自分の感覚を信じてよかったんだ

最近インスタで漫画を読むのにはまっています。

特に「変な人に出くわした」といったタイプのお話が好きで、

読んでは、こういうことされたらおかしいって思っていいんだな、とか

こう思われるんだな、とか、

人間観察みたいなのをしていました。

後は単純に絵柄とエピソードがおもしろ怖い。

 

そんな中今日はyuppe2というアカウント名の方の漫画を読んでいました。

自分を鳥のキャラクターにし、

実体験を語っているものです。

 

その中でグッときたものがありました。

インスタアカウントのリンクに行くと、

さらにいろんな漫画があったので、一番長編である「仕事を辞めた話」を読み進めていました。

 

まとめると、「相手が自分好みであるかどうかで横柄な態度で差別をしてくるお店のオーナーに振り回される話」です。

 

お店は開いたばかりで、

ただのパートなのに、パソコンの使い方が分からない、というだけで、

ウェブサイトやチラシなどを

時間外労働で一人で作るはめになったり、

 

禁煙なのに、自分のキャバ嬢にはデレデレで喫煙させてあげたり、

自分が害虫だと思う人には

「(障害者の彼は)いつ叫ぶかわからないぞ!だからこの客を外に連れて行け!」

などと思ったことをそのままひどい伝え方をします。

 

嘘をついたりもするしね。

 

きっとこのオーナーに悪気はないし、

嘘をついてしまうのも自分で気づかないうちについてしまうのだと思う。

パソコン使えないのだから、まあ手伝ってほしいんだろう。

時間外労働だけど、

自分も作る機会を与えられたから、まあ仕方ない。

 

ときっと私ならそこで終わって耐えます。

でもこの筆者は違ったのです。

 

「このオーナーにきっと悪気はない...」

「うん、けどこんな人と働けない❤️」

といった感じでした。

 

後、筆者が、キャバ嬢を毎度連れてきて公私混同している、とオーナーを問い詰めたときに、

「僕がこうなのは君が構ってくれないからだよ....」と言いました。

私だったら、あ...そうなのかな....?

私が構っていないからなのか...?

寂しかったんだろうな。その気持ちを汲み取れなかった私にも問題があった、

と私はそこで考えてしまう。

 

でもそこからの筆者の巻き返しが違った。

「そうなんですね....」

「ってなると思いました?キャバはお金を払って行っているわけで、

お店でもキャバ嬢の子にお代をタダにするってサービスをしていますよね?」

 

つまりお店でやっていることはキャバ嬢の子に貢ぐ、というのと変わらない。

そして、寂しいからキャバ嬢へ貢ぐ、というのは

筆者が勧めたのではなくオーナー自ら選んでいったわけで、

その責任をなすりつけるな!と言ったのです。

 

それを読んで、

私は当たり前のことを

当たり前に主張できなくなっていたことに気づきました。

 

私が彼女の立場だったら、とても罪悪感を持っていたと思う。

でも彼女の言っていることは正しくて、

いかなる理由があっても、

理不尽なものは道徳的に間違っている。

 

彼女自身も「価値観の違い」だと言っていました。

そして、私は価値観の違いで起きていることに

私がとやかく言う権利がないと今まで思っていたのです。

 

なにより社会人1年目で入社した企業で、

私が見たものを見て、意見をする人が一人もいなかった。

私が感じている違和感は、

彼らに常識がないのではなく、私に常識がないからなのか?

 

そう思って自分の思っていたことに蓋をして誰にも言えずにいました。

言っても、いつも「でも悪気はないんだ」「私が仕事できないから」と

なにかとかばっている自分がいました。

 

また、彼女の感覚が私に近い感覚したのです。

お子さんがいるとのことなので30代ぐらいなのでしょうか。

今まで社会人として耐えなければいけないと思った数々のハラスメントは

「気のせい」「仕方ない」「私が悪かった」

と紛らわすのではなくて、堂々と思っていいんだなって思いました。

 

筆者は結構がっつり思っていることをオーナーに言っていて、

どんなに色々言われても言い負かしていました。

私も筆者と同感の気持ちを持っていました。

そして、直接言って喧嘩する労力が嫌なので、

彼女のようにはっきりとオーナーに言いませんが

きっと彼女と同じことを思う。

 

けど漫画を読んでいる時に

「そうなるよねえ」って思いながらもモヤモヤしていたというか。

「今のはオーナーが悪い!!」ってはっきりと思えなくなっていたんですよね。

 

この筆者は、しっかりと自分はこう思っている、というのを持った上で、

相手が悪気がなかろうと、しっかり線引きしていた。

 

私は、相手が悪気がないなら、価値観の違いであるなら、

「この野郎」「どう言い返してやろうか」といった気持ちを持つことと、

なんだかんだ優しくしてくれているから、そう思うことに罪悪感を持って、

ズルズルと線引きをせずにいただと思いました。

だから今までずっと疲れていたんだな、と。

 

線を引く=見下す、となるのが怖かったのもあります。

私の父が人を見下す人で、

私も気づいたら友人を見下して大事にできていなかったことを知りました。

だから、「この野郎」と思うのは確信犯だと分かったらにしよう、と

心に決めていたのです。

でもそれも少し違ったのかなあ、

もう少し価値観の違う人に対して思ってしまっても良かったのかなあ、なんて

読んでから思うようになりました。

 

後は漫画の最後の方で、

デートするたんびに喧嘩をして「別れる!」という友人の話を毎度聞いて、

イライラする、という筆者が出てきたんですね。

そして筆者はそれに対してなんでこんなイライラするんだろうって。

それは、これだけ愚痴を聞かされて、別れなよ、とアドバイスをしているのに

「前に進もうとしていなかったから」だと気づいたのです。

それは筆者も同じで、

仕事を辞められずにいたのと一緒だと感じみたいです。

 

そしてそれは私の気づきにもなりました。

確かに会社のことすごいぐちぐち言っていたけど、

愚痴っていたってことは辞めたいけど辞められないから愚痴ってたんだろうなあ、と。

次に動くのが怖くてできなかったんだろうな、と。

 

そしてそれは会社だけではなく、人に対しても一緒。

特定の先輩のことが嫌いで、

よく周りに愚痴っていたけど、

それも距離を取ったり、ひどいことを言ったら、

次どんなことが起きるのかわからなくて、

怖かったから動けなくて愚痴っていたんだなあ、と。

 

愚痴る、という行為は

心がチキンになっているからやってしまう行為。

 

と昔の私だったらすぐ思ってすぐ行動に移していただろうな。

 

もちろん行動に移せなかったのは、大人になったからでもあると思います。

今までは周りがどう思おうと、

友人がいてくれて、学校を卒業できていれば好き勝手生きてても大丈夫だった。

それが会社勤めになると、チームで働くという意識が出てくる。

もし私がなにか言って、チームの和を乱すことになったら、

と心配して言えずにいたのだと思います。

 

また、自分一人だけがそう思ってイライラしているのを見ると、

自分が老害というか、問題なのかな、と思ったりもしたのです。

ガミガミ言って、自分では正しいと思っているけど、

周りからは迷惑な人、気を遣えない人、嫌い、などという印象を持たれたくなかった。

いじめられていたことが関係するのかな。

 

後、仕事できないのは本当だったし、

文句言う前に自分がしっかりできていなければ説得力ない!と思っていたのもあります。

 

長々とダラダラ書いてしまっていますが、

相手に悪意がなくても、マジありえない、意味わからないって思ったら、

その感覚を信じていいんだな、ということをこの漫画を思い出しました。

 

父への気持ちが180度変わった瞬間

さて、前回の記事で、

父はいい人だと思っていたのに、実はサイコパス気味だったと話しましたが、

ターニングポイントがあります。

 

過去の記事でも書いたことあると思います。

母に包丁で脅された日です。

 

父に理不尽なキレ方をされても、

今まではストレス溜まっているんだなあ、とか

私と感覚が本当に違うんだなあ、と

父は私と違うだけ、と割り切れたのが、

この日を境に安心感もなくし、

父が父に見えなくなりました。

 

父のことは今でも好きです。

私のこと心底大事にしてくれていると思っています。

でも、私がそれを感じることができなければ、

むしろ傷つけられた、と感じるのであれば

思うだけでは足りないと感じています。

 

口に出すことは簡単です。

好きでなくても好きと言えるし、

気にしていなくても気にしている、と言える。

一番簡単に思っていることを伝える方法です。

 

だから口だけの父を信用できずにいます。

 

包丁を出された日、

大学生のときで、

私は友人とお泊まりをする前でした。

荷物を詰めていて、機嫌が良かったです。

 

あることで私は母に

「私、これは〇〇することにしている」と伝えました。

 

それがなんだったのか、今は覚えていませんが、

私の裁量で決めてもおかしくないものでした。

そもそももう大学生なので、

自分のことは自分で決めて当たり前ではないでしょうか。

 

母はそれに対して、

「いや、ダメ。これにするんだ。」

と私に拒否権がない言い方をしてきました。

 

私の言ったことは絶対、という母の態度を見て、

私は「いや...もう大学生だし、これは私が決めていいものだし、私のしたいようにするよ」と言いました。

 

今まで散々コントロールされてきて、

大人になるまで、大学生になるまで、と我慢してきた。

大学生になってから、並に人生を楽しみたくて、

カウンセリングに定期的に通って、

人との関わりをたくさん持つようにして、

克服した。

自分の意見を言えるようにした。

 

私には自分の意見を押し通す権利があることを知りました。

暴力暴言?どんとこい!と感じでしたね。

 

だから余計に腹が立ったのだと思います。

自分の思い通りになっていた娘が、

言うことを聞かなくなった。

自分に反発している、ということにプライドが傷ついたのでしょうか。

 

頑なに言うことを聞け、と言い、

私がそれに対して、なぜ母に決められなければいけないの?って反発し、

私へ暴言を吐き始める。

私も暴言を吐いた。

初めて大きな声で母を罵ったと思う。

もうあなたに支配されない、と強く思いながら罵った。

 

母も父も両親は絶対的なもので、

子供はそれに反発をしないべきだ、という考えを持っている。

 

だから私の罵りに母はブチ切れた。

高校生ぶりにたくさん叩いてきた。

腕が赤くなるぐらい。

 

私は体育すわりの体制になっていたが、

腕をクロスして、必死に自分の身体を守った。

話す余裕もないぐらい、

力いっぱいに叩かれて、

私も限界がきて、

母を叩いた。

 

正当防衛だった。

あのまま、母の好きなようにさせていたら、

私はずっと叩かれてあざだらけになる。

そろそろ母に、暴言暴力で私はコントロールできない、

ということを示したかった。

 

母を叩いたのはこれが2回目。

1回目は私が小学生のときに、

できが悪いから、と私の200冊近い漫画を捨てる、と言ったとき。

私にとって漫画は、

心を安らげてくれる、とても大事なものでした。

それを知っていて、母は「こんなものがあるから勉強ができないんだ」と言ってきました。

大事なものを母の考え一つで勝手に失くすことが許せなかった。

憎かった。

 

「捨てないで!!」と父に引き止められながら、

母が私の漫画を持っていくときに、

思わず母を蹴りました。

 

足の指ぐらいしか触れていなかったので、

母は蹴った....?となりましたが、

父に蹴ってない、となだめられ、

私も怖くて「蹴っていない」と言いました。

 

でもこの2回目は紛れもなく、叩いた。

「いいかげんにしろ」と言って叩き返したと思う。

なんでも思う通りになるなよ、とも言ったかな。

 

そしたら母は顔から血の気が引いていた。

目を大きくして、信じられない、という様子だった。

 

娘に叩かれるなんて、

どこで教育を間違えたのかしら、とでも思ったのだと思います。

スッと部屋から消えて、どっか行ったので、

私は終わったのだと思ったのです。

 

安心しきってました。

 

けれど、リビングの方からガチャガチャ聞こえて、

父の「やめろ、おい、〇〇(母の名前)、やめろ」という声が聞こえた。

なにが起きているのだろうと見に行ったら、

母は包丁を持っていた。

 

私はその瞬間、辛くて悲しい気持ちになった。

あ、私に殺意を抱いている。

暴言暴力を働こうと、コントロールしようと、

母は私を愛しているのだと思っていた。

彼女なりに大事にしてくれているのだと思っていた。

でも包丁を見て、私は案外そうでもない、と感じた。

 

本当に大事な人に向かって、

どれだけカッとなっていても、

包丁を向けることありますか?

 

間違って落としたり、離したりすれば、

私に刺さる可能性だってある。

それでもいいから包丁を使って、

コントロール下に置こうとしている母が恐ろしかった。

私への愛情よりも支配しているという感覚の方が母にとって大事だったんだと思った。

 

私も母がそういう人だと思いたくない。

心底カッとなって気がついたら、

包丁をとっていたのだと思いたい。

 

でも私が「ごめんなさい。ごめんなさい。わかったからやめて、お願い。」と号泣して懇願しているのを見て、

母はやめて、リビングに行った。

 

私は今まで暴力をはたらかれると降参していた。

だから包丁を持ってくる必要が今までなかったけど、

暴力が効かないと知ったから、

今回は包丁を意図的に持ってきたという風に

私は思えた。

 

暴力、暴言もカッとなってするだけではなくて、

私に力関係をわからすためにやっていたことでもあったんだ。

 

私が好きだったのではない。

なんでもいうことを聞く娘が好きだったのだと思った。

 

話が母へとそれてしまいましたが、

父も父でひどかったです。

 

暴言を言われて、言い返すたびに

父はいつも「それ以上言うな」と言います。

暴走していて、後々喧嘩になる母よりも、我慢ができて喧嘩に発展しない娘の私に言うことを決めたのでしょう。

でも、私はいつまでそうやって自分の意見を親のために我慢すればいいのでしょう?

 

私はそうぼやかれながらも母に言い返していました。

すると、父は体育座りの私のところに来て、

手首を握ったのです。

今までにないぐらい冷たく「わかったか?何も言うな。わかってるか?」と

赤く跡がつくのではないか、というぐらいて手首を絞められました。

「痛い。お父さん。痛い。離して」

と言ってしばらくしてから放して、部屋から出ました。

その際も「わかったな?」と言っていたと思います。

 

完全な脅しでした。

母と言い合っている間に、それ以上言うな、と言われた際に、

今回のことを話して、

父には私が全く悪くないことも伝えた。

喧嘩を始めたのも母だと言うことも理解していた。

その上で父は私を選んだ。

 

父は正当性よりも私の気持ちよりも、

ただこの喧嘩を終えたい、という気持ちが強かったのだと思う。

私も父の立場で、客観的に物事を見ていても、

それが一番効率よくダメージ少なく喧嘩を終えることができる方法だったと思う。

 

でもそういうことではなくて、

なぜ私が犠牲にならなければいけないのだろう?

それも今回の喧嘩は私が自分の意見を主張しただけであって、

母を傷つけるものではなかった。

誰から見ても、私はキレられるほどのことをしていないというだけの自信はあった。

 

父は今まで正しく評価をしてくれているのだと思っていたし、

私のことを考えてくれているのだと思っていた。

 

喧嘩をしていて、それ以上言うな、と言われて

だって....と言えば、

気持ちは分かるよ。でも今のお母さんに何を言っても伝わらないだろう?だから、な?となだめられてきた。

 

実際は私の気持ちなんかどうでもよくて、

今までの言動は私を止めるために吐いた嘘なんだな、と思った。

 

本当に私を守りたい、という気持ちで守ってくれていたこともあったと思う。

でも、今にも舌打ちしそうなぐらいに

私に「それ以上やめろ」と言ってきた父が別人に見えた。

 

私にとって父は優しい人だったけど、

この日を境に、

私の知っている父は本当の父ではなかったのかもしれない、と思い始めた。

 

22、3年間私が見てきた父が違うというのは相当なショックでした。

自分のことをいつも大切にしてくれている。

いつも私のことを守ってくれる。

わがままを聞いてくれる。

 

でも裏では、まじうぜえってなっていたのかもしれない。

手首を握られたとき、いつもの顔と一緒でした。

ただ少し迫力が増していただけで。

 

全ての優しさは結局は全て自分の保身のためで、

わがままを聞いてくれるのは、そうしないといけなかったからで、

別に私のためにこうしてあげたい、という気持ちはなかったかのように思えた。

 

父に対する安心感がこのとき消えました。

母が包丁を出して、かばっているのも、

私のためかと思っていた。

私が傷つかないように守ってくれたのだと思っていた。

けど、私の手首を持って、

いい加減にせい、と言ってきたとき、

守ってくれていたわけではないことに気づいた。

 

守ってくれていた、と思った方が幸せだし、

実際そうかもしれないし。

けど、そう疑い始めてから父の色んな面が見え始めた。

 

後は前回の記事で書いたとおりです。

父はかなり自己中心的な人だと知りました。

そして、ここでは書きたくありませんが、

父自身ひどいことを人にしてきたことを

一緒に暮らし始めてからカミングアウトされました。

しかも嬉しそうに。

 

感覚が違うことは仕方ない。

でも今まで信じていたものが違うと知ったときに、

しかもそれが親に対して起こったとき、

今まで騙されてきた気持ちになりました。

 

大事にされすぎたから起きたことでもあるかもしれません。

私の両親は大人の汚い部分を一切私に話してこなかったし、

人を助けなさい、笑顔でいなさい、と言われてきたから、

父親らしくない行動に出た父を初めて見て、

驚いたのかもしれない。

 

でもあの時されたことは忘れられない。

その後ですが、喧嘩でクタクタになって精神的に疲れ切っていましたが、

お昼ご飯を食べる必要があったので、

外で食べに行こうと考えました。

 

今までなんだかんだ私との仲を取り戻そうと、

ご飯を作ったら私を一応呼んでくれていました。

 

でも今回はリビングの方へ目を向けると、

ドア越しではっきりとは見えませんでしたが、

父と母が座って、ご飯を食べながら、

テレビを見ながら笑っていました。

 

今読んでいる人に伝わるかわかりませんし、

私が敏感に捉えているだけかもしれない。

だから今までうまくいうことができませんでした。

 

なぜ父が座ってご飯を食べているのか理解できませんでした。

私が一人で部屋でうなだれて泣いていて、

私が喧嘩をふっかけ始めたわけでもないことを知っていて、

座っているのを見ると、

母のご機嫌をとっているように見えた。

ある意味、私が傷つけられたことをケアするよりも、

父は母が間違っていても、ひどいことをしても、

そばにいてあげるのだと知った。

 

私が娘だというだけで、

自分のことは自分でなんとかしろ、と言われた気分で、

殺意が芽生えた。

 

きっとこの先も私が正しくても、

父は母の味方をするのだと思うと、

一人になった気分だった。

 

自分が間違っていれば、

責められる。

自分が正しくても、

キレられる。

 

じゃあ私はどうしていれば平和でいれるんだろう、と思った時に、

親の言うことを聞くことだと浮かんだ。

 

親の言うことを聞くのが嫌で、

私は自分の意見を主張できるようにした。

けど、この喧嘩によってもう主張するのが怖くなってしまった。

 

怖くなることは今までにも何回もあったし、

その度に「いや、できる!」と自分を励まして、

素の自分に戻る、を繰り返していた。

 

けど今回のことで気持ちがポッキリいってしまい、

再生することができなくなっていた。

 

両親の言うことを聞いて過ごす生活って

生きているのか死んでいるのかわからない。

 

ちなみに、この喧嘩が起きたときは、

自分でも何か起こっているかわからず、

ただ二人に対する不信感が強くなっていました。

 

何年も経った今でも、

解消しきれていないトラウマです。

親のせいで

これを読んで、どう思うかはわかりませんが、

私は自分の人生が親によって狂わされていると思っています。

 

 

恵まれた環境にいるのだから、それでいいではないか。

親を変えることはできないのだから、

親のせいにするよりも、自分がこれからどうすればいいのかを考えたほうがいい、

というのは私も思う。

 

ただし、そう思って行動していても、

フッと昔のことを思い出して、

悔しくて憎い思いになるんです。

 

私の親はいわゆる毒親と呼ばれる人たちです。

二人とも私のことを愛してくれていますが、

とてもいびつです。

 

母は私が怪我をすることが怖くて、

悪い友人とつるんで悪くなることが怖くて、

一人でなにかしたら失敗してひどいことになるのが怖くて、

ずっと私を閉じ込めました。

 

また、なにもしてくれない父への鬱憤が溜まっているのか、

私が普通の子たちと違ったからか

(小学校低学年までは、友人と遊ぶよりも一人の方が好きだった)、

急に機嫌が悪くなり、暴言暴力を働くことも多かったです。

 

父は出張で家を空けることが多く、

お土産をいつも持って帰ってきてくれることが楽しみで、

母の暴力からも守ってくれて、

ゲームばかりしていて面倒くさがりやだけど、

私にとっては頼れる親でした。

 

ただ大人になって

昔を見返すと、

父は明らかにサイコパスでした。

私が悪くなくても、

母の暴言暴力が終えてから、

私のところにいつもきました。

 

大抵、私は泣き叫ぶのに疲れて、

部屋の端っこで倒れていました。

 

そんな私のそばに父はきて、

「お母さんのやり方は悪いけど、お前にも悪いところがあるぞ」

「なんでそれぐらいやらないのだ」

といつも説教が始まりまるのです。

 

大抵は私が悪くないことです。

家庭教師との授業にうまく集中できない、

連絡網や音読で見てほしいのに、テレビに集中して無視してくる、

スイッチをオンして欲しい、あれを取ってほしいなど、自分でできることに

私を使ってくる。

 

やってくれないから怒る、不満を伝える。

するとキレ始める、といった感じです。

 

私にはなんで怒られているのか分からないし、

自分の言っていることは怒って当然だと思った。

父は私になにがあったのかを聞くこともあまりありませんでした。

 

「お母さんから話は少し聞いた。」

もちろん母から聞けば、母の都合のいい話を聞かされるのに。

 

泣き疲れて、目が虚ろになっている私に向かって、

父はため息をつきながらも、

普通に説教してくるのです。

 

「なんで自分が悪くないことで怒られているんだ。」

「私は本当にそんなひどいことをしてしまったのだろうか。」

「怒られている理由がわからない。私バカだからなのかな。」

「バカだから親はこんな風に罵ってくるのかな。」

「疲れた。もうなんでもいい。もう頼まない。もうお願いしない。」

 

こういう風に私のひねくれた無気力な性格が育っていったのだと思っています。

 

また、家族でご飯を食べるときは、

母が金銭的な話をよく父にしていました。

 

学校から帰ってくると「今日どうだった?」と聞くことはあっても、

元気?のような感じでしたし、

そこから嬉しいことを話しても、嫌だったことを話しても、

いつも「ユキが〜したからじゃない?」「ユキが〜だからね」と

私を下げるようなコメントばかりをしてきました。

母の方はなにかと情報を気にしていました。

私がつるんでいるのはなんていう子で、

どういうことをしている子なのだろうか。

私は何時何分になにをしているのだろうか。

 

二人とも子供のやっていること、楽しいと思うこと、などに

無関心でした。

 

そういった親を持ったことで、

パシリ体質で、いじめられること、仲間外れにされることが多かったです。

都合のいい人であることが当たり前になっていたのだと思います。

また、愛情が欲しかったのだと思います。

うざいぐらいに人からの注目を浴びたがっていました。

 

もし私が、違う親に育てられていたら、

自分がなんでこんなにダメなんだろう、と思うことなく、

いじめられることも、仲間外れにされることもなく、

人と同じ人生を歩めていたのではないだろうか。

 

彼氏も早い段階でできて、

長く付き合うことができたのではないか。

 

そう思うことがよくあります。

 

親のせいで私の人生が台無しになった。

 

そう思いたくなくても、

心の底ではずっと憎んでいます。

母と父が私にしたことを許せずにいます。

 

わざと持ち出した時期もありました。

社会人1年目で辞職した後、

私はどれだけ親の影響が大きかったのか知りました。

仕事をするときに

ミスをすると、誰にも責められていないのに、

勝手に自分を責めて辛くなっていました。

 

社長には

「大事に育てられてきたから、叱られることに耐性がないんでしょ」と言われて傷つきましたが、

実際は「怒られすぎて、少し言われただけで昔のことを思い出す」のだと思います。

 

こんなに私の人生を左右しているのに、

なぜ私の両親はなにもなかったかのように

ニコニコと私に話しかけられるのだろうか。

なぜ罪悪感を持たずに生活ができるのだろうか。

 

そこから私は親との関係により違和感を持つようになりました。

リベンジ、ではないのですが、

私がどれだけ傷ついてきたのか、

喧嘩の後、普通に話しかけられて、

普通に接しているとき、

私はどれだけ二人のことを憎く思ったのか。

 

なかったことにされたくなかった。

私もそろそろ親から解き放たれたかった。

 

喧嘩が起きる度に、

小さい頃に言われたことを出して、

「私のことひどいって言ったけど、二人ともこういうことを私に言っていたよね」

「こんなこと言ってきて、普通に接してくるのに、私はこんなことで謝れって言われるの?」

「私に死ねって言ったのに?」

 

と言った感じで、思い出させました。

私だけがずっと心に溜めるのはフェアではない。

 

両親もそれを聞き、図星だったのかうまく返すことができず、

その怒りをまたぶつけてきました。

 

母は感情的になりやすい人だったので、

荒れていました。

 

父に至っては「そんなこと言った覚えがない」と

自分がしたことを忘れていました。

 

これだけ話しても、

まだ「昔はこんなことしてごめんね」と言う気にはならないんだなあ、

と私は心底辛く感じていました。

 

私を精神的に追い詰めたことは、 

両親にとって、仕方のないこと、悪くないこと

小さなことだったのだと思うと

それはそれで孤独感に襲われました。

 

ここまで言っても、

私の気持ちに寄り添うことができない親を親と思えないようになっていました。

 

この辺から私は自分の意見をはっきり言うことが怖くなくなりました。

ただし、それと同じ時期に人への安心感は0に近かったです。

人を傷つけるだろう発言をすることにためらいがなくなっていました。

 

やっと長年自分が思っていたことを両親にぶつけられたのに、

少しスッキリしたのに。

ずっと両親に追いかけられて、

付きまとわれているような感覚でした。

 

言いたかったこと、伝えたかったこと、辛かったことを

一通り伝えて納得がいってから言うのをやめました。

 

父はなにも覚えていないということに

大きくショックを受けました。

少し思い出しても、

私にとって辛かった思い出を

「あのときの母の剣幕すごかったね〜」

「ユキこんな感じだったよね〜」

といい思い出のように語れる父が私にとって信じられなかったです。

 

それは今でも一緒です。

もし私の親が普通の感覚を持っていたら、

人といい関係を築けていた。

仕事選びにこんなに慎重にならなかった。

彼氏と長続きしていた。

頑固にならなかった。

友人関係で悩まなかった。

こんなにも自分がダメなやつだと思わなかった。

自殺を考えなかった。

自分を嫌いにならなかった。

 

なかなか乗り越えるのが大変なところです。

 

自信をなくしている

調理を始めて1年ちょっと経ちました。

 

包丁の持ち方もわからなかった自分が、

自分でレシピを考えて、レストランで売れるだけの料理を作れるようになった。

 

私のようにこれだけ食が好きでなければ成し得なかったことだ、

と自分では豪語していました。

 

ただ今はコロナの影響で皆が家で作るようになり、

インスタでそれぞれ料理を載せるようになりました。

 

それを見て、驚いたんです。

 

意外に皆料理が上手で.....。

 

そういえば私不器用だったんだ...って思い知らされましたね。

皆はそれほど練習しなくても、

うまく切ることだって、包むことだってできる。

 

でも私は1年頑張って、

たくさん怒られて、

やっと人並みに作れる。

 

自分が何をするにも人並み以上になかなかなれないという悩みが

またふわっと出てきました。

 

何度やろうとしても野菜は均一にならないし、

元彼にまずどれぐらいのサイズになるのかを想像しながら切るんだよって言われても、

「思いながらやっているけどできないの...」と伝えました。

心底驚いた顔をされましたね。

 

他の人たちが自分よりできるのを見ると馬鹿らしく思えてくるんですよね。

私は「調理大好きで、頑張りました!これからも調理の道進みます!」とか言っているのに、

皆はしっかりと収入のある仕事でバリバリ働きながら、調理もできるんです。

 

なんか自信なくしました。

こんなことしかできない自分って

やる価値あるのかな、とか。

 

そんなこと思わずに好きだから、という気持ちを信じて、

突き進めばいいんだ!って思いたいけど、

突き進んだ先に、結局本気になれない私がいたらどうしようとか

数年経ってもうまく作れなかったらどうしようとか

 

 

色々思ってしまう。

友人たちももっとうまく作れるって思ったんだろうね。

私が調理しているのを見て、少し気遣われているのにも気づいた。

 

すっごく下手に包んだ餃子で私は満足げに写真撮ってるのに、

レストランで出るような餃子を作って、

「今日のご飯」といった感じで載せている人を見て恥ずかしくなった。

 

なんか私ってなんなんだろう。

 

ただの注目されたがり、みたいになっている。

 

私の社会人経験-日本人

知っての通り、

私は新卒で入った企業を10ヶ月で辞めました。

 

辞めた当時は、何が辛かったのかわからず、

ただ辞めたいと思っていた気持ちから解放されて気持ち良かったです。

 

今思うと、私の考えが研修のときから最後まで、

誰かと合うことがなく、自分の居場所がないように思えたのだと思います。

 

皆が真剣にお仕事に取り組む中、

私だけが楽観的にペラペラと話したり、

 

傷つく言葉を言われても、

それをかばってくれたり、

おかしい、と言ってくれる人が周りにいなかったり...。

 

大学時代によく話していた友人や、

社会人の友人からは、

いつも話すたんびに「甘えている」「周りのことを考えていない」

と言われ、辛かったのを覚えています。

 

そして今になって私は、

私が甘かった、病んでいただけではなく、

会社で辛い目にあったんだと、

本当に苦しい思いをしたんだと納得できました。

 

私自身、次に進むためにも、

最近気づいたことについて書きたいです。

 

それは「日本人でいる」ということです。

 

私は帰国子女で、シンガポールで生まれ育ったものの、

日本にいる皆と同じような教育を受けてきました。

皆と違う育ち方をしたことはわかっているし、

実際に周りの方に「...結局日本人なの?シンガポール人なの?」

と聞かれることはあったけど、

自分がその枠から外れていると思ったことはありませんでした。

 

自分は自分で日本人だと思っている。

少し特殊なだけだ。

だから違う扱いをたまに受けるのは、

今まで出会ったことがない日本人相手にどうすればいいのかわからないだけだ、と。

 

でも私はこの日系企業で外国人扱いを受けました。

やたらと最初の方から、

「日本人として〜」

「日本人なら〜」と言われることは多く、

社長からも「日本人として生きるかシンガポール人として生きるか考えたほうがいいよ」と言われて衝撃を受けました。

なぜ赤の他人に、私の国籍を決められなければいけないのだろうか。

 

私はたしかに日本人として生きてきた、と言った。

ただしそれは「何人?」と聞かれたら、どちらかといえば、という答えである。

 

実際はシンガポール人として生きるには、シンガポールのことをよく知らないし、

日本人というには、土地勘がない。

結局のところ、色んな文化を経験してきて、日本人学校通って、インターナショナルスクールに通ったこの私が私なのだと思って生きてきた。

 

結局、私は適当に流して仕事をしていたのだけれど、

その後も明らかに日本人として、というのを求められていたし、

それは例えば、挨拶の仕方だとか、話し方だとか、メールの送り方だとか。

ザ日本人のビジネスを知れば、転職しても有利だと思って入ったので、

学べたことは嬉しかった。

けど、「日本人はそんなことしない」と言われるたんびに、

「お前の生き方は間違っている」と言われているような気持ちになった。

 

また、日本人だから、他の外国人の子達よりもポジションは高く、

きっとこれからも昇進していくものだと思ったのだと思う。

 

ただ私は、転職はしていこうと思っていたし、

きっとその考えを言ったら「日本人はしないよ」とまた外されるのだろうな、

と感じました。

 

また、社外で日本からくる同じ企業の方と会うときも、

見た目が日本人に見えないのか、

私だけスルーしてきた。

一緒にいる先輩や上司も、彼に私のことを紹介してくれるわけでもなかった。

なぜ紹介してくれないのか、わからなかったし、

そのたんびに私がまた日本人としてのマナーを守れていなかったのかな、と

悲しくなっていた。

 

そんなこんなで働き続けて、

周りは「あ、この子日本人としてやっていくつもりないのだな」と感じたのだろう。

徐々に「こうしなさい」「ああしなさい」ということはなくなりました。

 

そして、ここから区別をつけられました。

「あなたは外国人」という風に思われていたのかな、と。

 

「今から日本人たちでミーティングするから、後よろしくね」と言われたときは衝撃でした。

深い意味はなかったかもしれないけど、私以外の日本人が皆行くのを見ると、

あれ、私って仲間だと思われていないの?と辛くなりました。

 

また、一緒に働く先輩からは、ふとした会話で、

「ユキは外国人だけど、」と言われました。

これだけ毎日一緒に働いていて、

私よりも漢字が書けない人に、

外国人扱いをされた。

 

きっとあまりに自分たちと違うから、

そう思うことで、

自分の感覚は間違っていない、正しいと思いたかったのかもしれない。

 

そうやって私は自分を納得させようとするも、

あまりにショックで、自分でも感情の整理がつかないまま、

毎日出社していました。

 

自分たちの感覚と違う = あなたは外国人 = もしくはただの変わった人

 

という感じがして、

いつの間に普通でないことが怖くなっていたことに気づきました。

 

でも、私は日本で日本人としてずっと生まれ育ってきたわけではないし、

周りと外れた考えも持っていたわけで、

皆の常識が分かるわけもなく、

私の言動で皆の顔色が変わるたんびに

「あなたは間違っている」と言われているみたいで辛かったです。

 

日本人として生きなければ、とどこかで思い始めたのかもしれない。

顔色をずっと伺う生活を日々していました。

 

当時は先輩のご機嫌を取っていたのですが、

それは会社でおかしいと思われる行動は

全て私がおかしいから、という風に取られていると思うと、

私の行動は間違っているのか、

周りの反感を買わない態度を取らないと、と思っていたのだと思います。

そして先輩に怒られるたんびに

私自身は理不尽だと感じていても、

世間一般的には私が間違っているかもしれない

私の考えがおかしかったんだって思ってしまうぐらい

私のメンタルが弱っていたから逆らえなかったのだと感じました。

 

今は調子が戻ってきて、

考えにおかしいも何もないって思いましたが、

日本文化に当てはまらなければ、と苦しくなっていました。

適応障害ってものだったのかもしれません。

 

私の辛かったことの一つです。

ようやく言葉としてまとめることができました。

 

 

 

 

 

失恋の傷が癒えない

私が振ったのですが、

未だに彼のことが頭をよぎります。

 

忘れるためにも調理に没頭したりしてみましたし、

自分ではそんなに感情を感じていませんでした。

 

が、ふと彼のことを思うと涙がツーって出るんですよね。

映画を見ていてもキスをしているの見るだけで、

 

あれー、私も数週間前までこんなんだったのに、

何があって今別れているんだろうって思うんですよね。

 

とあるときには、なかなか寝れなくて、

携帯をいじっていたら

Youtubeで「彼と復縁するべきか?」という占いを見ていました。

そして納得してぐっすり寝たという...。

 

なんだかんだ一日中彼のことを考えて、

彼がSNSでオンラインになっているかチェックしてしまうし、

なんだかんだ、ふとしたときに彼のことを思い出します。

 

2ヶ月交際していただけでこうなるので、

3年付き合っているカップルが別れるとなったら、

相当辛いのだろうな、ということはわかりました。

 

それでですね、映画を見たんです。

少しでも傷を癒したいと思って。

"600 days of Summer"という映画を見ました。

 

主人公は建築家に本当はなりたい男性で、

ある女性に恋をするけど、

女性は誰かと真剣な交際をする気はなく、

彼と寝たりするも、結局「友達」だというんです。

 

それで、やってられない!こんな女不幸になれ!いや、でもやり直したい、

という気持ちで葛藤している間に、

彼女は他の男性と婚約していたという。

 

嫉妬で狂っている様子が描かれていました。

 

ネタバレになってしまいますが、

どちらの両親も離婚をしていて、

そんなこともあり、女性は「本物の愛なんてない」というんです。

でも男性は「あるよ。会ったらわかるものなんだよ」と。

 

それで婚約してから、また会うシーンがあったんです。

男性はもうやつれていて「偽物の愛しかない」と言ったんです。

それに対して女性は「いいえ、あなたのいう通りあった。私はあの時あの場所にいたときに今の夫に声をかけられた。もし私が遠回りをしたり、10分遅めに来ていたら、彼と会っていなかったと思う。一目見てわかったの。だから運命ってあるのね」

 

と。

傷心中の彼にいうのか...

と私も辛いねえ、と男性に親身になって見ていましたね。笑

 

でも私と元彼と状況が似ているんです。

 

私が人を信じられなかった部分を

彼のおかげで信じられるようになった。

彼は私のネガティブさに寄り添うので、疲れてしまったかもしれないけど、

彼がいてくれたおかげで私は人生を前向きに歩もうと思うようになったんです。

 

もう少し人を信じてみよう。

彼の言っていたことは正しかった、と今は思います。

 

だから私もこの彼女のようにまた次にいい人に出会えるのかな、と思いました。

 

後は、会ったらすぐ「この人だ!」と分かる、と映画で言っていましたが、

私は実は彼と会ったときに「あ、この人ではないな」と思ったのを思い出しました。

そして、彼はおそらく私がその人だ、と映画の男性のように思ったのだと思います。

しょっぱなから彼の両親のレストランを継ぐような話もされたからね。笑

 

だからもし物語通りなら、

私は他の人で「あ、この人だ」って思える人と出会えるのかなあ、なんて思ったり。

そして映画内でも主人公は最後に他の女性をご飯に誘っています。

 

だから、彼にとってもハッピーエンドだったわけです。

もしその女性が主人公の彼と結婚していたら、

うまくいってなかったかもしれない。

 

彼女が自分の気持ちを曖昧な関係ではあったけど、

はっきりと示せたことで、

お互い正しい人と一緒に歩むことができたんだと思ったら、

 

私も続かないとわかっているこの関係を続けるのではなくて、

お互いの幸せのためにも早く次に進めようと少し思えました。

 

結局より戻そうって思い始めるかもしれないけど。笑

 

映画はやっぱり失恋にいいですね。

高校が懐かしい

今さっきYoutube

「日本人留学生のアメリカ高校生活の一日」みたいな動画を見ていました。

 

それを見てて、自分の高校生活を思い出しました。

 

インターナショナルスクールに通っていたのですが、

そのYoutube動画と似ていて、

 

日本でいう隠キャとか陽キャとか、

区切りがなく、

つるみたい人と皆つるみあって、

もちろんいじめも起きるけど、

日本ほどひどくないし、嫌なことははっきり言ってくれるし、

すごく過ごしやすかった。

 

クラスに一体感があって、

先生がジョークを言ったり、

生徒が変なことしでかして、

先生を怒らせても、

生徒皆で今のやばかったねって笑い合えたり...。

 

なんだろう、程よくシリアスでない感じが好きでした。

なにをしても、「社会的に」ではなく「道徳的に」どうなのかで判断してくれる

学校が好きでした。

 

飴を授業中に盗み食べしているのを見た先生が、

その飴をクラス全員に渡して空っぽにしたのはナイスだったなあ...笑

 

なんか、そういう笑ってもいいよっていう文化がすごく懐かしくて、

羨ましい。

 

大人になると、文化や価値観が違う人とさらに関わっていくし、

私が面白いなって笑い飛ばせることが他の人にとってはできなくて、

怒りを買ってしまったりっていうこともあって、

窮屈な思いを感じた。

 

自分らしく自由に生きることがいいことだ、という風に高校では学んだのに

社会ではそれが反映されていなくて、揉まれて忘れていたけど、

私の源はそこだったなあ、と。

 

本当に自由だったんですよ。

 

蛍光灯割っちゃって、生徒が逃げても、先生は冷静だし、

国がガム禁止しているのに、学校では噛んでいる生徒がいたり、

(見つかっても没収するだけ)

社会の授業では「マイケルジャクソンはまだ生きているのだろうか」というお題で

議論しあったり...。

日本語のクラスも日本人だけだけど、皆濃くて、仲良くて、

一緒の空間にいるだけで楽しかった。

 

でも今は、ふざけたことを言えば「は?」ってなるし、

皆それぞれが「これが私です」って感じがして、疎外感もつし、

発言に相当気をつけなければいけない気持ちになっている。

まあ、自由すぎたんだろうな。

それが悪かったとは思わないけど。

 

そんな学校にいたから、

こんなにもゆったりと構えることができるんだろうし。

 

でも、世界の人たちがその高校の時みたいに考えられたら、

もっと平和になるのになあって思う。