がいる。

 

でも実際は、なんとかならないし、

皆が普通にできることに対して必死になっていた私は滑稽に見えていたと思う。

 

そんな自分が恥ずかしくて、

人として胸を張ってはいけない気持ちになった。

 

そんな私と同じ状態にいるキャラクターが漫画の中に出てくるんですね。

 

「努力したって治らない。努力するだけ無駄だ」

 

それに対して障害もちの主人公は、

「無駄にはならないよ。」

「短所は工夫すればいい」と。

 

首の長すぎるきりんには、通りやすいように屋上を壊してあげて、

環境を合わせる。

 

鼻の短いゾウにはフォークを持たせる工夫をして、りんごを食べやすくする。

 

心にぽっかり穴が空いた人には、皆でその穴をうめていく。

 

短所は短所のままでいいんだ。

 

そして、今日2、3時間かけて教科書を読んでいると聞いたときに、

私も普通でいるためにどうすれば勉強しなくても覚えられるか、

ということを肩こわばらせてまで考えなくていいんだ。

私も今まで通り2、3時間かけて読めばいいし、

仮に人並みにできなかったとしても、

それはそれでいいんだ、とやっと思えました。

 

そして自分が人並みにできないのは甘えや努力の仕方を間違えているとかではなくて、

もう元々その分野が弱かったことを知れてよかった。

 

ここ数年間、こういう風に思えるまでよく頑張った、耐えたな、

と自分に言ってあげたいです。