「皆ができることをなぜあなたはできないの?」

ずっと無意識に気になっていた言葉だと思います。

 

仕事をしていた時も、

私は自分の出切り限りの努力をし、

 

何を伝えたいのかわかりづらい、と言われたなら

まずは頭の中でどう説明しようか考えるようにしたり、

 

それで話が長い、簡潔に結論から言えって言われて、

私なりに何を伝えたいのかまとまるように伝え、

 

それで言っている意味がわからないって言われては、

耐えて、相手が落ち着いているときに、穏やかにいう癖をつけた。

 

もう最後はいちゃもんつけられてるとしか思えないぐらい言われた。

私も頑張ったけどできなかった。

 

ミスも減らないから、なぜなのかって。

メモ帳に書いてみたけど、

メモしたことを忘れるときだってある。

だったらもう習慣にしようって思って、

紙にやること書き出して、

それぞれの作業に取り掛かる前に

何がこの作業で大事なのか頭の中で復唱するよう頑張っていた。

それでも作業前に忘れて、ミスしてしまうことは多かった。

 

 

上司が私に自分に与えられた仕事をしろっていうから、

自分の仕事かなって思ったメールは返信した。

すると、それは私の宛名じゃないから返事しなくていいという。

じゃあ私の宛名のものだけやっていたら、

次は他のも返事必要なのあるよ、という。

私の宛名のものでも、私が気づく前に上司が「これ僕がやる」って言って、

やらなかったときだってあった。

 

私にはどれが私ので、どれが私のではないのかわからなかった。

わからないって思ったら上司に聞く癖はつけていたけど、

それでも私がこれは私の仕事だ!って思ってやったら違ったってことがある。

やる前に聞いてよって言われるとすごい困った。

 

もうわからなくて、言われたこととか、

どこで区別をつけてるのかわかろうと思って必死だった。

そしたら次は言われたことだけやらないでって言われた。

 

てな感じで、本当に自分には何ができるかな、

どうすれば克服できるかなってすごい考えてるのにすごい空回りするし、

そもそも大抵の人なら難しいと思わずにできることができていなくて、

自分に苛立ったし、悲しかった。

もうこれ以上どうすればいいのかわからないってなったときに

 

「皆ができることをなぜあなたはできないの?」って言われて辛かったです。

 

自分でもやるせないし、

誰かを責めたいのに、

責めることもできなかった。

なぜ私はこんな私なんだろうって自分を責め始めた。

し、上司とか上の人もそんな私をみて、

私のいうことを信頼しなくなって余計に辛かった。

 

また香港留学の時と同じで、

どれだけ頑張っても追いつかないって、

もう方法も思いつかなくて辛かった。

 

だから今もそういうことがあったから、

自分は〜だからっていうループから抜け出せない。

 

ずっと

私は人よりできないから、

人と違うから、

人のことを理解できないから、

人が嫌いだから、

 

もうそんなんばっかずっとぐるぐるしている。

やめたいのに、

目を背けると辛い。

 

大学生の時だったら、

人よりできなくても頑張ればできるようになろうって思えたけど、

 

今は人よりできなかった時、どんなに頑張っても超えられないこともあるって認めるのが怖い。

 

人みたいに生きられない自分が嫌で、

努力さえすればなんとかなる。

努力している私偉いってしてきたぶん、

 

どうすれば努力にすがらず、

自分の足で立てるのだろう。

 

どうやって人は自分の嫌なところを受け入れているんだろう。

ちょっとでも自分のこと好きになれる部分があったらよかったのに。