世間知らず

また香港留学での話です。

 

留学先で大きなショックを受けたわけですが、

3、4年経った今でも立ち直れていません。

 

なぜ立ち直れていないかというと、

それだけ自分の思っていた常識が現実と違ったからなんですよね。

 

世間知らずっていうのもそのうちの一つかなって思いました。

 

今まで私はお金に苦労することもなかったし、

勉強ができないことで落第したり、受験できる高校が変わったりするわけでもなかった。

 

今まで受験勉強をしたこともないし、

面接もアルバイトと会社のものだけ。

しかも会社の面接は1時間のスカイプで終わったしね。

 

すごいショックでした。

よく周りに恵まれた環境で生きているね、とか

羨ましいとか言われるけど、

よくわかっていなかった。

 

自分も「自分は上だ」って気取っているつもりはないけど、

いつの間にそういう態度をとっていたりしていたんだなって気付かされた。

 

誰かが自分のために動いて当たり前だと思っていたと思う。

 

陰口言う人なんて周りにいなかったし、

やる気がなくて、毎日ゲームして、ゲヘヘ、なんてやっている人たちも周りにいなかった。

と言うか私の周りの人は、

本当に何かに向かって日々頑張るような

士気の高い人ばかり。

 

だから目標もなく、ただいい仕事に就くために勉強をする、と言う感覚がわからなかった。

1位を取りたいから、他の生徒と争う気持ちもわからない。

皆で仲良く頑張るぞーでいいじゃないか、と思う。

 

でもそれは、

多分1位を取らなくても、欲しいものをもらえていたからかもしれないし、

裕福な育ち方をしたから、そもそもそう言う気持ちにならないのかもしれない。

 

わからない。

 

自慢話をしたいわけではないけど、

でもやっぱり不条理なことが起きたりすると

「誰に向かってやっているの?私はユキ様よ?」みたいな気持ちになるわけで、

それはやっぱり元社長令嬢特有の(とても小さな企業だけど)気持ちなんかなあ、とか。

 

考えなくたって、欲しいものは与えられるし、

普通に生きて入れば、頑張らなくたって生きていける。

 

それは皆が皆そうってわけでもないし、

恵まれているってそう言うことなんだって思った。

 

香港で暮らすまで、

そして母にお金を制限されるまで、

洋服が毎月買えないことで初めてイライラした。

 

お金がないなら、働かなくちゃいけないってわかっていたのに、

どっかから降ってくるとでも思っているのか、

働かなかった。

 

私本当にお嬢育ちなんだと思った。

座って入ればなんでもくるって親に言われて、

そんなことはないわ!自立してるわ!って思ったけど、

できてなかった。

それがすごい悔しかった。

 

勉強も勉強しているつもりなだけで、

英語は上智にいたおかげで全部聞き取れたけど、

課題を終わらせられなかった。

 

自分の意見を求められたこともなかったし、

なあなあで抜けるすべだけ覚えていたから、

どう答えればいいのかわからなくて、とてもストレスだった。

 

でも今思うと、

私は今まで自分で考えるのを放棄していたと言うか、

なんでもかんでも「どっちでもいいじゃん」で済ませていたんですよね。

 

それはお嬢育ちだからとかわからないけど、

違う意見の人と衝突するのが嫌だったし、

私の中で結局AでもBでも、

結果はわからないなら、

どっちでもいいやって委ねちゃうんですよね。

後は、その人を見て、私とその人で信頼できそうな方の意見を優先するとか。

 

でも実際にどちらが役に立つかなんて考えたことなかった。

結局同じグループの誰かさんがいつも正してくれるし、

そうでなくても近くにいる友人が教えてくれていた。

 

いや、本当に自分でも思うけど、

よく私の周りの友人は私を助けてくれていたな、と思った。

何にもできていない私をすごく面倒見てくれていた。

そして、私はそれを当たり前だと思っていたからね。

 

逆を言うと、何もしなくても面倒を見てもらえる体質って言えばいいのかしら。

これは本当に最近よく思うよ。

 

自分で気をつけて、周りに何でもかんでも聞かないようにしたり、

自分で考えるようにしたり、

助けようとしているんだけど、

いつも誰かがそばにいて、助けてくれている感じがする。

 

 

うん、そんな話でした。

 

イライラしやすい

友人がシンガポールに遊びに来ていました。

 

どうしても人間関係でうまくいかなくて、

 

途中相手に対する憎しみやら怒りでいっぱいになりました。

 

というか、

私父に対する怒りが溜まっている模様。

 

たまたま父に対してイライラしたときに、

友人がいたので、少し起きたことを話したのですが、

 

まあ、スッキリする。

すごく。

 

だから、少し愚痴ってもいいかしら。

ちょっと違うトピックを書こうと思っていたんだけど、

イントロ書いていたら、

愚痴りたくなりました。笑

 

 

<この先愚痴です>

1、母の悪口を言う

わからなくはない。

結構衝撃的な方ですからね。

 

それでも、やっぱり自分の親がもう一人の親の悪口を言っているのは、

なんか嫌だ。

 

それがただ単にこういうところが嫌だ、という感じならまだいいけど、

本当に憎しみがこもっているように言われると、

私の親って実は愛し合っていないんだな、とかって思ってしまいます。

 

しかも、それを友人の前で言ったり、

「離婚、という言葉を平気で言う」とか、

すごく反応しづらい、と言うか、

聞きたくないワードをさらっと言われると、

しかもちょっと嬉しそうに言うのを聞くと、

 

悲しくなる。

 

すごく母へのイライラやストレスが溜まっていたんだな、

大変だったんだなって思う気持ちもあるけど、

 

一方で、もう母のことを愛していないのかなって

そろそろ本当に離婚するのかなって、

不安に感じる。

 

それを感じさせる発言をしている、と気づいていない父にすごいイラつく

 

2、甘やかそうとしてくる

何がなんでもお金を払う

何がなんでも俺がやるって感じが

気持ち悪い。

 

小さい頃というか、

今まではむしろ助けてもらうことが当たり前だと思っていたし、

それに甘えているのも気分が良かった。

 

でも皆が皆父のように助けてくれるわけではないし、

私も父がいたことによって、自分で行動したり、

自分で判断するっていうことが少なくなって、

結果的に誰かに頼らないと生きていけなくなっているんだと思う。

 

例えば、昨日は家から遠いところに日本から来ている友人と出かけていたのですが、

その後父も含めて3人でご飯を食べることになっていました。

 

私としては、友人は大学時代の友人だし、

父は一度も会ったことないのに、

ご飯に連れて言っておごることに違和感を持ったし、

なにより「お金がないから連れて行ってやる」という父親が、

まるで「どうせ俺がいないとお前はこのレストランに行けないんだろう」って言われているみたいでムカついた。

 

からしたら純粋に私の友人に喜んでもらいたいっていう気持ちから言っているのかもしれない。

でも色んな場面で、お金を軽々しく出されると、気持ち悪い。

 

まるで「これが欲しかったんだろ?ほら。これで満足だろ?」ってされているみたいでげんなりする。

 

そしてそれを受け取ることで、

なんか父に対して優しくしなくては行けないというか、

お金をあげた代償に優しくしなくてはいけない、

感謝しなくてはいけないっていう気持ちが重い。

 

もうこれ以上私から父に渡せるものはないし、

だからこれ以上お金やらを渡そうとしてほしくない。

 

全然面白くない。

 

とりあえずはこの2点が昨日はイラッとしました。

自分にプレッシャーをかけていた

調理学校へ通いながらキッチンで仕事をするうちに

どこかで私は調理関連の道へ進まなくてはいけないと言う気持ちになっていたのだと思う。

 

実際に学費を親から貸してもらうときに、

母から「学校に行って、今後役に立つの?」って聞かれた。

 

自分でもわからないから、ちょっと怒り気味に、

役に立つとかどうではなくて、自分が行ってみたいからいくの!って伝えました。

 

実際に調理への興味は湧いていたし、

そのためにすごい頑張っていたのですが、

フュージョンができないかもって思ったときに

一気に気持ちが冷めたんですよね。

 

でも冷めてはいけなかったような気がして、

頑張っていたから、

調理学校へ通っていて、どんどん辛くなっていたのかもしれない。

 

「本気で興味あるなら、こんな態度ではないけない!」と言う具合に。

 

まあ、調理への興味はそこまでだったんだな、と今気づきました。

結局、調理関連のお仕事がやりたいとは思っていたのですが、

それももしかして調理でなくてもいいのかなあ、とか。

 

父に「無理やり自分から調理の道へ寄せているように見える」と言われたけど、

こう言うことかあって思いました。

 

なんかね、

やっぱり仕事を辞めたなら、それなりの理由を求められるし、

そんなに私はこれがやりたいんだ!!って主張して、

うおおおおってやろうって感じでもなかったんだけど、

周りが「自分の夢に向かって頑張っているのがすごい!」とか勇気もらえた、

みたいなことを言われると

なんか皆の思う通りに私も頑張らなきゃいけないのかな、とか思えた。

 

実際は、何が向いているのかわからないから、

とりあえず調理学校へ行ってみようー、

それで合わなかったら他の仕事見つけようーぐらいなんですよね。

 

でもそんなこと言ったら、頑張っている同期や

大学の友人にお叱りを受けそうで言えない。

 

それでついつい頑張っていたのかもしれない。

 

ちょっと気を抜こう。

 

そして自分に調理関連でなくても、

自分にやれそうだと思った仕事はチャレンジしてもいいってことを覚えさせとこう。

 

実際に適職診断みたいなのをネットでしたときに、

企画系が向いているっていうのをみて、

確かにって思ったし、

 

食関連のお仕事がしたい、というのはぶれていないけど、

調理教師とかフードコーディネーターとか、ライターといった

専門的な部分から少し外れて、

もう少し法人寄りになってもいいのかなあ、と感じ始めました。

 

それもこれも人間関係が問題だったってわかったからかな。

人間関係が問題なのでは

ふと思ったのですが、

前職には結構間違えているというか、

自分の仕事をしっかり理解していないようなおじさん社員がいました。

 

ほんわかしていて、面白くて、

何考えているかわからないけど、優しい人です。

 

ただあまりにも間違えているといらいらし始める人もいるけど、

心の底ではその方を思いやっているんですよね。

 

周りの年下の子達も、

「〇〇さん間違っている」と

その方に伝えようかな、どうしようかな、とクスッとやり取りをしているのも見ます。

 

なんだかんだ愛されているのです。

 

私もそんな彼を見て、癒されていました。

 

そして自分のアルバイト先での行動を見返したんですね。

これは絶対にやってはいけないっていうミスはしたかもしれません。

仕事のスピードも人より遅いです。

 

でも皆が私にイライラするのはそれだけではないのだと思います。

このアルバイト先の店長も、仕事のできない方なんですよね。

 

でも私の時みたいにすっごいイライラされるわけではなくて、

こう言う人なんだって周りが受け入れてあげている。

 

私が受け入れてもらえなかったのは、

あまりに仕事ができないからだって思っていたけど、

やめて、少し客観的に状況を見れるようになって、

もしかしたら、私が人間関係をうまく築けないから、

イライラさせているのではないか、と感じ始めました。

 

と言うのも働いていて、最初の1時間は大丈夫なのです。

でもどんどん時間が経って疲れてくると、

私も相手との繋がりみたいなのを感じ辛くなって、

すると相手がイライラしているのを感じ始めるんです。

 

私の焦りが相手をそうさせているのかもしれないし、

私の態度が良くなかったのかもしれない。

もしかしたら、こんな風に何が悪かったんだろうって考えるから

余計にそれが伝わってイライラするのかもしれない。

 

でもとりあえず、仕事が下手なことで、自分に自信をなくして、

人間関係をこじらせちゃって、

うまく付き合えないからこんな風に辛くなるんじゃないかと思いました。

 

うん、だから結局は自分の得意とする場所で働くのが一番ね。

自己表現にこだわる理由

なぜこんなに自己表現したくなるのかって自分でも考えたことがあります。

 

今まであまり周りに認めてもらえなかったことが原因なのかな、と。

 

やっぱりありのままの自分を好いてもらえることが自信に繋がると思うんですけど、

何か特別うまくできることもなく、

人間関係でもあまり素を出すことができないまま育ちました。

 

多分小学生ぐらいの時から、

同じ時間に好きでもない人たちと決められたところで授業をするというスタイルが合わなかったんだと思います。

 

いつも客観的に冷めた目で周りのことを見ていたし、

それと同時にどうすればおかしく見られないかな、どうすれば周りと馴染めるのかなっていうことも常に考えていたと思う。

 

まあ、結局馴染めていないし、ツンケンしていたんですけど笑

 

私の母も私にいつも遠慮しろ、気を遣え!って感じで教育してきたので、

結果的にその場に合わせて自分を変えることが多くなったのだと思います。

 

今思うと大学生の時ぐらいから、

社会人になれば自分を解放できるから、今は知識をつける時だ!

って我慢していたような感じでした。

いつもニコニコして、うまく話せないから笑い声でカバーするみたいな。

 

だから社会人を経験して、

今になって、今まで我慢していた「自分」を解放したいんだと思います。

 

ただ私が自分らしくいることは社会的にはやめておいた方がいいと、

無意識に思っていたから、あまり自分を出さなかったんだと思うんですね。

今更「これが本当の私だ!!」って尖っていく気もない。

 

本当なら中学生ぐらいの時に、

素を人に出して、反抗期などを迎えて大人になると思うのですが、

 

私は素を出さないままそのプロセスを送ってしまったんだなって感じです。

「これが本当の私だ!」ってやったら、

また中学生ぐらいから通った痛い気持ちやら悲しい気持ちやらを

感じなくてはいけないんだなって思うと、

 

やめとこうって思うわけです。

 

でもやっぱり誰かに私が私であることを知ってほしい。

この25年間、人に比べて知識やスキルは劣るかもしれないけど、

人よりも色んな経験をして、

話したいことも話せることもたくさんある。

思うことだってたくさんあるし、哲学的な話だってできる。

 

中学生や高校生の時だったら、

「何こいつ、こんなこと考えているの?」って思われたことが、

今では大人になったことで受け入れられる。

 

だから伝えたいんです。

自分はこんな人間なんだって。

だてにニコニコして、適当に人生送ったわけではないんだって。

 

主張したいんだと思います。

あとは自己承認と言うのでしょうか、

そういうのが足りないのもあるかもしれませんね。笑

 

でもそれを主張すると独りよがりになってしまうし、

今の自分がまた過去の自分に戻ることが怖いので、

だからせめてお仕事を通じて、

表現したいんです。

 

たったそれだけなのに、

表現するお仕事って専門的なスキルが必要なものばかりで、

なかなか難しいです。

 

調理勉強したというのに、

結局それをどう活かせばいいのかアイディアが出てこない。

 

メニューなんてありふれたものばかり出すし、

もっと私が私だって主張するような場所が欲しい。

 

こんなこと言うと、

別にわざわざ表現する仕事につかなくても、

例えばファッションを自分好みにしたり、

自分の思う料理を友人に振舞ってみたり、

こういう風にブログに書くだけでもいいんじゃないかって

自分でも思い始めたりする。

 

それも正しいけど、

多分仕事でミスして認められないぶん、

自分の得意な表現力で認められたいのかもしれません。

 

まあ、表現したいっていうよりは、

表現することが仕事がうまくいく秘訣なのかなって感じている部分もあるのかも。

 

と言う感じです。

こんな風に話すのも割とストレス発散になると言うか

自己満になったりする。笑

和とシンガポールの調和

前にフュージョン料理がやりたいと話したかと思います。

 

日本料理とシンガポール、またはマレーシア料理をフュージョンしたいもの。

 

ただ日本から仕入れた食材をマレーシア料理風にするとか、

そういうのではなくて、

完全にどっちの料理なのか判断できないようなものを作って、

自分のアイデンティティを表現したいと思った。

 

今回の調理コースでは、実はマレーシア料理と日本料理を学んでいます。

味噌汁とか基本的なものが多かったのですが、

日本人でも知らないんじゃないかってぐらい基礎中の基礎を教えてもらいました。

日本人がシンガポール人シェフに教わるってすごい変な感じ。

 

そう、でも、教えてもらって、

 

マレーシア料理と日本料理を混ぜ合わせることはかなり難しいということがわかりました。

 

マレーシア料理はスロークックが基本なのです。

入れるもの、切るものを全て鍋に入れてグツグツ煮込んだり、

若干茹でた野菜などに、炒めたソースをかけたりなど、

入れるものは多いし、ステップも多いので大変だけど、

理解すれば初心者でも作れるものが多かった。

 

それに比べて日本料理はシンプル。

みりんや醤油を茹でて、揚げ物にかけるだけ、とか

蕎麦を茹でるだけ、とか。

でもその代わり火加減とタイミングが大事なんです。

いつ火を止めるか、どれぐらいの温度で揚げるのか、など。

 

マレーシア料理と比べて、繊細で、

0か100みたいなところがある、と感じました。

 

当たり前だけど、マレーシア料理が辛くて脂っこいのに対して、

日本料理は穏やかであっさりしている。

 

つまりはマレーシア料理と日本料理は対にある料理だと思うんです。

それを混ぜるということが想像できない。

仮にできたとしても、食文化が全然違うので、

現地の人たちに好かれる料理が作れるのか、

不安になりました。

 

後、二つの料理が混ざっていたらどう?と周りに聞くと

「進んで食べたいと思わない」という答えが多いです。

 

だから あ、やめよって思ったのと同時に、

どうすれば自己表現ができる場を作っていけるのか悩みました。

 

 

私のアルバイト先

嫌いではないんですよ。

 

人もいいし、

ミスしても怒鳴られることも少ないし。

 

ただ、やっぱり向き不向きの部分なのかなって思う部分がある。

 

なんかマイペースなんだなって思ったわけです。

最初は私がすごいミスするから、

ダメなんだって思っていたんですけど、

昨日は最終日で、ミスもなかったのにもかかわらず、

なんか「こいつはダメだ」って感じで見られました。

 

抜けている部分はあるんですよ。

コンセント渡して欲しいって言われて、

渡したのに電源入れていなかったとか。

 

お米を何度炊いても、

ちょうどいい量がわからないとか。

 

ぱっと言われて、なに言っていたかわからなかったから、

聞きたかったけど、

声が届いてないから、

とりあえずこれかなって思うご飯を出して、違ったら戻そうと思っていたんですけど、

「これ間違えてる」ってイラっとした感じで言われたり、

 

一回も小中大、ご飯の量と玄米、白米を渡すのも間違えていないのに

「これって中?」と疑われたり。

 

うまく言えないけど、すれ違いから、

色々と疑われて、真相を知らないのに、

きっとこうなんだろう、うわーって言われている、思われている感じが

すごい伝わって、働きづらかったし辛かった。

 

私も色々考えて、そういう風に動いてるんだけどなって思ってしまう。

当たりたくなるけど、当たったところでわかってもらえないので、

黙る。

 

後はスピードが遅いって言われる。

昨日もホールの子に話しかけられて、

少し席を外したら、

キッチンの人に「彼女まだやってないことたくさんあるから、話しかけないであげて!」と言われた。

 

え。

全部終わってない?まだなの?って感じで見渡すけど、

わからない。

 

それで、一緒に働いているスタッフが、

「これ足りなさそうだよ」ってアシストしてくれた。

 

あ、そうなんだ。

というか1週間ぶりぐらいだし、

珍しく混んでいたこともあって、

感覚がいまいちわかっていなかった。

 

でもとりあえず教えてもらって、

あれとーこれとー、これもだーって頭の中でやることは整理していたし、

実際常に手と足はずっと動いていた。

 

「ユキは作業するスピードは早いけど、考えている時間が長い。」

と言われていたことを思い出しました。

 

でもその時は、考えていなかったし、

目の前のことをしっかりこなしていた。

でも、周りのキッチンスタッフが、

私のできていないことをカバーしているのを見て、

あ、全然速さが足りないんだってことに気づいた。

 

速さが足りないのかな。

でも何かが足りないんだと思う。

 

それはただ単にスピードアップすればいいとか、

もっと考えるようになればいいとか、

そういうのではなくて、

根本的に私に足りないものがあるんだと思いました。

 

それがもしかしたら、マイペースであることなのかなって。

 

多分みんなは、料理が出来上がるまでにこれとこれとこれをするって決めて、

そんなかでやってやる!ってなるんです。

 

でも私は、料理が出来上がるまでにこれとこれとこれが必要だけど、

私のスピードで終われるかな....

って感じで、なかなか自分にエンジンをつけることができない。

 

与えられた課題が110%ならやり切るしかないって考えるのに対して、

私は後の10%~20%はできないかもしれないけど、そうなっても仕方ないからとりあえず自己ベスト目指してみる。

 

って感じなんだと思うんです。

だから110%求められたときに、困るというか。

 

わからない。

 

でも何よりも自分では頑張っているつもりで、

常に自分ができることをやろうとしているのに、

 

「あいつはダメだ」って線を貼られて、

バカにされたり、

子供のように扱われることがさみしくも辛かった。

 

お前は違うって言われているみたいで、

でも自分でもどうしようもなくて、

悔しかった。

 

そしてできないやつで、

どこに行っても嫌がられていたんだなって思われたことも恥ずかしかったし、

うまい関係を築けないんだなって思われたんだろうなって思うと、

なんか辛かった。

 

そうじゃない。

本当の私はそうじゃない。

違うんだって言いたいのに。

 

どこに行ってもできないのではなくて、

適性がないだけだって言いたいのに。

 

言えない自分が辛い。

 

どんどんそういうこともできない人なんだっていう

私の像が出来上がっていく。

 

そういうのがもうなんか疲れた