働くための人生じゃなかった

母と喧嘩して気づきました。

 

最後死ぬときはシンガポールで死にたい。

もしくは帰りたいな、っていざ思った時に自分の生まれ育った国に帰れるようにしたい。

だとしたら一人で生きていけるだけの額を稼がなきゃいけない。

それはとても大きい額だろうから、

日系会社の正社員とかにならないとできないだろう

しかも新卒ではなかなか受け入れてもらえない。

するとインターンをするかスキル(今のとこプログラミング)を手に入れてから

就職するしかない。

って思った。

 

それがいつの間に、

私はインターンがしたいんだ。

プログラミングがしたいんだ。って自分に刷り込んでいって、

自分で苦しくなっているのに気がついていなかった。

 

それでこう言った話を喧嘩してるさいにお母さんに言い捨てたら、

「そんな死ぬ時までのことなんてわからないでしょ!今やりたいこともわかってないのに何言ってるの!」と返ってきまして。

また、「仕事をするために生きてるんじゃないよ!仕事して食べれてればいいじゃない!」

ときました。

ごもっとも。好きなことしていれば人生いいの。

 

私もそういうふうに考えてた時があったのに、

いつの間に働くために何をしようと思い始めたのか。

留学やインターンをしていた間にすり落としてしまったのか。

大人になるって怖いね。

どんどん現実的に考えなきゃってなってた。

 

現実的になることがいけないんじゃない。

現実的すぎて、この道を通るにはこの方法しかないって思い始め、

好きでもないことに人生を捧げることがいけない。

 

将来はシンガポールで亡くなりたいっていう夢(?)だって、

別に正社員になることだけが道じゃないし、

むしろ政策の変わりやすいシンガポールだから、

正社員になったとこで本当にシンガポールにいれるかもわからない。

それなら、

やりたいことだけやっていけばいいのかな、と。

 

どこかで見た名言なんだけど、

 

目標に向かうために辛くても頑張らなきゃいけないって人は言うけど、

それはこれだけ辛かったんだから目標を達成させてよっていう甘えだ

 

だって。

後は、

 

本当に好きなことをやっているのであれば何も苦にならない。

 

と。

(どこでの名言か忘れたからニュアンスだけでも伝われば...)

 

またハッとなった。

多分私が

インターンやらプログラミング勉強して、シンガポールに住めたとしても、

それまでの過程で自分の好きなこととかやりたいことを我慢するだろうから、

仕事が楽しくなかったら、「これだけ我慢して頑張ってきたのに、ひどい」ってずっとイライラするし後悔すると思う。

 

けどもし、

自分の好きなこと、例えば中国語勉強したり、ダンス勉強したり、心ゆくまでやりたいバイトをして、職業も本当に自由に選べたら、

シンガポールで住めなくなってとても悲しくなっても、

仕方ない、そういうもんだ。って心から納得できる気がする。

むしろそれまでに会った人たちにさえ感謝し、

心から楽しい人生だって思える気もする。

 

そう考えたら、

少し縛られてるものから解放された。